28.戦闘開始


 ガブリエラが会話に出した定食屋のメニューにも、川魚があった。ここでもヴィルフリートの機嫌は良好だ。


「やっぱり魚はいいよな。淡白な味だからジジイにも食べやすくて」


「俺も魚は好きだけど、店では肉料理を選んでしまいますね」


「デニスくらい若いなら、それでいいんだよ。うちの息子たちも肉の方がいいって言うぞ」


 すると「お待たせしました」と言いながら、女性店員が料理を運んで来た。どれも熱々でおいしそうだと、五人が一斉に笑顔になる。


「今の女の子、かわいかったな」


 女性店員がテーブルから離れると、デニスが一言ぽつりと言った。


「ん? 店員の女の子か? デニス、ああいうのが……」


「目がくりっとしてて優しそうな子が好みですね」


 デニスの言葉を聞きながら女性店員の顔を確認したヴィルフリートが、急に真顔になって食事の手を止めた。


「……いや、ええと、そんなことより、今は明日のことを考えよう。女の子のことはそれ以降で」


 一旦乗った話を方向転換させるヴィルフリートにデニスは面食らったようだが、「はい」と素直にうなずき、食べる手を進める。


「すみません、よけいなことを」


「ああ、別に怒ったわけじゃないんだ。実はクリスは作戦通りにいくとけっこう忙しいなと思ってたから、デニスには期待してるよ」


「うっ……自信はないんですけどね……」


「俺はデニスならできると思うぞ。まあ、最悪死んでもフェリクスとヴィルがいるから」


 クリストフの言葉に「死んでも……」とデニスがつぶやいたあとは、全員で食べることに集中し始める。


 しばらく経ってあらかた食べ終わったという時に、フェリクスが「レオン、いつ来るかな?」と声を落として言った。


「そうだなぁ、あと三日か四日はかかるんじゃないか?」


「軍の移動ってけっこう時間かかるもんね」


「そうそう、人数がそれなりにいるだろうし。到着したら、デニスとガブリエラの処遇について考えてもらわないとな」


 ヴィルフリートはレオンとの久し振りの再会で何を話そうかと気軽に考えるが、ガブリエラが弱々しい声で「そのことなんですけど……」と言う。


「初対面の公爵様に私たちのこと考えてもらうなんて、恐れ多いような気が……」


「そんなこと気にしなくていい。レッドドラゴン討伐という目的で軍を率いて来て、レッドドラゴンを倒した人物の処遇について考えるって、筋通ってるだろ」


「あ、そうか……なるほど」


 ガブリエラが納得したところで食事を切り上げることになった。「俺が払うから、みんなもう外にいていいぞ。ほら、さっさと行け」というヴィルフリートの言葉に、四人は店から外に出る。


「さて、これからどうする? また『特訓』やっとくか?」


「はい。がんばります」


「俺も、まあ……何とか……」


 店での支払いを済ませると、ヴィルフリートは午後の予定について尋ねた。その問いに明るく答えるガブリエラとは対照的に、デニスはやはり浮かない表情だ。


「大丈夫だって、神聖なる蘇生ホーリー・リザレクション使えるのが二人もいるんだぞ。しかも無詠唱で」


「死ぬの前提……」


「そんなに心配するな、まだ若いんだから」


 デニスの背中をばしばしと叩きながらクリストフが笑い、「ぐえっ、げほっげほっ」とデニスがむせる声が聞こえる。


 再び町の外に出ようと歩き始めた一行の最後尾でヴィルフリートは定食屋を振り返り、「明日以降、だ」と小さくつぶやいた。



**********



 翌日、天気は薄曇りで、西方地域にしては珍しく風が弱い日になった。太陽の眩しさは厄介だと思っていたヴィルフリートは、これで太陽の位置をあまり気にしなくて済むと胸をなでおろした。


