第3話 生徒会長戴冠式 下

 4月下旬、爛漫と咲き誇っていた花は完全に散り、青葉に生えそむる頃、僕たちは生徒会長戴冠式を迎えた。

 学園敷地内の「生徒たちの森」と呼ばれる園芸部辺境伯領えんげいぶへんきょうはくりょう植物園のなかに湧水を湛える大きな池があり、そのほとりに古びた教会が建っている。そこが代々生徒会長戴冠式が執り行われる場所であった。

 その教会は木造ゴシック建築であり、外壁は白漆喰で白亜に塗られていた。ファサードには草花模様のステンドグラスが嵌められ、尖頭アーチ形の開口部とその上に小尖塔がひとつ据えられている。

 前室を経て、内部は背の高い身廊と2つの背の低い側廊からなる三廊式構造をとなっており、大アーケード、トリフォリウム、クリアストーリーの3層による典型的なゴシック様式を採用し、天井は交差リブ・ヴォールト天井で、4本の柱で囲われた1つの区画の天井を、リブで四分割する四分ヴォールトとしている。クロッシングからは南北に翼廊が延び、上空から見ると教会が十字架の形をしているのがわかるという。いわゆるバシリカ型というやつだ。

 聖歌隊席クワイヤの向こうにあるのがサンクチュアリであり、内陣と呼ばれるところだ。そこには聖餐台が置かれ、その奥内陣中央部にはルーベンスの「十字架降架」を模したであろう三連祭壇画があった。内陣の両翼は獅子、天使、鷲、雄牛の彫刻や大天使ミカエルとガブリエルの聖像が配されていた。

 身廊に普段置かれている礼拝のための長椅子は全て取り除かれ、広々とした空間が生まれている。身廊と側廊の間の列柱には布飾りが渡されている。僕や物部先輩たちが昨日の放課後に会場設営をしたのだ。

 放課後午後3時、花曇りの空の下、小尖塔に据え付けられた鐘が鳴る。その鐘の音は時の流れを波動としてこの世界に浸透させ、その波で空間は揺めき、新たな位相へと空間を誘う。そして、その鐘の音が止み、一切の音のない静謐な時間に包まれたこの空間のなかで生徒会長戴冠式が始まった。

 西の扉から校旗を掲げた物部先輩を先頭にして、次に大伴先輩と中臣先輩、その次に僕、僕の後ろには風紀委員が、そして一番後列に襲ユリが、というような段列で祭壇へとゆっくりと歩いていく。

 諸侯たちは身廊の両側に居並んでいる。集まった諸侯は30ほど、出席していないのは「大公」や「公」と称される学園屈指の大部活の長たちだけらしい。ということは学園のほとんどの勢力が来たと言っても過言ではない。これは僥倖かもしれないな。

 諸侯たちは制服に飾緒と胸章をつけて飾帯を右肩から掛け、マントを羽織り模造刀を佩用している。衣装だけは近代っぽいなとツッコミたくなったが、中近世ヨーロッパのあのド派手でぶっ飛んだ貴族の衣装よりこっちの方が現代人の僕たちからしてみれば断然見栄えは良いので何か察してしまう。もちろん僕たちも諸侯たちと同じような出立ちであるが一人だけ他とは異なる服装に身を包んだ人物がいる。それはもちろん襲ユリであり、彼女は制服には諸侯と同じように胸章、飾帯、飾緒を身につけ模造刀を佩用しているが、その着ている制服は学校指定のブレザーではなく詰襟で、ロングスカートを履き、黄金のフルール・ド・リスの紋章をあしらった藍色のマントを羽織っていた。

 ところでこの戴冠式の進行は僕たちではなくて仏暁学園風紀委員長聖十字ヒカリせいじゅうじひかり、学園の風紀の維持を担う委員会である風紀委員会の長が執り仕切ることになっている。

 そもそもこの仏暁学園には、かつて風紀、図書、保健、放送の4委員会が存在し、学園生徒が学園において健全かつ有意義で自由な学園生活を送るための精神的領域の守護職を分掌して担っていたが、昨年彼女主導のもと事実上風紀委員会に吸収される形で4委員会は統合されたらしい。とんだ女傑である。

 僕はちらと彼女を見る。彼女は金糸刺繍が縫われた純白の司祭服を制服の上に纏い、首からロザリオ・ネックレスをかけている。そして、配下の風紀委員たちも制服の上に祭服を着ているが、彼女ほどの煌びやかさと高潔さはない。

