26.お互い様


 雨は夜の間に止んでいたようで、明るい朝を迎えた。洞窟内には光は差し込まないが、楽しそうにさえずる鳥の声が聞こえてくる。


「えっ? ガブリエラいなくなっちゃったの?」


「荷物はあるんですが、馬が一頭いなくなってます」


「……そう……。昨日言い過ぎたから、謝りたかったのに……」


「別行動はよくないって、わかってるとは思うんですけどね……」


 フェリクスとデニスは、まだ寝ているヴィルフリートとクリストフを起こさないように声を落として話す。すると二人が目を覚ました。


「あ、おはようございます」


「ヴィル、クリス、おはよう。体痛くない?」


「もちろん痛い。またシーラスの湯に浸かりに行こうぜ」


「うん」


 腰をさするクリストフに笑顔でうなずくと、フェリクスは「今日はどうする?」と問いかけた。


「あれ、あのお嬢ちゃんは?」


「目が覚めたら、いなくなってて……」


「……そうか。俺らはまず、バングル探しにでも。ヴィルとデニスもそれでいいか?」


 「はい」とデニスが真面目な顔でうなずき、まだ眠そうなヴィルフリートが寝ぼけた声で「おう」と言う。


「今いる馬はラースを含めて全部で三頭か。フェリクスは靴ないから、馬に乗せてもらう方がいいだろ」


「あ、そうだった」


 クリストフの提案から馬の使い方を四人で話し合った結果、フェリクスだけが馬に乗り、あとの三人は歩いて移動することになった。


「僕だけなんて……せめてもう一人乗ろうよ」


「いやぁ、馬もけっこう疲れてると思うんだよなぁ。いいじゃないか、悪いことしてるわけじゃないんだし」


「うう……わかった……」


 クリストフに諭され、フェリクスが三頭の中で一番体力がありそうな馬に乗ると三人の頭が下の方に見える。


「傅(かしず)かれてるみたいで落ち着かないよ」


「フェリクス様、王族なのに?」


「十三歳で神殿に入ったから。それまでのことなんかもう忘れちゃった」


「へぇ、そういうものですか」


 デニスの問いはもっともだ。ただ、彼は十三歳の時のことも覚えているのだろうが、自分にとっては遠い過去だと馬に揺られながら虚空を見つめてしまう。


「フェリクス、馬が嫌ならまた背負ってやってもいいぞ」


「え、ええと、クリスが嫌なわけじゃないけど、このままでいい……」


 そんな話で笑いながら四人がバングルが投げられた場所まで行くと、誰かが湿地にいるようで、草が時々動くのが目に入った。湿地の手前には脱いだ靴が置かれている。


「……あれ、誰かいる……? 靴が……あっ、もしかしてガブリエラ?」


「えっ、ガブリエラ? フェリクス様、見えますか?」


 馬に乗っており目線が高いフェリクスからは、その姿が見えた。背が高くて細い体が動いている。体つきから見ると、女性のようだ。


「うん、明るいアッシュブラウンの髪……ガブリエラだ!」


 フェリクスは急いで馬から降り、湿地ぎりぎりの場所まで行って大声で問いかける。


「ガブリエラ! 何やってるのー!? 危ないよ、戻れなくなるよ!」


 すると彼女は腰をかがめた姿勢からすっと背筋を伸ばして立った。


「私、足長いんです! こっち来ちゃだめですよ! 投げられた場所わかりますかー!?」


「探してくれてるの!? わかる、わかるから戻って来て! ヴィル、探索魔法使ってデニスに……」


「んー、いっそ彼女に任せればいいんじゃないか?」


「そうだな。よし、探索魔法使うぞ」


 馬から降りたフェリクスとデニスはハラハラしながら見守るが、クリストフとヴィルフリートは笑っている。


「さすがに女の子には……と思ったけど、僕よりは体力あるか……」


「お、彼女、いいところまでいってる。ガブリエラ! そこからもう少しだけ右奥!」


「わかりました!」


「そうそう、あーそこそこ、ちょうどそこらへん!」


「はい! ここらへん……ちょっと待っててくださいねー!」


 それからしばらくガブリエラは、バングルの在り処を確認したヴィルフリートの指示通りに手を泥の中に突っ込み、探していた。その間、デニスとフェリクスはハラハラし通しだ。