 朝食の携帯用食料をぼりぼりとかじりながら、五人はレッドドラゴンの方へと歩みを進める。


「さて、レッドドラゴンの咆哮が聞こえてくるわけだが」


「ご機嫌斜めみたいだね」


「結界のせいで自由に動けなくなってるからかもなぁ。そうだ、フェリクスかヴィル、到着したら結界張り直すか?」


「壊れてたら張り直すけど、壊れてないなら二重に張っても意味がないんだ」


「へぇ、そういうもんなのか」


 クリストフのハスキーな声よりレッドドラゴンの耳障りな咆哮の方が大きくなっていくのを聞きながら歩いていると、ちょうど携帯用食料がなくなったところでたどり着き、とうとう本物を目にすることになった。赤い鱗に覆われたその巨体は、結界の中でドスドスと地団駄を踏むように暴れている。


「……これが、レッドドラゴン……」


「さすがにでかい……。本当に、デニスの身長の七倍くらいあるな……」


 これまで何人の血を吸ってきたのだろうと思わせる赤黒い目、爪、牙、そして背の翼まで全身を覆う真紅の鱗は美しさと禍々しさを併せ持ち、一目見るだけで怖気が立つ。


「ググゥ……ガァアアッ!」


「当たったら相当痛いぞ、あれ」


 結界が張られ攻撃は届かないとわかっていても、レッドドラゴンの爪が振りかざされると、ヴィルフリートはさっと身を引いてしまう。


「……遠かった……疲れた……」


「フェリクス様、大丈夫ですか? 武器持ってあげればよかったですね」


「あ、大丈夫だよ。ありがとう」


「じゃあ俺は崖の上に行ってます」


「うん、がんばってね。期待してる」


 デニスの言葉に笑みを作って励ますと、フェリクスはふぅと息をついて岩の上に座った。


「よし、俺も座るか。まずは一休みだ。地面が揺れるから落ち着かないが」


「いや……ヴィルとフェリクス、落ち着きすぎだろ。早くしないと軍の見回り兵が来て怒られるかもしれないぞ」


「来てもどうせ戦闘中の俺らには近付けない。それに、結界の大きさをなるべく正確に把握しておきたいんだ。炎吐かないかな」


 ヴィルフリートはフェリクスと一緒に転がっている岩に座り、レッドドラゴンを眺める。


「こうして見ると、まさに伝承通りだな。そして予想通り額にはどでかい尖晶石スピネル、と。横幅はもう少し大きいと思ってたが、想定内だ。なあクリス、おまえにならレッドドラゴンも懐くんじゃないか?」


「無理に決まってんだろ、ラースとは違……って、うわっ! すげえな、炎!」


 クリストフが話している最中、レッドドラゴンが結界に攻撃するように斜め上に向かって激しい炎を吐いたが、結界に阻まれ、漏れることはなかった。どうやらその体の横幅十五倍くらいの大きさの結界が張られているようだ。


「よし、幅は何となくわかった。本当は四方向に吐いてほしいところだが……まあいい。クリス、ちょっと結界に手入れてみろよ。よーしよし、いい子いい子、って」


「いや、無理だって……」


 そう言いながらもクリストフは言われた通り、結界があると思われる箇所へ恐る恐る右手を入れてみる。


「よーしよし、いい子いい子……ぎゃあああー!! いい子じゃねえええ!!」


 今度は炎ではなく、まるで飛び回る虫を払うように鋭い爪が飛んできて、クリストフは慌てて手を引っ込めた。


「さすがのクリスでもだめか……」


「当たり前だ! やった俺も馬鹿だったが!」


「クリストフさん、怪我は!?」


 緊張感からか、それまで黙り込んでいたガブリエラがクリストフを心配する。「何ともない、大丈夫だ」とクリストフが言うと、彼女はほっとしたように胸に手を当てた。


「ヴィルもクリスも、ちょっと……」


「……おまえが第二王子か」


 レッドドラゴンで遊び始めたヴィルフリートとクリストフをたしなめようとフェリクスが立ち上がって口を開いた時、突然地の底を這うような低い声がデニス以外の四人の耳を震わせ、ぴくりとその動作が止まる。


