階級の敵

C'est la vie

紅衛兵

「人民の欠点に対して批判は必要であるが、………真に人民の立場にたち、人民を保護し、人民を教育する全身の愛情をもって述べなければならない。もし、同志を敵としてあつかうならば、自分を敵の立場に立たせることになる」

ー《「文芸講話」,毛沢東》


革命無罪革命に罪なし造反有理造反に理あり!革命無罪!造反有理!」

「筆を執って武器となせ!反動派に攻撃を集中せよ!」

大通りを緑色の服を着た一団が行進していた。紅旗を振り回し、毛主席の肖像を掲げ、口々にシュプレッヒコールを上げるその顔触れはみな、自分と同じ年ごろの

少年少女である。人民解放軍と同じ、緑色の軍服に身を包んだ、紅衛兵の一団だ。

自分と同じ中学校の、同級生たちだ。この集団を見るのは不快だった。自分が右派の出身だからって除け者にされているせいではない。聞いているこちらに頭痛を催すほど執拗にスローガンを叫び、騒いで回っているからではない。この集団の先頭で、紅い装いの小さな本を掲げて先導する少女に見つかりたくなかったからである。道路の端には紅衛兵を眺める人たちが人垣をなしていた。うつむきながら、その後ろに隠れるように急ぎ足で歩く。人垣越しに、紅衛兵の集団とすれ違おうという時———横合いから呼び止められた。

呉秀梅ウーシウメイ!」

思わず立ち止まる。こわごわと振り返ると、一番見つかりたくなかった相手がこちらを見ていた。小青シャオチン———もとい李青リーチンだった。何も答えずに立っていると、指図されるまでもなく紅衛兵が二人やってきて私を通りに引きずり出す。まるで罪人のように、紅衛兵たちの前に跪いた私を見て小青がにやりと笑い、すぐに厳しい表情で紅衛兵の群れに呼びかけた。

「コイツの父親は匪賊野郎の蒋介石のために働いていた役人だ!コイツの母親は農民から血と肉まで搾り取って懐を温めていた地主ゴロツキの娘だ!つまりコイツはつま先から頭のてっぺんまで反動派で出来ているということだ!今からコイツが労働者と農民に対する罪を認めて反省しているかを調べる!語録の六九ページを言え!」

何度もこんなことを繰り返している内に毛主席語録の端から端まですっかり覚えてしまった。いや、極力穏便に済ませるために、血を吐く思いで語録を読んで、復唱して、覚えた。よどみなく語録の言葉を唱える。

「“石を持ちあげ、自分の足を打つ”。これは中国人が一部の愚か者の行為を形容したことわざである。———」

しかし———運が悪かった。「革命的人民にたいする皇帝や蒋介石の様々な迫害は」とまで言ったところで、噛んだ。言い淀むのを小青が聞き逃すはずがない。私が言い直そうとするのを彼女が遮った。

「教化が足りないようだな!心の底から毛主席を慕っていれば言い間違えるはずがない!口先では革命を支持していても騙されないぞ、この反動派め!」

後頭部に衝撃が走る。彼女が手にした語録で思いっきり殴りつけたのだ。あーあ、残念。これを避けるために頑張って語録を覚えたのに。紅衛兵たちは暴力ではなく文筆によって戦うということになっているが語録で人を殴ることは許されているらしい。しかしこの後行われたのは、明らかに許されていないことであった。小青の殴打を合図に紅衛兵たちが私の周りに集まって来たかと思うと、先ず頬を殴られた。女の子の顔を殴るのに遠慮の無い連中だ。殴られた勢いで埃にまみれた道路上に転げると、続いて紅衛兵どもが寄ってたかって蹴る、殴る、踏む———およそ人間だと思っていない暴行だ。耐えるしかない。一九六六年、この文革とかいう馬鹿騒ぎが始まった頃は毎日のようにされていたことだ。

