悪魔の侵略。

 双子の女神が統括するこの大陸には数多の種族が存在している。

 中でも一番多いのは人族で、その割り合いは全人口の半分にも及んでいる。

 人族以外の国はただの一つにまとまっているのに対して、数の多い人族は五つの大国と、小さな国が無数に点在している。

 五大国の一つ、大陸の北西部に位置するライトリア王国は、最北端にある魔族領と接している人族唯一の国である。

 魔族領では十年から二十年という周期で魔王が誕生する。

 その魔王が誕生するたびに毎度の如く侵略してくる為、この国は人族の盾として機能している。

 各国はライトニア王国に、精鋭を派遣して駐留させたり物質を援助したりと、脆弱な部分を補うようにして手と手を取り合い、これまでの侵略を退けてきた。

 人族の最高戦力である勇者もこの国に所属している。

 魔族が攻めてきた時は各国が速やかに連携して対処する所存だ。

 ただ、此度の侵略はいつもと様子が違っていた。

 ちょうど三年前に魔王を討伐したばかりだ。

 しかし、間三年という余りにも短い期間に新たなる魔王軍の出現である。

 失われた兵たちの再編も終わってはいない。

 当初、その侵略の一報を受けた王国は、非常に浮き足だってしまったが、直ぐに思い直した。

 忘れてはいけない。

 この国には歴代最強と言われる勇者がいる。

 次期大聖女間違いなしと言われる天才少女が来てくれた。

 南の島の恐るべき剣術を、素人同然からたった五年で極めてしまった剣聖がいる。

 ただの初級魔法を大魔法を凌駕するまでに昇華させた、蒼い三日月と畏怖される大魔法使いがいる。

 大迷宮を単独踏破した伝説の女シーフがいる。

 三年前に魔王を討伐した英雄たちがいるのだ。


「出陣だ」


「ハッ!全軍!出立せよ!」


 ライトニア王国の大将軍が指揮を取り、直ぐに出陣と相成る。

 勇者パーティの出撃に人々は大いに沸いた。

 英雄たちと五千の軍に「この面子ならば負けるはずも無い」と誰もがそう思った。

 唯一の気掛かりは、聖女が若すぎる事だが、そんな事は些細な事。

 今回の経験で若き天才聖女も歴戦に名を連ねる事になるだろう、そう信じてやまなかった。



 王都から軍を進めて最北にある城塞都市にて最後の補給を取る。

 本作戦はいつも通り、魔王軍を抑えている間に勇者パーティが魔王を討伐。

 その後、全軍で大攻勢を仕掛けて一気に殲滅する、というもの。


「出立!」


 一同、城塞都市を出て更に北上し、荒れ果てた荒野にて布陣する。

 ここより北は魔族の領域だ。枯れた大地が広がっている。

 温度も氷点下にまで下がり、作物が育ちづらく食糧の確保が困難で、人族が住まうには過酷過ぎる環境である。

 その境界線にて。

 五キロほど先で姿を見せたのは、百にも満たない数の魔王軍だった。


「アレが此度の魔王軍か」


 目を細めてそう呟いたのは、ライトリア国の大将軍クライン・エルイーガー。

 四十半ば過ぎの壮年の男で、重厚な鎧姿の、まさに重騎士という出立ちをしている。

 元勇者パーティという経歴の持ち主で、二十年前の魔王討伐を果たした後に脱退し、母国であるライトニア国の軍に入り、大将軍にまで上り詰めた。

 三年前も自ら前線に赴いては剣を奮い、アンデッドの指揮官リッチーの魔法を喰らいながらも見事に討ち取って見せた豪傑である。


「随分と少ないですな」


 傍らで肩を並べてそう言ったのは、二十代前半の青年、ライアット・クルーガー。

 クラインの親族でひょろりとした優男の相好、鎧姿ではなく、文官のような出立ちをしている。

 前回、前線に出た将軍の代わりに指揮を取っていた若き軍師である。

 妻も子も居ない将軍の後継者に選ばれた新鋭だ。


「ふむ」


 大将軍は頷き、顎を撫でながらの思案を始める。


 数が少ない。これは軍と呼んでも良いのだろうか?

