33.泣き虫


「フェリクス・ベルツ様、いらっしゃいますか? お客様がお見えですよ」


 宿の従業員に声をかけられ、フェリクスの心拍数が一気に上がる。


「あっ、は、はい、ここに来るように伝えてください」


「わかりました」


 従業員の軽い返答を聞き、深く息を吸うが、胸の鼓動は速いままだ。


「フェリクス様……がんばって……!」


「う……、がんばるよ……」


 ひそひそ声で激励を送るガブリエラに答えると、フェリクスは二人を待った。


「ごめんなさい、お待たせしてしまって」


「ああ、大丈夫……」


 フェリクスの部屋を訪ねて来たカロリーネの隣には別の女性が立っており、驚きで心臓が止まりそうになる。フェリクスが決して忘れない、二十六年前と変わらない、柔らかなライトブラウンの髪、琥珀色の瞳。


「あ、あの、すみません、母も一緒に……」


「……お母さん、なんだ。お名前は……?」


「お久し振りです、ディアナです」


「本当に……、ディアナ……?」


 フェリクスの手が震える。口から弱々しく出てくる声も。きっと今の自分は間抜けな顔になっているに違いないと、頭の隅で些末な思考が働く。


 こくりと小さくうなずくディアナをカロリーネが心配そうに見やり、「お母さん、座らせてもらったら?」と言った。


「あっ、ごめ、ん、気付かなくて。そこの椅子に、どうぞ」


 フェリクスがテーブル越しの椅子を勧め、ディアナとカロリーネが「ありがとうございます」と言いながら座る。フェリクスの目がその姿を追うが、言葉が出てこない。きっとカロリーネは自分の血を分けた娘だろうとは思っていた。だがまさか、ディアナまでここに来るとは思っていなかったのだ。


「ええと、お二人でいらっしゃったなら、私はいらなそうですね。隣の部屋にいます」


 黙ってしまったフェリクスに、遠慮がちにガブリエラが口を出す。


「う、うん、ありがとう」


 重い沈黙を破る形になったガブリエラの発言が、フェリクスにとってはありがたい。扉を出ようとする彼女に礼を言うと、再びカロリーネとディアナの方に視線を移した。


「ごめん、ディアナ……。会ったら、謝りたかったんだ」


 本当に、ただ、謝ろうと思っていた。二十六年前、いつか迎えに行くなんて到底できないことを、口走ってしまったのだ。声はまだ震えているが、かろうじて口から発せられた言葉に、少し安堵を覚える。


 するとディアナは、大きく首を横に振った。


「謝るだなんて……。こうして、お会いできました。どれだけ年月が経っても、お会いできたことに、変わりはありません」


「……そう、だけど、僕は……」


「事情があったんですよね。この子は、今は魔法で色を変えていますが、本当は華やかな金の髪と紫の目です。それくらいわかりますよ」


 ディアナがゆるりと表情を崩した。その目はしっかりとフェリクスを見ている。カロリーネももう母親の心配はしていないようで、フェリクスを見つめるだけだ。


「いただいたアメジストは大事に保管してあります。教わった魔法は、この子の役に立っています」


「……役に立っているなら、よかった」


「何を謝ることがあるのでしょう。むしろ、あなたの立場を思えば、最善だったと思います」


「そ、んな、ことは……。だましたように、なってしまったから……」


「お会いできたのに? ふふっ、それでだましただなんて、おかしいですね」


 笑うとできるディアナの目元のしわが会えなかった二十六年間を彷彿とさせ、同時に愛しさが込み上げてくる。恨まれても当然だと思っていたのだ。それなのに、ディアナは謝る必要はないと言う。


「きみは、昔からそうだったね。明るくて、いつも前向きで……優しくて……、本当に、僕はきみが好きだった……」


「まあ、『だった』、ですか?」


「えっ、そ、そうじゃなくて、その、今も……」


 慌てふためくフェリクスと、余裕そうに微笑む母のディアナを見ると、カロリーネは軽く息を吐き「隣の部屋に行ってるわ」と言い残して扉を出て行ってしまった。


「あっ、ごめっ……って、もう遅いか。えっと、彼女……」


「あなたの娘です」


「うん。育てるの、大変だったよね……?」


「そうでもないですよ。私の親は驚いてはいましたが、色々と協力してくれました。しかもあの子は早く魔法が使えるようになったので、髪と目の色を隠し通すことができたんです」


「そうだったんだ……。僕のこと、恨んでないかな」


「恨むなんて、とんでもない。あなたのお父さんは立派な人なのよと、子供の時から言い聞かせてましたから。ありえません」


 ディアナは穏やかにそう言うが、きっと多少の強がりはあるのだろうとフェリクスは思う。一般的に見ても、ただ父親がいないというだけで育児には大変な苦労があるものなのだ。


「……ありがとう」


 しかし、彼女がそれを隠そうとするのなら見ないふりをするのが礼儀だろうと、返答を一言だけに留める。


「お礼を言いたいのは、私もです。あの子を授けてくださって、ありがとうございます」


 ディアナのこの言葉で、唐突にフェリクスの目から涙がこぼれ落ちた。ずっと後悔していたことを、ディアナは何でもないことのように告げる。それどころか、感謝しているとすら言ってみせる強さが、涙でぼやける視界に眩しく映る。


