第21話 麗しの歌姫


 降りかかった女性の声に、ニグラス人がはっとした様子で捻れたツノの向きを変えて方向転換。


 彼が視線を向ける先には、螺鈿らでんのように虹色に輝く白のドレスに身を包んだ美貌の女性が立っていた。


 豊かにウエーブのかかった深緑の長い髪に、豊満な体。肌の色は薄い水色をしていて、目は薄荷色。耳のある位置からは、魚のひれのようなもの伸びている。

 何より見事なのは、天使の翼のように彼女の背中から広がる一対のひれの存在だ。


 しっとりと濡れた雰囲気を漂わせる美女に私は〝人魚〟を連想していた。

 下半身は人間のそれによく似ていたけども、私はそう思わずにはいられなかった。


「姐さんっ……でも、コイツが通路のど真ん中で……」

「目障りだったら突き飛ばしても良いのかしら? だったら、わたしが貴方を目障りだからとこの島の外に放り出しても良いの?」

「いえ、それは……」


 けほ、と一つ、空咳をこぼしながら、姐さんと呼ばれた女性はニグラス人に氷みたいに冷たい視線を浴びせた。


 青黒い顔からさらに血の気を引かせたニグラス人。

 すっかり萎縮した様子で閉口している。


「けほっ……、ん、ごめんなさいね。お嬢さん、お怪我はない?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

「せっかくの遊技場なのに、嫌な思いをさせてしまったわ。許してちょうだい」

「いえ、気にしないでください。私も通路を塞いでしまっていたので……」


 私の答えに表情を明るくさせた女性は、ド派手なスーツを着たニグラス人を引き連れて人混みの海の向こう側へと消えてしまった。


「綺麗な人だったな……」

「彼女はセイレーン族。アンテ・モエッサという星に住まう知的生命体で、彼女たちは歌を得意としています。その美声は知的生命体を陶酔させ、癒やしを与えるとされています。様々な劇場や舞台、星間放送、あるいは平和維持軍の慰問会などで活躍していますね」


 流石オメガくん。

 私の知りたい情報をタイミング良く教えてくれる。


 セイレーン、か。ギリシャ神話にもそんな種族がいたような。

 歌で人を惑わして殺しちゃう。だけども、先ほどの彼女は、そんな怖い化け物のようには見えなかった。


「そして、彼女自身についての情報ですが……」

「あの人の情報もあるの?」

「ええ、平和維持軍が要注意人物としてマークしている人物でもあります」

「そんな悪い人に見えなかったけど……」


 でも、裏カジノにいる時点で、普通の人ではないのは確かだ。


「彼女の名前はテルクシ。このカジノの歌姫と呼ばれており、定期的に舞台に立って歌唱を披露しているようです。また、黒山羊会バフォメット領主シュブの恋人だという話も」


 つまり極道の妻ってこと?

 いや、恋人という時点じゃ極道の妻ではないだろうけど。


 ともあれ、そんな怖い立場の人のお付きとぶつかってしまうとは。

 やはりカジノは恐ろしい場所だ。

 パンの捜索にも一層を引き締めて行かないと。


 私がそう思った時、きらりと何かが放つ光が目に留まる。

 赤い絨毯の上、転がるのは白い――ネックレスだ。


 さっき、突き飛ばされた時はこんなもの床の上に転がっていなかったはずだ。


「落とし物かな」


 白い貝殻を加工して作ったと思しきチャームが付いている。

 しかもこのチャーム、ロケットだ。落とした衝撃で開いたのか、中に収まっている写真が顔を見せている。


 そこには元気そうにはにかんで笑うセイレーン族の少女の顔が。

 テルクシさんに似ているけど、彼女本人の写真ではなさそうだ。


 家族? 妹とか、それとも娘とか?