 彼女は襲ユリとは違った美しさを持った女子である。艶のある長い黒髪で理知的でクールな雰囲気を帯びながらも柔和で愛嬌のあるかんばせの正に正統な清純派系の女子だ。しかし、しかしだ、僕は妙に引っかかるところがある。司祭服の隙間、瞳の輝き、所作のひとつひとつにそこはかとなく妖しげな雰囲気と艶やかな色香が漏れ出ているのである。僕はふとのボッカッチョの「デカメロン」が頭によぎる。聖職者の堕落……まさかそんなわけあるまい。いやないはずだ。これは僕の思い込みに過ぎないのだ。もうこれ以上は考えないようにしよう……

 僕たちは聖歌隊席に、襲ユリは聖餐台の前へと歩を進めた。

「仏暁学園生徒諸君に宣す。この襲ユリが紛うことなき、疑いようのない第43代仏暁学園生徒会長である」

 聖餐台の前に立つ襲ユリを列席する者たちに聖十字ヒカリが紹介をする。

「我々仏暁学園風紀委員会は貴君の治世において正義と自由と平和を希求し、この学舎にて学を修め、この現世うつしよにて身を立てんとする学園生徒の安穏たる学園生活を護持する守り人たらんとすることを誓う。

 そこで、新たな仏暁学園生徒会長に問う。かたく学園の不滅と栄光を信じ、任重くして道遠きを念い、道義を篤くし、志操を堅くし、誓って校訓の精華を発揚し、その身を学園と学園生徒の為に捧げんことを期するか?」

 襲ユリはゆっくりと皆を見渡す。

「長くとも短くとも、私の全学生生活をあなたがたのために、そして私たちが属する偉大な学園のために捧げることをあなたがたの前に誓います」

 そして、彼女はそう誓いの言葉を述べる。その言葉を聴いた聖十字ヒカリはゆっくりと頷く。

「この私、仏曉学園風紀委員長聖十字ヒカリが襲ユリに生徒会長の冠を戴冠する」

 襲ユリの頭に風紀委員長の手自らによって学生帽を戴冠され、続けて生徒会長御璽せいとかいちょうぎょじが渡される。

 今この瞬間に彼女、襲ユリは仏暁学園高等学校生徒会長になったのだ。

 本来ならばここで諸侯たちが「神よ、生徒会長を救いたまえ!」と叫ぶかそれに準ずるようなことをするはずである。しかし並いる諸侯たちは誰1人として拍手もしなければ世辞も言わず、ましてや讃えもしない。ひたすらに無関心で無表情だった。物部先輩たちも抗議の言葉の一言でも諸侯に言いたげな面持ちであるが、その言葉が発せられることはない。拳を震わせ、歯軋りし、憎たらしい目つきで彼らを睨むだけだ。それだけで彼女がどういう立場であるのかが痛いほど分かった。

 僕は今まさに豁然とこの学園のことを諒解した。この学園には諸侯と称されるような強大な力を持つ各部活・同好会の部長・同好会長が存在して、彼らは学園を統べるべき存在である生徒会長をもこうやって蔑ろにできるほどであり、生徒会長は何もできない。生徒会も生徒会長もただの学園の象徴でしかない。ただただ無力なのだ。諸侯は自立し、学園を空間的にも支配する。それに正当性を与えているのが封建的主従関係だ。それは本来ならば生徒会長が彼が持つ権限を各々のしかるべき地位にいるものたちに移譲し彼らの自主性を尊重する、そして彼らはそれに生徒会の施策を輔弼し、生徒会長ひいては学園そのものに対しての忠誠を誓うことによって報いるという関係性であるべきなのだ。しかしそれは生徒会長と彼らとに硬い紐帯があってこそ成り立つものだった。その限りにおいてそのシステム自体は最も合理的な学園統治方法であった。しかしそれは学園を喰い殺す結果となった。今や意味は失われ、諸侯と呼ばれる彼らの存在を肯定するためだけの形骸化したシステムに過ぎない。だが、それは身体を蝕む癌のようにもうその論理は長い時を経て変異しレイヤーとか愛好家が内輪でやる〜設定とかのレベルではなく、学園全体にその論理が通用する仕様になってしまったのだ。彼女はそんな怪物に闘いを挑もうとしているのだ。そんな彼女を僕は英雄のように思っていた。そして今この状況も彼女は「面白い」と武者震いしているだろう、と彼女の方を見た。

 彼女は屹然としていた。その佇まいに僕はやっぱりそうだ彼女はこんなことでへこたれるような人ではないのだ、と思ったがふと違和感を覚えた。彼女の存在がいつもと違って小さく見えるのだ。それは遠近感の問題とかそういうものではなく、この空間において居並ぶ諸侯や風紀委員長と比して彼女が凄くちっぽけなものに僕には見えるのだ。僕は彼女をじっと見る。

