第25話 黒山羊さんはフリークス

 厨房から外に続くスライドドアを僅かに開き、そっと外の様子を伺えば、ずらりと並ぶニグラス人の顔。明らかに気質カタギではない、強面の捻れヅノの面々が勢揃いだ。


 これは、マズい。


 ショウガ湯とテルクシさんの歌を楽しんでいる間に、停泊所に停めたキッチンカーは完全に包囲されてしまっていた。


「……きっとシュブね。わたしを探しに来たんだわ。ほら、見て。一番背の高いニグラス人。立派なツノと獣の顔を持った彼がシュブよ」


 煌めく爪で隙間からそっと指し示しながら、テルクシさんはぼそりと呟いた。


 彼女が指す先には、確かに黒山羊の頭を持つ大男が立っていた。立派に捻れたツノを含めたら、3メートルを超えていそうなほどに上背のある人だ。


 彼の腕の中では暴れ散らかす毛玉の姿が。多分ケラフだろう。


 そこでふと思う。

 もしかして、この人カジノの上階から私を見ていたニグラス人では?


「大丈夫よ。シュブは怖いけど、いい人よ。わたしが中々楽屋に戻らないから、心配して探しに来たんだわ」


 怖くて、いい人?

 それって矛盾しているような……


「安心して、わたしの友達だって説明すれば、何の問題もないわ」


 そう言って彼女は厨房と外界を繋ぐスライドドアを開けた。

 ニグラス人の白い山羊の目が、一斉に私たちへと注がれる。


 ついでに銃口も向けられたので、私は慌てて両手を挙げた。

 オメガくんがずいっと一歩前に出る。陰に隠れろと言わんばかりに、琥珀の目を私に向けた。


 ありがとうオメガくん。

 でもオメガくん線が細いから、一斉に撃たれたら、多分私、当たると思う。


「シュブ、銃を下ろさせて。わたしなら大丈夫よ。怖がらせないであげて」

「だ、旦那。そうです。姐さんはここで歓談してただけで……アイツらは特に悪い奴でもなんでもないですよ」


 キッチンカーから降りるテルクシさん。その後を付き人のニグラス人が続く。

 テルクシさんは流星の尾のようにドレスの裾の軌跡を描きながら、シュブの元へと急いだ。


「テルクシ。いけませんね。舞台まで後1時間だというのに、こんなところで道草を食っていては……皆、貴方の歌を待っているのですからね。早く楽屋に戻りなさい」


 優しく声をかけるシュブの物腰は穏やかで、実に紳士的な宇宙人に見えた。

 反社会勢力の首領だとは到底思えないほどに。


 そんな彼の腕の中でうぎゃうにゃと暴れ散らかしているケラフだったが、どれだけ暴れてもシュブの腕から逃げ出すことが出来ずにいる。


「放せこのクソニグラス野郎! オレ様をペットみたいに扱いやがってっ!」


 ふーっ!

 歯を剥いて威嚇するケラフだが、シュブの白手袋で覆われた手が容赦なく彼の腹と喉元を撫でていく。地球の猫にそうするみたいに。


「あ、止めろ、クソっ、卑怯だぞっ! くそぉ」


 シュブの手がケラフの喉元をくすぐると、たちまち彼は力を失っていった。それどころかごろごろと喉を鳴らし始める。ケラフも地球の猫と一緒で喉が弱いみたいだ。


「……シュブ。わたし一人のためにこんなに大勢連れてくるだなんて……ううん、違うわ。他に何かあるのね? その毛玉さんと……ソラに関係があるのかしら?」

「ええ、この喋る毛玉のご友人も探しておりまして……まさか貴方がこの毛玉のご友人だとは思いませんでしたよ、

「――地球人? 滅んでしまったあの星の?」


 テルクシさんの問いにシュブは答えない。

 ただじっと私を観察するように見つめている。その横長の瞳孔で。


「ワタクシはシュブ=ニグラトフ。当カジノのオーナーです。こちらの毛玉がワタクシの従兄弟を出せと暴れ、他のお客様方にご迷惑をかけておりましたので……ご友人がたと共にご退場願おうかと思い、こちらの船のところまで来たところ」


 なんと、と彼はどこか演技っぽい声色で声を張る。


「驚いたことに我が歌姫と、そして……地球人が姿を見せた。これほどまでに驚いた日は1000年ぶりですよ」

「貴方の目的は……ソラさんですか? わざわざオーナー自身がカジノの外に出るだなんて、これほどまでに珍しいこともありません。粗相をした客人を帰すだけならなおさらそうでしょう。貴方の側近を使えば良いだけの話です」


