4.第一夫人と異母兄妹

 〝依代〟候補は、魔力を多く持つ者、とりわけ十代の少年が選ばれるのが慣例だった。過去の依代は、みなそのような少年の中から選ばれたからだ。

 ゆえに、条件に合致しそうな貴族子息の意気込みは、相当なものである。

 テオドアの身近にもいるから、よく分かる。


「母上、いかがですか? これが俺の、学院での成果です」


 誇らしげに封筒を差し出すのは、つい先日、取り巻きとともにテオドアを転ばせて水を掛けた兄――パウラロベルト・ヴィンテリオ。通称パウラである。

 パウラの母である第一夫人は、普段釣り上がっている目尻を下げ、大切そうに封筒を受け取って開いた。

 

「まあ。学院長直々の推薦状ですって……?」

「そうです。学年、いえ、学院中を集めた統一実技試験で、一番になりました。学院長にも、六年生でここまで最上級生を圧倒できるのは創設以来の快挙だ、とお褒めいただきました」

「十六歳で王宮魔術師に推薦されるなんて、滅多なことではありません。よく頑張りましたね、パウラ」

「いいえ! 推薦はあくまでも通過点です。俺は〝依代〟となるのですから!」

 

 当主のいない夕餉ゆうげの席。屋敷の広い食堂で、第一夫人とその子どもたちが楽しげに談笑していた。

 第一夫人の子は四人だが、そのうち一番年上の長女は、既に縁あって別の貴族のもとへ嫁いでいる。

 ここにいるのは、テオドアより三つ年上の異母兄・パウラと、一つ年上のツィロ、それからもうすぐ四歳となる異母妹のルネリーゼだけだった。

 当然のように、第二夫人はこの場にいない。


 ではなぜ、テオドアがここにいるのかというと……脅されたのだ。端的に言えば。


 発端は、仕事から帰ってきたばかりのテオドアに、パウラ配下の召使いたちが絡んできたところからだ。

 それも、妙に下手に出るような口振りで。

 

「我々は、このあと食堂で支度をしなければならないのですが、どうしても体調が優れず……。しかし、お勤めができなければすぐにクビにされてしまいます。どうか今日だけ仕事を代わっていただけませんか」


 テオドアとて――穏やかな物腰から誤解されがちだが――そこで代わってやるほどお人好しではない。

 それに、彼らは、こちらを小馬鹿にしたような振る舞いを隠しもしない。口調ばかりは丁寧でも、時折ニヤつく口元や、会話に加わっていない者たちの見下した視線で、彼らの魂胆はすぐに知れた。

 またなにか、陥れようとしているんだな、と。

 そう思って素気すげなく断った。すると、召使いたちは態度をがらりと変え、脅しつけるように捲し立ててきた。


「うるせえ、ゴミが! いっちょ前に断ってんじゃねえ!」

「お前みてえな無能が貴族ヅラしてんのがムカつくんだよ!」

「魔力無しは黙って従え! 奥さまのお情けで置いていただいてる身分のくせしてよぉ!」


 ゴロツキも真っ青な恫喝どうかつを浴びせられながら取り囲まれ、一人が代表してテオドアの腹を殴った。二十代そこそこの男が、十三歳の少年を本気で痛めつけたのである。

 何度か殴って気が済んだらしく、召使いが手を止め、うずくまるテオドアに言った。

 ――もし、言うことを聞かなければ、お前の母親がどうなっても知らないぞ、と。


 あの下卑た笑い声が、耳にこびりついて離れない。

 もちろん、母は強い。あの召使いたちが束になってかかっても、魔法を極めた彼女には指一本触れられないだろう。

 そうだと分かっていても、万が一のことを思うと、従わざるを得なかった。

 これ以上、彼女を煩わせたくない。その一心で、青痣だらけで痛む腹を無視し、公爵家の夕餉の配膳に参加した。

 

 すべての料理を提供し終え、さっさと退出しようとするテオドアを、嫌な笑顔を浮かべた二人のメイドが引き留める。

 腕を引き、出入り口から引き離し、壁際に立たせて両端を固める。この二人もグルか、と悟ったが、今ここで彼女たちを蹴倒して逃げれば、母にどんな難癖がつけられるか分からない。

 テオドアは奥歯を噛み締めて耐えながら、目の前の光景をただ眺めていた。


「兄さんは良いよね……才能があってさ……」

 

 小さくぼそぼそと喋るのは、次男のツィロ。目の前の食事に夢中になるふりをしつつ、長男と第一夫人の歓談へちらちらと視線を送っている。

 

「おにーさま、すごーい」

 

 手を叩いて無邪気に喜ぶのは、次女のルネリーゼである。まだ食べるのが下手なのか、彼女用に作られた食事は皿の上でぐちゃぐちゃになっていた。


「何を言うの、ツィロ。貴方の活躍もよく聞いていますよ。まったく新しい魔法の法則を見つけ出したとか……これで研究もよく進むと、貴方の担任の先生から手紙が来たのですからね」