 彼女はなんとか堪えているが、悔しさを滲ませ、そして恐怖に怯えるような、泣きそうな顔をしていた。僕はガツンと鈍器で頭を殴打されたような衝撃を受けた。何となく漠然と彼女はそんな弱さを見せない、いやそんな弱さなど無い強い人だと思っていた。しかし違ったのだ。どんなに気を強く持とうがそれは張子の虎でしかないのだ。どんなに彼女が癪に思おうが文芸部は弱小の部活であり、どれだけ気を強く持とうがこんな儀式をしようがなんら権力のない生徒会長に過ぎない。そしてなによりそんな学園内の肩書きの前に彼女は1人の人間でしかないのだ。僕は何を見ていたというのか?なぜそんなことすら気づかなかったのか?付き合いがまだ浅いから、そんなものは理由にならない。彼女に忠誠を誓う封臣として主君に奉仕し支えるのは僕に課された義務なのだ。僕は何をしているのだ、ただ押し黙ってあるだけじゃダメだろう?僕が今やるべきことはひとつだけじゃないか。

「気高き襲ユリよ!神によって冠を授けられ、この学園に平和と秩序をもたらす偉大な生徒会長に、命と勝利を!」

 僕は拳を突き上げて叫ぶ。僕の声は重く滞留する沈黙の空気を振り払うかのように聖堂のなかによく響いた。皆驚きの表情を見せている。僕のその姿を見て物部、中臣、大伴も拳を突き上げて僕と同じ口上を言う。

 僕たちのその姿を見てポツポツと何人かの諸侯らが拳を上げる。勿論、その突き上げられた拳はここにいる全員の数には到底足りない。だが、いまはそれで良い。いつの日か彼女に学園のあらゆる生徒が畏怖し、跪き、正義と敬愛と忠誠を己が剣にかけて彼女に臣従を誓う、その時がくれば良いのだ。

 彼女は僕や物部先輩たちを見て、いつものように笑う。もう悲痛な顔はしていない。彼女は爛々と輝くその眼で諸侯たちの方を見る。強大で華麗な敵たる彼らもまた同じように彼女を見る。その時である、クロッシング上のドームから差し込む柔らかな陽光が十字架と彼女の姿とを照らし出した。空が晴れたのだ。彼女は光に包まれ、輝いているようであった。まるで彼女を神が祝福しておられるようだ。諸侯たちは少し気圧されているように見えた。

「さて、わたしの生徒会長戴冠式は終わったわ。続けて史部干城の文芸部員叙任式を行うわ」

 彼女はそう宣言する。その声は教会の中に、そして僕の耳朶にじんわりと沁みこんでいくようであった。

 僕は襲ユリの前に歩み出て跪く。彼女は事前に聖餐台の上に置いた模造刀に祝別していう。

「彼が、教会、寡婦、孤児、あるいは異教徒の暴虐に逆らい神に奉仕するすべての者の保護者かつ守護者となるように」

 彼女は振り返って僕に身体を向け、微笑み、祝別の言葉を寿ぐ。

「まさに騎士になろうとする者に、真理を守るべし、公教会、孤児と寡婦、祈りかつ働く人々すべてを守護すべし」

 聖十字ヒカリが聖餐台の模造刀を取り、襲ユリに渡す。模造刀はいちど鞘に収められ、いよいよ佩剣だ。

 襲ユリは引き抜いた模造刀の腹で僕の両肩を叩く。そして鞘にまた収め、彼女は模造刀を吊した帯を僕に付け、僕は立ち上がって三度剣を引き抜いて、鞘に収める。

「貴方様に頂くこの剣に我が忠誠を誓い、貴方様にこの身を捧ぐ。そして、この運命を導きし天にまします我らが主の永遠の栄光を讃え、主の恩寵に感謝し奉る」

 僕は恭しくこうべを垂れて拝跪礼をし、誓いの言葉を述べる。

 そうして厳かに剣を腰に帯びた僕に対し、彼女は最後に一旒の旗幟を僕に手渡す。

 青地に金色の百合の紋章と剣が描かれた旗、これが僕がこの学園において何某かの部活・同好会の長たる伯の封臣、つまり部員・会員であることを証明するものであり、高貴なるものに付随する義務ノブレス・オブリージュを果たすことを学園に期待された証でもある。

 こうして僕は文芸部員に叙されて、文芸部副伯、文芸部印刷室文芸部伯代理、生徒会長筆頭侍従官、生徒会庶務の4つの職位と文芸部伯領南部の知行権を与えられたのだ。

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