 小青は実は家が隣同士である。小青の父親は私の母親と同じ村の出身で、村の地主———私の母方の祖父の事だ———が慈悲深い人だったとかで、未だに母を「お嬢様」と呼んでいた。小青の母は病気がちで、いつも家にいて働きに出ることなど到底できなかった。それで私の母が憐れんで食べ物を分けてやっていたのでやっと彼女たちは食べ繋いでいたのである。私の父は革命前には市政府の役人で、公共市場の監査役だったそうだ。共産党がやってきた後も市政府に残り、糧食部で働いている。

共産党だって有能な役人が十分に居たわけではないのだ。おかげで我が家はちょっとだけ食べ物に余裕があった。父は抜け目のない人だった。今や食べ物を手に入れるのも一苦労になったのだから。

 私と小青は同い年だ。小さい頃から一緒に育って来た。もとより彼女の家はうちから食べ物を分けてもらっていたし、まだ小学校に行っていないころは母が集団労働に出て留守になるときに小青の家に預けられることもあった。小青の母はいつも寝たきりだったので、大抵は小青と一緒に外で遊んでいた。小青はおとなしい子だった。いつも、私に遠慮しているようだったけど、それでもかまわずに遊びに連れて行った。小学校にも一緒に行った。私たちはいつも一緒だった。私は小青をこの上ない親友だと思っていたが、しかし彼女からは時々よそよそしさを感じることがあった。特に、私の母が彼女の母に麦や米を分けてやっているとき、彼女に話しかけようとすると必ず逃げられてしまうのである。しかし、それでも二人は一緒に中学校に上がった。

 中学校に上がったのは一九六五年のことである。春学期が終わって夏休みに入る頃、学生の間に北京から新しい運動が伝わって来た。この頃北京からは党中央が旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣を打ち破る「破四旧」を叫ぶ声が声高に届いていた。北京の学校で毛主席の思想に従って、「文化大革命」を推し進める「紅衛兵」が組織された事が伝えられるとにわかに「紅衛兵熱」と言うべきものが湧き上がってきた。学校では毛主席がいかに偉大なのか、そして毛主席を愛することを散々教えられているから生徒たちはこぞって紅衛兵に加わりたがった。しかし紅衛兵は「毛主席の小戦士」である。であるからにはふさわしい出自の者でなければならない。紅衛兵に加わる事が出来たのは労働者や貧農、党員の子どもだけだった。ここではじめて私と小青は違う道に進むこととなった。小青は貧農の娘だが、私はブルジョワ、右派の娘だったのである。その時から全てが変わった。私は両親がブルジョワ階級だったからと言って、事あるごとに吊るし上げられるようになった。買ってもらったばかりの語録も「ブルジョワの娘には持つ資格は無い」と取り上げられた。授業が終わるたびに自己批判しなければいけないこともあった。語録は買い直してもらったが、父からもらった万年筆は無くなった。

 小青はそれからまるっきり変わった。いつも紅衛兵の先頭に立って、積極的に反革命分子を糾弾するようになった。彼女はまず私たちの担任の先生を告発した。彼はありもしない罪状を書いた三角帽子をかぶせられて滅多打ちにされた。路上で紅衛兵が反革分子を糾弾しているときも、いつも先頭に立っているのは彼女だった。そして、私に目を付けて積極的にいじめるのも、彼女だった。彼女は私を吊るし上げるとき、いつもニヤリと笑っている。目に少し憐憫が混じった笑みだ。私は彼女が嫌いになった。

 今回のリンチは、しばらく行われていなかったせいかやけにしつこかった。一体どれだけの間蹴られていたのかは分からないが———気が付いた時にはすっかり日が暮れかかっていて、私は大通りの端にぼろきれのように転がっていた。身体を起こす。全身が痛い。袖をめくると腕はあざだらけだった。埃にまみれた顔を拭うと黒く固まった血がボロボロ落ちた。膝を立てて、立ち上がる。幸いどこも折れていなさそうだ。歩ける。傍らを見ると私の鞄が打ち捨てられている。拾い上げて、中を改めると父からもらった新品のノートが無くなっていた。通りかかる人はみんな私に目もくれない。紅衛兵にリンチされるような人間に関わるとロクなことにならないのを知っているからだ。べつに悲しくは無かった。さて、帰るか。鞄を肩にかけて、歩き出す。