「大丈夫かな、疲れて動けなくならないかな……」


「普通の女性よりは鍛えてるはずですけど、心配ですよね」


「あっ……これかな……? ええと、緑色の……翡翠と銀のでいいですか!?」


「えっ、見つけたの!? そう、それだよ! ガブリエラすごい! 気を付けて戻って来てね!」


 四人で口々に「すごいな」「なかなかやるね」などと言っていると、明るい笑顔で歩いていたガブリエラが、途中で「ちょっと休憩」と言って立ち止まった。


「疲れちゃったよね、大丈夫?」


「問題ありません」


 心配するフェリクスに、ガブリエラが答えた。その彼女らしい言い方がフェリクスの胸を打つ。


「足にヒル貼り付いてない?」


「何てことないですよ」


 そう言うとガブリエラはまた歩き出した。確かに足が長いな、うらやましいな、などと、フェリクスはどうでもいいことを考えてしまう。


「……ふぅ、よかった、見つかって……」


 そう言って湿地から抜けたガブリエラの右手には、泥で汚れてはいるが、翡翠がはめ込まれたヴィルフリートのバングルが握られていた。


「足、足は大丈夫? 手は? ええと……ヴィル、水を……」


「おう、任せろ。たらいがあれば湯にできるのに、残念だ」


 バングルを受け取ったヴィルフリートが水でガブリエラの手と足を洗ってやると、ヒルが左右の足に二匹ずつぴったり貼り付いていた。


「うわぁ……これ、炎で焼くの……? ……ガブリエラ、ごめんね……」


「気にしないでください、罪滅ぼしのつもりなので」


「そんなの……僕の方こそ……ごめん、ひどいこと言って」


「いいんですよ。じゃ、自分でやっちゃいますね」


 ガブリエラが自分で出した小さな炎でヒルを焼くと、泥臭さと肉が焦げる匂いが辺りに漂う。やはりヒルだけを焼くことはできないようで、彼女の足には火傷ができてしまった。フェリクスは目を背けたくなったが、本人は呻き声一つ出さず顔をしかめるだけで、痛みを我慢している。


「うう……痛々しい……、聖なる治癒ホーリー・ヒール!」


「ありがとうございます。草で切れたところもあったので助かります」


「朝早く起きてここに来たの?」


「はい。早く目が覚めちゃったんです」


「……ガブリエラ、ありがとう。本当にありがとう」


 早く目が覚めたからといって、ガブリエラがここに来る必要はなかったのだ。それなのに一人で湿地に入って行き、探してくれていた。いくら感謝してもし切れないと、フェリクスは何度も礼を言う。


「……私、お礼を言われる資格、ありません……」


 ガブリエラは表情を暗くさせ、下を向いた。バングルが見つかった時の笑顔が嘘のようだ。フェリクスは、もう一度明るく笑ってほしいと「そんなことないよ」と言うが、彼女の表情は変わらない。


「……でも……、フェリクス様の言っていた通り本当に何も考えてなくて、自分がすることが人の命を奪うことに繋がるなんて思ってもみなかったんです……。それに、王族はいい暮らししてるんでしょって勝手に思って嫌がらせしました。フェリクス様にだって苦労や悩みがあるのに、全然見ようとしてなくて……馬鹿だったなと思います。ごめんなさい……」


「ううん。そうやって考えてくれただけで、すごくありがたいよ」


「そ、んな、当たり前です。命が、かかってる、んですから。本当に、ごめんなさい……」


「泣かないで。僕も、もっとちゃんと話せばよかったな、馬鹿だったなって思ってて、謝りたかったんだ。きつい言い方しちゃったし……ごめんね。お互い様って、こういう時のこと言うのかな?」


「……お互い様……ふふっ、フェリクス様は優しいですね」


 ガブリエラはそばかすの顔を柔らかくゆるめ、フェリクスの目を見て泣き笑いをしてみせた。


「俺からも、ありがとう」


 そこへヴィルフリートがやってきて、ガブリエラに礼を言う。


「やっぱりこうして手元に戻ってくるとうれしいものだな。前回の聖女探しの時にも使ってたものなんだ。翡翠は妻の目の色で、この旅に出る前に鍛冶屋で働いてる息子が手入れしてくれてな。その息子がまた素直ないいやつで、ちょっと無愛想なんだが……」


「年寄りは話が長いんだよね。ガブリエラ、ヴィルのことは気にしなくていいよ」


「ええー……フェリクスひどいな」


 フェリクスの遠慮のない言い方にヴィルフリートが文句を言い、ガブリエラの目が一瞬見開かれてからまた細められた。


「ガブリエラも僕たちと一緒に行こうよ。三人で、レッドドラゴンを倒すから」


「はい」


 雨のあとの空気は澄んでおり、遠くまで見渡すことができる。涼やかな風の中、フェリクスに爽やかな笑顔を返したガブリエラの目の涙は、もう乾いていた。



**********



 バングルを探し出したガブリエラも交え、五人は堂々と辺境の町に入った。「五人が一緒にいたらまずいのでは?」というフェリクスの疑問に、「勅令通りに動いてるんだから、堂々としていればいい。デニスたちの任務だって、秘密裏に遂行されていたものだろ? 失敗したところで罰を受けるような筋合いはない」と返答したヴィルフリートの言葉を採用した結果だ。