「この声は……レッドドラゴン……?」


「……僕が、第二王子だよ」


「やはりな。同じ匂いがする」


「今回も第二王子を食べたいんだ?」


「ああ。あれはそれまで食った中で、一番美味い人間だったからな」


 ヴィルフリートは岩から立ち上がり、大きく裂けた口の鋭い牙の奥からくすんだ緋色の舌をずるりと覗かせるレッドドラゴンを見上げた。レッドドラゴンが言葉を発すると、尖晶石スピネルが光り輝くのがわかる。宝石の媒体によって話すことができるという仕組みになっているようだ。


「僕は美味しくないかもしれないし、食べられるつもりはない」


「ほう、ではどうする。逃げ帰っても、この忌まわしい結界を壊したらおまえの匂いを追いかけるぞ」


「……逃げたりなんかしない」


「どうするって、もちろん……」


「あいつらだ! 捕らえろ!」


「倒す……って、何だよおまえら! 登場早すぎだろ、格好つけさせろ!」


 町を出たのを見られていたのか、兵士とアルバンが馬から降りて「本当にいた!」などと叫びながら走って来る。そのせいでフェリクス、クリストフの次に続くはずの最後のヴィルフリートのセリフが中途半端になってしまった。


「くっそ、しょうがねえな!」


 ヴィルフリートは素早い動作で、腰のナイフを数本投げた。ナイフは小気味良い風切り音とともに彼らの袖の端を引っ掛け、そのまま後ろの大きな木の幹に突き刺さる。


「ひぃっ!」


 木に貼り付けられたアルバンが「またこれかよ!」と騒いで身をよじるが、なかなかナイフは外れないようだ。


「……ヴィルは今日も便利だな……」


「おまえ、この間のいじめっ子か……! せっかく俺が格好いいセリフ言おうとしてたのに、よくも邪魔してくれたな! 罰としてそこでよーく見てろよ、レッドドラゴン倒してやる!」


「格好いいセリフなんざ知るか! 大人しく捕まっておけば、おまえとそのでかいやつの命は保証するぞ。レッドドラゴンを倒すなんてできるわけないんだから、やめとけ!」


 アルバンが大声で怒鳴り、「あの人、怖いんだよね……」とフェリクスが身を縮ませるのを見て、ヴィルフリートの眉間にしわが寄る。


「……フェリクスを差し出して永らえた命なんていらねえよ。俺ら捕まえたいなら、結界の中に入って来い。ま、思考停止で善悪の判断もできずに伯爵の言うこと聞いてるだけのおまえらには無理だろうがなぁ!」


「なっ……何だと!?」


 木に貼り付けられたまま怒鳴り続けるアルバンに噛みつきながら、ヴィルフリートはダガーに氷魔法と聖魔法のエフェクトをかけた。他の四人の武器にも同様にエフェクトを施すと、レッドドラゴンに鋭い視線を送る。


「人間同士の小競り合いなぞどうでもいい。さっさとそいつを寄越せ」


「るせえ、いくぞ! ガブリエラは結界の外で待機だ!」


「はい!」


「レッドドラゴンが、しゃべった……!? あっ、あいつら、本当に結界の中に!」


 ヴィルフリートがレッドドラゴンに向かってまっすぐに走り出すと、そのすぐあとをクリストフとフェリクスが追いかけるように走って行く。


 結界内に入るや否やヴィルフリートは走る足を止めず、三人とレッドドラゴンとの間を目測し氷煙アイス・プルーム氷壁アイス・ブライニクル神聖なる盾セイクリッド・シールドを連続で発動させた。クリストフはレッドドラゴンの尾や爪の攻撃をかわしながら両手剣で斬りつけようとするが、その鱗は剣の攻撃が通用しづらく、傷を付けるのも困難だ。


「くっ、硬い……!」


「ほらよ、氷柱フローズン・スティーリア! フェリクス、何か聖魔法やっとけ!」


「じゃあ、得意の神槍グングニル!」


 フェリクスの無詠唱の神槍グングニルが結界内を光で埋め尽くし、氷の柱とレッドドラゴンの鱗がキラキラと反射する。が、やはりダメージはそれほど与えられていないようだ。


神槍グングニルでも、尖晶石スピネルは傷一つ付かないか……。あ、あれやろう。新星爆氷晶クリスタル・フロスト・ノヴァ!」


「じゃあ僕は、神聖なる弾丸ディヴァイン・バレット!」


「うぉっ、何だそれ、格好いい」


 ヴィルフリートの新星爆氷晶クリスタル・フロスト・ノヴァでまばゆい光の爆発とともに氷飛沫が舞う中、フェリクスが放った光の弾丸がレッドドラゴンの左脇腹に命中し、「ウウッ……」という呻き声が聞こえてきた。


