第6話 宇宙トビウオの襲来

 皿の上にはほんのり焼き色の付いた白いクッキーが六枚ほど並べられている。

 このクッキーを、私は完全栄養クッキーもどきと名付けた。


「中々上手くできたんじゃない?」


 粗熱が取れるまで少しクッキーもどきを休ませてから、一つ手に取ってみる。

 ぱっと見は形の悪い円形のクッキーだ。かつて作ったプロテインクッキーと形もよく似ている。


 匂いらしい匂いはほとんどない。

 ほんのり焦げた香りが漂っているくらいだろうか。


 そのまま口に運び、歯を立てる。

 

 うーん、やっぱりちょっと堅いし、表面の粉っぽさは相変わらずだ。口内の水分を吸って、ネトネトのヘドロに変わるのも一緒。


 そもそも、人工甘味料を混ぜて焼いただけだ、口当たりが良くなることは期待していなかった。


 大事なのは、味だ。

 私はかぎりとクッキーを歯でへし折って、そのまま咀嚼した。


「どうでしたか?」


 オメガくんが訊ねて来る。

 私は眉間に皺を寄せつつ、一つ、呟いた。


「……、案外悪くないかも」


 やはり甘味。

 甘味が私の飢えた心を満たしてくれていた。

 正直、これが地球で売られていたクッキーだとしたら、私は不味いの一言で断じていたことだろう。


 ただ、ほんのりと感じる甘味が、一週間チョーク地獄を味わってきた私の魂を救済してくれた。


 よって評価は星四つ。


 ただ、これだけでは満足は出来ないだろう。

 このままでは、いずれ飽きが来る。

 もっと美味しく出来るはずだ。


 一枚クッキーを食べ終えたところで、二枚目にも手を出しながら、私は考えていた。


 人工甘味料はダイエット清涼飲料水にも使われている。

 同じゼロカロリーを用いているのに、あの飲料が美味しいのは、多分……フレーバーのおかげだ。


 匂いが人間の食に密接に関わっているのは、誰しも知っていることだろう。


 酷い風邪を引いたときに、味が分からなくなるのは、鼻孔が炎症を起こして詰まり、匂いを感じ取れなくなるからで。


「ね、オメガくん、人工甘味料が復元出来たなら、香料も作る事って出来るのかな」

「検索しています。少々お待ちください」


 機械的な返答より数秒後、オメガくんは「そうですね」と答えた。


「このアメノトリフネに積まれている資材から生成出来る、人工香料はいくつかあります。例えば、エチルバニリンであれば、比較的容易に作ることが出来るかと」

「エチルバニリン……バニラ?」

「エチルバニリンは、地球の甘味であるアイスクリームにも使われている人工香料の一つだとか」


 私は囓っていた完全栄養クッキーもどきに視線を落とした。


「……これにバニラ風味を付けたら……いけるかも?」


 もし、そのエチルバニリンとやらが手に入れば、このクッキーもさらなる改良が期待出来そうだ。

 そう思った時。


「――わっ!?」


 ぐらん、と部屋が大きく揺れた。

 まだ手つかずだったクッキーたちが、衝撃で転がり落ち床の上に散乱する。


 地震? いや、そんなはずがない。この船は宇宙空間を進んでいるのだ。

 地面もないのに地震が起きるはずがない。


「ソラさん、大丈夫ですか?」


 突然の振動に顔を険しくさせたオメガくん。

 ベッド脇にある丸っこい窓へと急ぎ足で向かうと、代わり映えのしない宇宙空間をじっと睨んだ。


「い、いったいなにが?」

「……例のものと遭遇したのでしょう」

「そ、遭遇って何と? 平和維持軍が戦ってるっていう帝国軍とか?!」


 地球をたった一発の弾で滅ぼした兵器を持つ、コール・ハウル・イエル帝国軍。

 そんなのと遭遇したとなれば、一大事だ。

 エチルバニリンがどうとか、料理がどうとかの話ではなくなってしまう。


 オメガくんは窓から顔を背けると、「いえ、安心してください」と私の目を見て言った。


「我が部隊が担当、巡回しているこの銀河は、連邦の中でも僻地の中の僻地。このような場所に帝国軍が現れるはずがありません。交戦地もここから何千億光年も離れた銀河ですし」

「じゃあ、なにが……」

「ここしばらく我が部隊が追いかけていた――」


 オメガくんがそこまで口にしたところで、ノイズ混じりの船内放送が調理器具に溢れる部屋に轟いた。


『各自持ち場につけ! 予想通り、ここらを荒らしてたのは宇宙トビウオの群れだっ!』


 それはシュテン大佐のがなりたてる声だった。


「……と、トビウオ?」


 トビウオと言えば、あのトビウオだろうか。

 虫の羽のような胸びれと腹びれを持ち、大海原から飛び出し海上を滑空する、あの美味しい出汁が取れる魚類。


 塩焼きにしても旨いし、鮮度が良いトビウオは刺身にしても美味しい。

 可食部の少ない小ぶりなものは焼いて、水分を飛ばして焼きあごにする。その焼きあごから取れる出汁がこれまた旨いのだ。


「ええ、宇宙トビウオです」


 オメガくんが言うように、このトビウオは〝宇宙〟という冠がついている。

 宇宙のトビウオ。

 多分、海の代わりに、宇宙を泳ぎ回っているのだろう。いや、飛び回っているのかもしれない。


 オメガくんは宇宙トビウオについて軽く説明してくれた。


「宇宙トビウオは惑星間を移動し、星々のエネルギーを食らう厄介な宇宙生命体です。アレは放っておくとどんどん増えて、最後は星を食い荒らす宇宙災害と成り果てます」

「説明を聞くと、ほとんど砂漠トビバッタみたいだね」


 何年か前に、アフリカの方で砂漠トビバッタが異常繁殖し、アフリカ大陸から中国にかけて大移動しては、地域の食物を食い荒らすという蝗害のニュースがあったのを思い出す。

 その時のニュースでは対象地域の50パーセントの農作物が被害にあったとか。


「砂漠トビバッタ……そうですね、ソラさんの認識で間違っていません。さて、大佐からの招集です。僕もいかなくてはなりません。宇宙トビウオは実に厄介でして、駆除にはとにかくアンドロイドの頭数が必要ですからね。ソラさんは宇宙トビウオの駆除が済むまでの間、ここで待っていてください。場合によっては先ほどのように大きく船内が揺れることもあるでしょう」


 アンドロイドらしく、息継ぎなしで矢継ぎ早に捲し立てると、オメガくんはこの部屋を出ていった。


 彼の言葉通り、この部屋でじっと待っていた方が良いのだろうと思う。


 だが、今の――食に飢えた私の体は、トビウオという単語にもう夢中だったのだ。そこに〝宇宙〟という単語が付いていようが、関係なかった。


 甘味という心の清涼剤を得た今の私の体は、生々しいタンパク質を求めている。


 気付けば私はオメガくんの後を追い、部屋を出ていた。

 純白の廊下を突き進む軍服の背中を全力疾走で追いかける。


「そ、ソラさん? どうしたんですか?」

「私もついていく。その宇宙トビウオ、すっごく気になるの」

「地球人は真空に耐性を持っていないでしょう? アンドロイド以外が宇宙空間に出るのは危険です」

「そりゃ持ってないけど。どんな生き物なのか、船の中から見学だけでも。あなたの仕事の邪魔だけはしないと約束するから」


 私の懇願に、オメガくんは観念したようだった。


「……分かりました。付いてきてください。シュテン大佐の元に案内します」

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