 いずれにせよ、これがテルクシさんのものであって、そして大切なものであることには違いない。


「オメガくん、さっきのテルクシさんがどっちに行ったか分かる?」

「階段を上っていったのが見えたので……」


 オメガくんが顔を上げ、ぐるりと拓けた吹き抜けの天井を見渡した。

 大きく目を見張り、ぎょろぎょろと高速で眼球を動かす姿は……うん、ちょっと怖い。


 右に左に忙しく動いていたオメガくんの琥珀の瞳は、ある一点を捉えた瞬間にぴたりと動きを止めた。

 どうやら見つけたらしい。


「三階の……ああ、奥に行ってしまいましたが、位置的に外を観覧出来るテラスに出たのではないかと」

「ありがとう。ね、このネックレス届けに行こうよ」

「パンの捜索はどうするのです? 彼女の元にネックレスを届けたいのであれば、その辺りのニグラス人に渡せば良いのでは?」

「ほら、シュブって人の恋人だって噂が本当なら、あの人ここのことに詳しいと思うしさ。ネックレスのお礼に彼女からパンについて聞けるかもしれないよ」


 恋人の噂が違ったとしてもここで働いてることは間違いない。

 パンのことは何か知っていると見ていいはずだ。




 豪華絢爛な生演奏の舞台。

 その脇にある、ぐねぐねと蜷局を巻く蛇みたいに柱に巻き付く螺旋状の階段を三階分上って、私は大きく息を吐いた。


 アンドロイドだからかオメガくんはものすっごく足が速い。

 彼の背中を人混みで見失わないように追いかけていただけで、私はすっかり息が上がってしまっている。


「大丈夫ですか?」

「だいじょうぶ、だけど、ちょ、まって、オメガくん……」


 私は生まれたての子鹿もかくやと言わんばかりに震えている膝に手を突いて、深呼吸。乱れた呼吸をゆっくりと整えていく。

 そんな私の隣に立つオメガくん。琥珀色の双眸で、三階フロアの奥を見つめている。


「あの奥にテルクシはいるでしょう。現にあの付き人のニグラス人が見張りのように立っています」

「ホントだ。よし、うん、もう大丈夫。行こう」


 足の震えが収まったのを確認すると、私はオメガくんと一緒にテラスへと続く通路を進んで行った。

 オメガくんが言ったとおり、例のニグラス人はテラスに続く大きなガラス扉の前に立っている。彼は白い縮れ毛の髪と同じ色をした目で私たちを見つけると、威嚇するように蹄を鳴らした。


「おい、さっきの蛮族か? 何の用だ。このテラスは今貸し切りだ。一般人が入って良い場所じゃねえんだよ」

「彼女の落とし物を拾ったんです。それを届けに来ただけですよ。この先に彼女はいるんですか?」


 私がジーンズのポケットから白い貝殻のネックレスを取り出して、見せつけるようにして掲げてみれば、ぎょっと柄の悪いニグラス人は目を大きく見張った。山羊っぽい横長な瞳孔が、焦りの色を宿している。


「それは姐さんの! おい、寄越せ!」


 歪に爪の伸びた手を伸ばし、私の手からネックレスを奪い取ろうとするニグラス人。


 あ、やばい取られる――と思ったら。


「オメガくん」


 オメガくんがニグラス人の手を引き掴んで止めていた。


「……おい、テメエどんなつもりだ」

「異星人に対して無礼な態度をとってばかりの貴方のような野蛮な人に渡しては、せっかくのネックレスも傷が付きそうです。ですので、僕たちが直接、テルクシ嬢にお渡ししたいと思いまして」


 オメガくんはいつになく喧嘩腰だった。

 ニグラス人は渾身の力でオメガくんの手を払おうとしているけど、最新型の軍用アンドロイドの腕力には敵わないみたいだ。


「クソ、何だ? 姐さんに会いたいってか? お前らみたいなどこの田舎の星からやってきたかも分からねえ蛮族が、あの歌姫テルクシ姐さんと直接話せると思ったのか? 姐さんは今、お休み中なんだよっ! これから舞台で……」

「――通してあげて」


 壮大な海の波を思わせる豊かな深緑の髪がガラス扉の向こう側から顔を見せている。

 テルクシさんだ。

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