 ギルドに馬を預けてからずっとクリストフに背負われているフェリクスは、「やっぱり気になるから変える」と言い出し、髪と目の色をブラウンに変化させた。フードで隠しているとはいえ完全に見えなくなっているわけではないため、華やかなハニーブロンドと紫の目の人物が靴をはかないで背負われている光景を町の人が見たら何と思うかという、王室への配慮らしい。


 フェリクスの靴と温かい靴下は問題なく購入できたが、アルバンに傷付けられた上着の代わりはフードがないものになってしまった。フード付きはたまたま売り切れ中とのことで、フェリクスは少々不満そうにしながらも、ないものは仕方ないとあきらめることになった。


「なあ、辺境伯に会いに行くのは、レッドドラゴン倒してからにしないか?」


「レッドドラゴン倒してから……、いいんじゃないかな? 勅令ではそこまで細かく指示されてないし」


 五人は町中の定食屋で話し始めた。昼食にはまだ早い時間帯だからか、周りに客がいないため話しやすい。


「ヴィルの屁理屈登場だな。フェリクスも賛成か」


「うん。デニスがレッドドラゴンの居場所知ってるよ」


「案内できますよ。ガブリエラも行ったことあるよな?」


「私は一回だけ。今は神殿から人が来てくれたみたいで結界が張られてますが、それまではいつ町の方に行ってしまうかとひやひやしてました」


「まだ目覚めたばかりで、動きは鈍いんです。翼はあるけど飛べないし、歩いての移動もあまりできないって状態で。でも軍の者が近付くと炎を吐いて威嚇したりするので、ダメージが大きくて……。結界張ってもらえて安心しましたよ」


 ガブリエラの言葉にデニスが補足するように続け、レッドドラゴンが結界の中にいるという事実に一同が胸をなでおろす。


「フェリクス様が言っていたキルニアード帝国の動向は、上層部くらいしか情報を把握してないので、ちょっとわからないんですけど。ガブリエラ、何か知ってるか?」


「ううん、私もそのあたりは……。すみません」


 デニスとガブリエラの持つ情報は、不完全とはいえ普通に旅をしていたら得られない貴重なものだ。


「いや、十分ありがたいよ。どのくらいの大きさだった?」


「えーと、俺の身長の七倍はあったかな……」


 ヴィルフリートの質問にデニスが答えると、「でかいな……」とクリストフがつぶやいた。


「崖の上からってのは、ちょっと無理かもしれない」


「そうだよな、下に大きなクッションでもない限り……ああ、そうだ、額に宝石はあったか?」


「あ、ありました、真っ赤なのが。あと、崖も。何で知ってるんですか?」


「いや実はな、フェリクスが子供の頃に読んだ絵本に描いてあったらしいんだよ。その絵本、結末が……」


 絵本について話す途中で言い淀むヴィルフリートに、フェリクスは言葉を繋げる。


「……お察しの通り。第二王子が崖から額の赤い宝石を狙うんだけど、食べられちゃうんだ。で、満足したドラゴンは千年の眠りにつきました。めでたしめでたし」


「それ思い出して元気なくなってたんだろ」


「うん。今が千年目なんだろうな、だから僕は王室から外されたんだろうなって思ってた。デニスたちが宿に来た時は、生きる気力なんてなかったんだ」


 クリストフが神妙な面持ちで尋ね、フェリクスもつられるように声を落として答えた。


「たとえそうだとしても、倒してしまえばいいだけだ。もう黙って消えたりするなよ」


「はい……ごめんなさい……」


「す、すみません……任務だったとはいえ……」


「私も……ごめんなさい……」


 ヴィルフリートの叱責にフェリクスが大人しく謝ると、デニスとガブリエラも追随するようにしゅんと肩を落とした。


「い、いいんだよ、犠牲になるつもりで宿の大部屋を断ったのは僕なんだから、二人は謝ることないよ」


「うう、俺が悪い大人みたいになってる……。まあとにかく、フェリクスがいないとレッドドラゴンは倒せないんだからな。よく覚えておけよ」


「……うん」


 ヴィルフリートの言葉が、フェリクスの心にじわりと沁みる。ここでは、自分は誰かの代わりなんかではないのだ。


 熱々で出てきた玉ねぎと鶏肉のミルクチーズスープ煮を冷ましながら口に入れると、ふんわりと、優しい味がした。

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