 オメガくんの声はいつものように淡々としていたが、その表情は険しいままだ。

 シュブを睨み、聡明な電子頭脳で何かを計算しているようだった。


 後ろに控える私にも聞こえる。

 オメガくんの体から仄かに発せられている、負荷をかけすぎた時のパソコンが悲鳴を上げている時のような、そんな音が。


「そう警戒しないでくださいΩ500型」


 シュブの言葉に側に控えたニグラス人たちがどよめいた。


「Ω500型っ?! 旦那、コイツ平和維持軍の兵隊アンドロイドだって言うんですかっ!」

「シュブ様、一刻も早くこの者たちをべきです。軍を呼ばれては危険です」


 緊張感が一気に高まった。

 キリキリと張りすぎたギターの弦みたいに、何時はち切れるかも分からない。

 そんな緊張感に息が詰まりそうになる。


「ワタクシは……」


 そこでやっとシュブはケラフを解放した。

 ふぎゃ、と猫っぽい悲鳴を上げて転がり落ちるケラフ。地面に着した彼は四足歩行で駆け出すと、開けっぱなしの厨房のドアの向こうへと逃げ込んだ。


 そんなケラフに目もくれず、シュブは悠々とした歩みでこちらへと近寄ってくる。

 3メートルはあろうかという巨体が、巨大な捻れヅノを揺らしてゆらりゆらりと、蹄を鳴らしながら歩みよる。


「ソラさん! すぐにキッチンカーに戻ってください! 運転席に緊急ジャンプボタンがあります。それを使って、第57支部――シュテン大佐の元に戻るんだ!」


 オメガくんの右手が銃身へと変形する。

 その銃口をシュブに向ければ、彼の背後に控えたニグラス人たちが一斉にオメガくんに照準を定める。


「ニグラス人の相手は僕がっ……!」

「シュブ、酷いことはしないであげて。この子たちは悪い子ではないわ」


 最早戦闘は避けられないかと言わんばかりの剣呑な雰囲気の中で、私はオメガくんの指示通りに逃げることもしないで、じっとこちらに歩み寄るシュブを見つめていた。


「ソラさん、早く、危険です」

「……大丈夫だよ、オメガくん。根拠はないけど……」


 彼の視線に敵意は感じられなかった。

 ただ、彼は興味深く私を観察しているのだ。


「そう、大丈夫です。ワタクシは、ただ」


 私の面前まで歩み寄ると、シュブはにわかに膝を突いた。

 目線を私に合わせようとしたのだろう。


 間もなく、白い手袋で覆われたシュブの手が、私の頭目がけて伸びてくる。

 ほんの少しだけ体に力を入れると、シュブの動きを待った。


 大丈夫。多分。大丈夫。

 そう言い聞かせながら。


「もう一度、地球人と触れあいたいだけなのですから」


 そう優しく語りかけると、大型犬を撫でやるように、シュブは私の髪をもしゃもしゃと掻き乱し始めた。


「……へぇ?」


 何かされるとは思っていたが、まさか、撫でられるとは。

 私は素っ頓狂な声を上げていた。


「ああ、この感触。変わりませんねぇ。懐かしいですよ。ほら、ご覧なさいテルクシ。この丸い耳を。不思議でしょう。地球人はみな、耳が丸いのですよ」


 オメガくんを除いた周囲の皆が、ほっと胸をなで下ろす。

 張り詰めていた緊張の糸が緩んだ瞬間だった。


「もう、シュブ、驚かさないで。この子たちを打ち上げるつもりなんじゃないかって、心配になったじゃない」

「ワタクシが? 地球人を? 理由もなく? テルクシ、ワタクシがどのようなニグラス人か知っているでしょう?」

「……分かってるけど、でも、貴方って冗談かと思ったら本当に打ち上げちゃうじゃない。この間だって……」


 テルクシさんの溜息を余所に、シュブはやや興奮した様子で語り始める。


「この黄色い肌、黒い髪。島国の人間でしょうね。どうでしょう? 合っていますか?」

「……、は、はひ、合ってます。合ってまふから、頬をひっぱるのは止めてくださひ……」

「ふふ、でしょう。このワタクシが間違うはずがありません。誰よりも地球植物を愛する、地球狂いフリークスのワタクシが、ね?」


 シュブはどこか誇らしげにそう言った。

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