 三年前に現れたのは、万を越えるアンデッドの群れを率いた不死の魔王だった。

 スケルトンにグールにゾンビ、果てはリッチーという大魔法を操る亡者までいる厄介な軍勢に、少なくない被害を出しながらも、なんとか食い止めてみせた。

 その間に勇者が魔王を滅ぼしてアンデッドたちの弱体化に成功。

 そして、全てを殲滅して無事に勝利を収めた。


「報告します」


「戻ったか。聞こう」


 出した斥候から、その全容を確認する。

 通常の魔族の見た目は、頭に捩れた悪魔のツノを生やし、肌が浅黒いというくらいで、他は人族となんら違いはない。

 身体能力は同程度だが、魔力量に優れ、魔法を得意とする種族である。

 しかし、此度はその姿とは違っていた。

 背中には蝙蝠のような大きな翼を生やし、悪魔のツノはあるが、頭は人ではなく動物、様々な獣だ。

 上半身は裸の男で、下半身は黒いタイツを履いたような出立ちの、端的に言えば化け物の類いである。


「なるほど…」


 将軍クラインがぐりぐりとコメカミを揉みしだき、記憶を探りながら続ける。


「もしかして、悪魔、なのか?」


 古い文献に記してあったのを思い出した。

 魔族とはその悪魔の子孫と言われている。


「ええ」と軍師ライアットが同意して続ける。


「恐らくは太古の悪魔たちが復活を遂げたものかと。

 数は少ないですが、アンデッドとは比べ物にならない強さでしょう。

 少なくとも、一体が百の騎士にも相当するものかと予想されます。

 三年前よりも手強いのは間違いないでしょう」


 悪魔とは次元を超えた世界、魔界からの侵略者だ。

 神の敵対者にして人の魂を喰らいし化け物である。

 死という概念がなく、肉体を滅ぼされたとしても、いつしか復活すると言われている。

 いつの時代のものなのかまではわからないが、軍師の記憶にも悪魔の文献には覚えがあった。


「なんとも厄介な」


 悪魔の子孫である魔族は代を重ねる度に血も薄まり力の根源が弱まるものとされている。

 それが今回の始祖たる悪魔ではその力は計り知れない。

 頭を飛ばしても死なない魔力で出来た精神生命体と言われている。

 そんな者は化け物だ。

 数は少ないが、それが束でいることに二人は苦々しい思いへと至る。


 将軍は、ふぅと息を吐くと、肩を竦めて吹っ切ったように続ける。


「まぁ、ともかくやる事は変わらないだろう」


「はい。いつも通りに食い止めましょう」


「被害を最小限に抑えるように。連絡は密にとるようにせよ」


「はい、徹底させます」


 思う事は一つ。

 勇者に魔王を討ち取ってもらうしかない。

 それまではなんとしてでも耐えるだけ。

 気持ちを切り替えて話を進める。


「各国には既に救援要請を出しております」


「そうか、ならば良い。

 各国とも条約に従い、明日には最高戦力を送ってくれる筈だ。

 なるべく時間を稼ぎたいところだな。……ん?」


 ここで将軍は、天を見上げてそういえばと続ける。


「かの御仁、テレスティア殿下は妊娠中だったな」


 思い浮かべたのは美貌の姫将軍だった。

 高貴なる血筋の美しき姫君。

 しかしその中身は豪胆にして天衣無縫、天下無敵の剛の者。

 人族で一番強いのは誰か?と、聞いてまわれば必ず上位にノミネートされる傑物。

 その槍は天をも穿ち、細くともしなやかにして美しく、しかし強靭なる肉体は、龍王のブレスにも耐えてみせる。

 二十年前、クラインは魔王を討伐した勇者パーティの一員だった。

 大剣を扱う超一流の戦士だ。その歴戦の目を持ってしてもその姫将軍の強さは異常だった。

 肉体スペックが同じ種族とはとても思えない。

 女神の加護を受ける人族最強の勇者にも勝ってしまうのでは?と思うほどだ。


「アルファ王国の至宝ですね。

 勇者に勝るとも劣らない実力者だけに残念です。

 今日にでも産まれると、王国から連絡を受けております」


「ふむ、まぁ、しょうがあるまい。

 しかし、だ。

 もし今日、産んでしまえば、明日にでも駆けつけて来そうではないか?」


「そんなまさか、女性の出産は一大事ですよ。

 男では耐えられない過酷なものだと聞きますが」


「いやいや、天上天下唯我独尊を地で行くあの殿下だ。

 それこそスポーンと一瞬で産んでしまいそうではないか?

 前回の魔王戦、三千のアンデッドの大群を単騎駆けで蹂躙してみせた豪傑だぞ。

 此度の悪魔討伐を聞けば、嬉々として顔を出すに違いない」


「それは確かに。

 もし、そうなれば、盤石の布陣となるでしょう。

 何せ勇者がもう一人増えるようなものですから」


「そうだな。明日にでも来てくれれば助かるのだが」


 将軍は、苦笑いでため息を吐いた後、真顔に戻して続ける。


「まぁ、冗談はさておいて」


「ええ、無理な願望は置いておきましょう」


「首尾はどうなっている?」


「はい。魔王討伐チームは既に潜伏しています」


「ならば開戦は間も無くだ。最終確認を急ぐぞ」


「はい」


 その後もあれこれと意見を交わしながら、魔王陣営を睨み続けるのだった。



 その頃、噂の姫将軍は、寝室にて。


「zo…zo…zo…」


 妊婦のくせに、大きな腹を出して寝ていた。


「む……」


 ポコンと、腹の中の赤子に内側から叩かれて目を覚ます。


「……朝、か?」


 上半身をムクリと起こし、寝ぼけ眼で腹を摩りながらウンウンと頷いた。


「そうか。今日か。

 愛し子よ、ようやく産まれてくれるのか。

 私にはそれがわかる。だってお母さんだもの」


 そう呟いた、次の瞬間。


「よっしゃ!」


 左右の握り拳を振り上げて勝利のガッツポーズを決めた。


「ようやく禁酒も解禁だぜ!ヒャッホ〜!」


 今日はワインで祝杯をあげようと心に決めた。


「うーむ」


 腕を組み、一杯目は赤にしようか、白にしようかと悩むが。


「あれ?」


 キョロキョロと部屋中を見回した後、再び独り言ちる。


「ラルフは、たしか、仕事で王城だったか」


 相談する旦那もいないので、とりあえず今は二度寝することにした。


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