 家に帰ってくる頃にはすっかり日が暮れていた。よろよろと、家の前までたどり着くと隣の家の前で小青の父が夕涼みをしていた。この前まではまだ私の母を「お嬢様」と呼んでいたが娘に告発されるのは御免だろう。今は「呉さん」と呼んでいる。彼はボロボロの私を見て何か言いかけたが、言葉は出なかった。自分の娘が隣家の娘を殴っていることは知っているだろう。彼に罪は無い。「大丈夫です」と言って、家に入った。居間では、薄暗い電球の灯りの下で父と母が食卓を挟んで無言で座っていた。帰ってきた私の姿を見て二人ともぎょっとしたが、二人が何か言う前に台所に入った。蛇口をひねる。水は出ない。甕から水を汲んで、顔を洗った。何も言わずに居間に戻り、食卓に座る。居間には食卓と椅子が3脚の他は何も無い。他の家財はこの前紅衛兵が家探しに入った時に無くなった。三人の間に少しの間沈黙が流れたが、母がそれを破った。

「夕ご飯にしましょう」

母が台所に入り、夕食を持って来た。蕎麦の粥が一杯と、三人で二皿の主菜。簡素な夕食だ。この頃はどこでも肉が手に入らず、魚もロクに無いので豆に菜っ葉ばかりである。無言で粥を啜る。父も母も何か言いたげに私を見ていたが、強いて何も無かったかのような顔をした。とうとう父が口を開きかけた、その時だった。

呉福徳ウーフーデー同志!」

激しいノックと同時に、玄関の外から声がした。小青だ。父と母と私が顔を見合わせる。母が開けるなと首を振る。しかし開けなければもっと酷い結果を招くかもしれない。父が席を立ち、玄関に向かった。いつの間にか、外ではゆらゆらと揺れる灯りが家を囲んでいた。父が扉に手をかける。ああ、もうダメだ。これから何をされるのか、想像が付いた。

 父が扉を開けた。思った通り、李青が仁王立ちしていた。すかさず彼女が叫ぶ。

「このブルジョワめ!家に何か隠していないか調べてやる!」

紅衛兵が家に雪崩れ込んできた。私たちは両腕を掴まれて家の外に引きずり出される。外では他の中学からも連れて来たのかと思うほど大勢の紅衛兵が路地に溢れていた。そしてその外を黒山の人だかりが囲んでいた。家の中から何かが割れる音が聞こえる。まもなく紅衛兵が中から出てきた。

「この泥棒め!人民から盗んだ食糧で粥など作りやがって!主菜は大皿二つもあるじゃないか!」

「あんな大きな甕に水をたっぷり貯めやがって!人民から水を奪うことを許すことはできないぞ!」

「この書類は市政府のものじゃないか!さては盗み出して敵に売るつもりだったな?」

紅衛兵たちが口々にありもしない罪を並べ立てる。あんな夕食が贅沢だといえばここいらの家庭は皆贅沢していることになるし水道はいつでも使えるわけじゃないから水をためておかなければ生活はままならないだろう。そして、父親はいつも勤務中に片付かなかった書類を家に持ち帰って、他人の二倍も仕事をしているのだ。むしろ父親は模範的労働者として表彰されなければいけないはずだ。李青が勝ち誇ったように叫ぶ。

「まだ隠し事をしていやがったか!何か隠し持っているはずだ、服を調べろ!」

紅衛兵たちの遠慮の無い手が、ポケットを、人民服を、シャツを襲う。あっという間に全てのポケットは裏返され、上着は剥がされ、紅衛兵たちの手には父と母が大切に持っていた貴重品が握られていた。

「こんなに煙草を隠し持っていやがったぞ!この懐中時計はどうせ盗んだ奴だろう!このかんざしは何だ、没収だ!」

毎月ひと箱配給される煙草は父の少ない楽しみだった。時計は革命以前から持っていた宝物だ。かんざしは、母の嫁入り道具だったはずである。どこからか、あの三角帽子が持って来られて父と母にかぶせられる。二人は後ろ手に縛られると、紅衛兵の輪の中に引き出された。紅衛兵たちが二人を蹴ったり、語録で小突いたりする。