「効いてる!」


「ちょろちょろとうるさい虫だ」


 そう言い放ち、レッドドラゴンはヴィルフリートたちを一掃しようと尾を大きく振った。その先端部分が背中に当たったフェリクスが跳ね飛ばされ、地面に倒れてしまう。


「フェリクス、大丈夫か? 聖なる治癒ホーリー・ヒール! クリス、さっきフェリクスが傷付けた左脇腹を狙え! 爪に気を付けろ!」


「おう!」


 フェリクスに聖なる治癒ホーリー・ヒールを発動させると、ヴィルフリートはクリストフに指示を出し、自身もダガーでの攻撃をレッドドラゴンの左脇腹に浴びせる。フェリクスは神聖なる弾丸ディヴァイン・バレットを何度か放っているが、尖晶石スピネルに当てることはできていないようだ。


「……あいつら、全ての魔法を無詠唱で……?」


「おい、あのダガーの戦闘姿、もしかして双剣の氷月じゃないか? あれは、ただの噂なんかじゃなかったのか……!」


 アルバンのつぶやきに、隣で貼り付けられている兵士が応答する。


 魔力枯渇など関係ないとでもいうように次から次へと無詠唱で氷魔法中心に魔法を連発させ、時には双手の三日月型短剣ダガーを逆手に持ちレッドドラゴンを斬りつけていく。体躯は長身で細く、プラチナブロンドの長髪、水色の目というその姿はまるで氷の月だと、軍で噂されていた通りの光景だ。


 自分で袖に刺さったナイフを抜くこともできるのだが、そんなことも忘れ、二人は目の前の結界内の戦闘を食い入るように見つめている。


「ぐうう……! 鬱陶しいわ!」


 レッドドラゴンがとうとう怒り始めたが、その間にもフェリクスの聖魔法の攻撃とクリストフのレッドドラゴンの左脇腹への攻撃は止むことはない。とうとうレッドドラゴンの左脇腹の傷からは、赤黒い体液が流れ出てきた。


 フェリクスより近い距離で直接攻撃を仕掛けているクリストフとヴィルフリートは、その太い前足が大きく振られ危うくぶつけられそうになっても、何とか紙一重でかわすことができている。


「この虫けらどもめ!」


 ヴィルフリートは「炎が来るぞ! フェリクス、クリス、一時避難だ、こっち来い!」と叫ぶと氷煙アイス・プルーム氷壁アイス・ブライニクルを出現させた。予想通り激しい炎の渦が結界内を駆け巡り、防御壁が施されていても三人の体のあちこちに火傷ができてしまう。


輝ける慈悲ルミナス・ヒール! ……そろそろ尖晶石スピネルに傷を付けたいところだが……」


「戦闘開始直後よりは、やつの頭が下がって来ている。だが、このままだと俺らの消耗の方が早そうだな。何せこの年だ」


 周囲に再び氷煙アイス・プルーム氷壁アイス・ブライニクルを施したヴィルフリートに、クリストフは答えた。レッドドラゴンはデニスが言っていた通り目覚めたばかりでまだ動きが鈍いのか、炎を吐いたあとは止まったままだ。


「そうだよな。つまり、デニスとガブリエラに……」


「それがいいだろう」


「よし、あいつらを参戦させよう。フェリクス、二人の連携のあとに次の炎が来たらタイミングを見て輝ける慈悲ルミナス・ヒールを頼む。俺とクリスは攻撃魔法でいく。要するに作戦通りだ。……全力で走れよ」


「わかった」


「ああ」


 三人で顔を見合わせてうなずき合うと、ヴィルフリートは神聖なる盾セイクリッド・シールドを出現させようとした。練りに練った作戦通りにことを遂行すれば、うまくいくはずだった。この時までは――

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