 やはり自分はディアナが好きなのだ。何年経っても、久しく会っていなくても、強く彼女を想っていた。ひどい後悔を胸に抱いてしまうくらい。そう自覚してしまうと急に恥ずかしさを感じ、フェリクスは視線を下に落とした。


「……うん、ありがと、う……」


 『クリスに見られたらまた泣き虫って言われるな』などと考えながら涙を止めようとするが、ブラウンに変えている目は、言うことを聞いてくれない。


「今も、泣き虫なんですね」


「……よく、からかわ、れ、る……んだ……」


「ふふっ。泣き虫のあなたも……」


 耳に届いていたディアナの言葉が止まり、フェリクスがうつむいていた顔を上げると、「好き、です」と言いながら赤らめた顔を横に向けている彼女がいる。


 あまり雨が降らない西方地域に属する西の辺境の町は、今日も晴れている。窓の外でさえずる鳥たちの祝福を受けながら、涙を拭こうともせず椅子から立ち上がったフェリクスの腕の中には、頬を濡らし始めたディアナの細い肩が抱かれていた。



**********



 ――辺境伯ハインリヒ・マルシュナーの城にて――


「……で、兵士二名がその場にいたんだよな? ヴィルたちのために馬を用意しておいたと言っているんだが」


「何だそれ、下手な嘘だな。あいつらは懲りずにフェリクスを取り返そうとしてたんだよ。だから俺がナイフ投げて、木に貼り付けてやったんだ。今回フェリクスは相当怖い思いしたはずだぞ、労ってやってくれ」


 レオンハルトの軍は、レッドドラゴンを倒した三日後に辺境の町に到着した。彼らは町でのんびりすることなく辺境伯の城へと出向き、町にいたヴィルフリートたちを呼び出した。


「あ、ああ、そうだな。兄さん、この度は大変なご苦労を……」


「ほんと、もう、寒かったし、寒かったし、寒かったしで……」


「寒かっただけ……? あーえーと、俺の代わりだったんだよね、申し訳ない……」


「レオンは相変わらず真面目だなぁ」


 クリストフが横から茶々を入れるなど、レオンハルトと気軽に会話を進めているヴィルフリートたちの横で、デニスとガブリエラはびくびくしている。


「大丈夫なのかしら、公爵様にあんな言葉遣いで……」


「フェリクス様相手でもくだけた言葉遣いだし、いい……んだろう、な……。聞いてると怖いが……。そういえばヴィルフリートさんとクリストフさんも貴族だったような」


「俺は下位貴族だ。そう見えないとよく言われるが。あと、レオンに『ノーディン卿』だの『レオンハルト様』だの言ったら攻撃が飛んできそうだから、これでいいんだ」


 こそこそとしゃべっていたつもりがヴィルフリートに聞かれており、デニスとガブリエラはびくっと肩を震わせる。


「はっ、はいっ」


「……すみません……」


「あ、そうそう。この二人すごく役に立ったから、寛大な処遇を頼むよ」


「ええと、兄さんを誘拐……じゃないか、監禁……じゃなくて、軟禁したんだっけ?」


 ヴィルフリートが親指でデニスとガブリエラを指し示し、レオンハルトがそれに応じた。その手元には自身が事情聴取として聞いた話を記録した書類を手元に置かれており、レオンハルトの性格を表す一つとなっている。


「軟禁、が一番正しいかな。マルシュナー閣下の指示で誘拐を企てたのは確かだろうけど、拘束はされてなかったしね」


「わ、私は何も言っていませんぞ! そいつらが勝手に! 大体、私は陛下の言う通りにしていただけですから!」


 フェリクスに名前を出され、しらを切り通そうとする辺境伯が、言い訳をずらずらと並べる。


「ふぅん? 勅令はフェリクスだけではなく、俺ら三人宛だったんだが? 陛下の言う通りにって言うなら、三人を迎えに来てもらわないといけないよなぁ? ……はぁ、よくまあそんなたわけた言い訳を……」


「お、まえっ……! 口の聞き方に気を付けろ!」


「おっ、そう来たか。大変失礼いたしました、辺境伯マルシュナー閣下。これでよろしいでしょうか」


「ぐっ……」


「閣下、人を一人殺そうとしたことは、お認めになりますか?」


「こ、殺すなんて! そんなことっ!」


「そんなこと……、ですか、ええ、そうですよね。私どもは、一人の犠牲も出さずにレッドドラゴンを倒すことができたわけですから、不要な計画だったと言わざるを得ません。閣下はよくおわかりでいらっしゃる」


「そ、そうだとも! だから、そいつらが勝手に……」


「ああ、そうだ。デニス、ガブリエラ、誰から指示を受けた?」


 辺境伯の言葉尻を軽々と奪うヴィルフリートは完全にこの話し合いを牛耳っており、クリストフがやれやれと肩をすくめた。


「あ、えっと、第三隊の隊長です」


「つまり、閣下のおっしゃることを信じるのであれば、その第三隊の隊長が勝手に出した指示だったってことになる。レオン、その隊長も連れて来いよ。未来ある若者に重罪をなすりつけようとしたやつだ、歯ぁ食いしばって来いって」


「ヴィル、殴るのか? おまえのことだから、ダガーで斬るか氷魔法で凍らせるかと思ってたが」


「……今の、冗談だからな? レオンはやっぱり真面目だなぁ……冗談は控えるよ……」

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