「さあ、自分の罪を述べろ!今この場で、人民に謝罪しろ!」

紅衛兵が声を合わせて責め立てる。

「私は何もやっていないぞ!こんなことが許されていいのか!」

父が抵抗する。無意味だ。紅衛兵が悪いといえば、隠居の婆さんでも反革分子になる。紅衛兵が父を殴りつけた。

「貴様は横領をしただろう!貴様のせいで食糧が不足しているのだ、この泥棒!祖国を食い荒らすウジ虫め!」

母はただただ泣いていた。もうどうすることもできないのはよく分かっているだろう。無意味に抵抗するでもなく、静かに受け入れていた。しかし李青にとってはそれが面白くなかったらしい。彼女は一同の面前に歩み出ると、声を張り上げて叫んだ。

「コイツは地主の娘だ!コイツは我々プロレタリアを見下し、蔑んで、あまつさえ病に苦しむ私の母に自分の子どもの世話をするように命令した!地主にとって労働者と農民は彼らの使用人だからだ!私たちが食糧を節約して祖国の勝利に貢献していた時もコイツらはいつも余分に食糧を持ち、我々を貧乏人と見下し、人民と苦しみを分かち合った毛主席を侮辱していた!売国奴だ!祖国の敵だ!このようなウジ虫を生かしておくことが許されるだろうか?」

すぐさま紅衛兵たちが応える。

「殺せ!殺せ!殺せ!」

両親は、紅衛兵に引きずられてがらんどうになった家の中に押し込まれた。入れ替わりに松明を持った紅衛兵たちが進み出る。家の外で揺れていたのは松明の灯りだったのだ。そして彼らは———私の家に、それを投げ込んだ。炎が立ち上る。誰かが油を撒いたと見えて、あっという間に家は炎に包まれた。

「お父さん!お母さん!」

思わず叫んだ。そして顔を殴られた。李青だった。

「だまれ!貴様の親は反革分子だ!階級の敵はあらゆる手段で人民に害をなす!貴様の親は犯罪者だ!今ここで、労農人民に親の罪を謝罪しろ!」

李青は、私を引き摺って燃え盛る家の前に跪かせた。私の両親は犯罪者などではないし、子どもがその罪を負う必要も無いはずだ。しかし今は従う以外の選択肢は無かった。

「私は…私は……」

自分のものでもない、ましてや犯してもいない罪を詫びる言葉はすぐには出てこなかった。突然、ぐいと頭が地面に押し付けられる。

「地に頭をついて謝罪しろ!貴様の両親を批判しろ!」

李青の声だ。しかし幼馴染の声だとは思えなかった。口々に「そいつも殺せ!」「このウジ虫め!」と叫んでいる紅衛兵と同じ、他人の声だった。


注釈一:人民解放軍 中華人民共和国の軍隊。思想教育や生産活動に取り組んでいたため当時人民の模範とされていた。毛主席語録は元々人民解放軍で思想教育のために作られたものである。

注釈二:紅衛兵 文化大革命初期に、毛沢東思想に従い、人民解放軍をまねした服装で「反革命分子の摘発」や「古い文化の刷新」を名目にして破壊活動を行っていた学生のこと。失脚した毛沢東が復権を目論み、当時の政府首脳部を攻撃するために学生を扇動して動員した。毛沢東の目的は達成されたが紅衛兵は次第に暴走し、毛沢東に対する攻撃さえ始めたので農民から教育を受けることを名目に農村に送り込まれた。

注釈三:毛主席語録 毛沢東語録、あるいは単に語録とも。毛沢東の発言・著作をまとめた、赤色の装丁でポケットサイズの本。これを覚えれば毛沢東思想を覚えることができる聖典のような扱いを受けており、文化大革命当時はあらゆる人民が携帯していて集会や朝礼の際には必ず読み上げられた。もし粗末に扱ったり、携行していないと非国民扱いされた。

注釈四:毛主席 毛沢東の敬称。

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