「そうだ、お前だって良くやっているじゃないか。魔力の量は俺に遠く及ばないが、お前には頭脳がある。あらゆる魔法の法則性を見つけることだって夢じゃない」


 母と兄は口々に褒めそやす。それが満更でもないのか、ツィロは不気味に唇の端を吊り上げた。


「ま、まあ……ぼくだって、魔術学院の生徒だしね……学院の奴ら馬鹿どもに目にもの見せてやったっていうか……」

「がくいん! リゼ、がくいん行きたい!」


 幼いルネリーゼは、落ち着きなく足をバタつかせた。母や兄たちが楽しそうに「がくいん」の話をするので、自分も行きたくなったのだろう。

 第一夫人は末娘に微笑んだ。美しい顔だとは思うが、彼女の息子同様、底意地の悪さが滲み出ている。厚く塗られた化粧でも、それは誤魔化せていない。

 テオドアが、彼女に対して良い印象を抱いていないから、そう見えるのかもしれないが。


「貴方はまだよ、ルネリーゼ。まだ三歳でしょう? 魔術学院は、十歳にならなければ入れないの」

「やだー! リゼ、がくいん行くもん! おにーさまと行くもん!」

「はは、あと七年の辛抱だな、ルネリーゼ」


 そう言ってから、パウラはこちらへ一瞬だけ、ちらと視線を寄越した。


「心配しなくても、お前は魔法の素養がある。どこかの誰かと違ってな。魔力量の検査もまだだが、魔力の有無くらいは分かるものだ」

「げえ……アレの話すんのやめてくんない? 耳が腐るだろ……」

「おっと、そうだな。悪かった」


 悪びれもせず両手をひらひらと振って、パウラは笑う。ツィロも、ひひひ、と気味悪く笑った。

 対して、第一夫人は眉をひそめる。不快そうな表情を隠しもしない。


「そうですよ、パウラ。下賤の腹から生まれた下民の話など、口にするだけでおぞましい。どうしてあんなものが未だヴィンテリオに名を連ねているのか、理解に苦しみます」


 公爵さまにいくら手紙を送って廃嫡を願っても、お返事すらくださらないのです。と、第一夫人は続けた。


「魔力無しがいるだけで、我がヴィンテリオ公爵家の名が穢れるというのに……公爵さまのお心は寛大なのでしょう。あんなものでもご自身の息子だと、お認めになっていらっしゃるのですから」


 明らかな当て擦りでも、テオドアは黙っている。自分が貶されるのは、特になんとも思わない。

 魔力が無いのは事実であるし、欲しいと思ったこともないからだ。あちらはテオドアの心を傷つけたいのだろうが、見当違いにもほどがあった。

 しかし――


「母上。以前から気になっていたのですが、あれは本当に父上の子なのですか?」


 パウラの言葉に、第一夫人も、「確かにそうね」と頷く。それに勢いづいたか、パウラは誇らしげに御託を並べ始めた。


「おかしいと思っていたんですよ。父上の魔力は言うまでもなく豊富で、あの平民女も、まあ下賤の生まれにしては魔力があるほうです。なのに、その間に生まれたあれは魔力がない。魔力の多さや貯蔵量は両方の親から引き継がれるはずなのに、です」

「どうせさあ……父上の目を盗んで、そこらへんの男の種でももらったんじゃないの……。頭緩い平民の女が考えそうなことだよ、ひひひ……」

「ああ。平民の女は、なにかあればすぐに娼婦に堕ちるような卑しい生き物だからな。第二夫人になったのだって、父上を誘惑して上手く取り入ったに違いない」


 拳を強く握ったせいで、爪が手のひらに食い込んでいくのが分かる。

 母に対するとんでもない侮辱に、はらわたが煮え繰り返るような錯覚を覚えた。


 ダメだ。

 耐えろ。

 耐えろ。


 今ここで怒れば、彼らの思う壺だ。


「そうだとすれば、とんでもないことです。すぐに公爵さまにお知らせしませんとね」


 第一夫人も、機嫌を持ち直したらしい。嬉しそうに両手を合わせている。女主人に同調したのか、テオドアの両側に立つメイドも、くすくすと嗤った。

 公爵家に仕えるメイドや従者は、下級貴族の出であることも多い。貴族の価値観で動く第一夫人に、彼女たちが共感を覚えたとて、不思議なことではなかった。


「げせんって、なあに?」


 悪意の渦巻く食堂にあって、ルネリーゼだけはきょとんとしていた。まだ幼い彼女には、母や兄二人の言動も、彼らが何を笑っているのかも、あまり理解が及んでいない様子だった。


「下賤とは、あそこに立っている見窄みすぼらしい男のことを言うんだ。よく覚えておきなさい、ルネリーゼ」

「み、見ろよ、メイドに囲まれてさあ……真っ赤になってるじゃないか……女日照りもあそこまでいくと、気色悪いよな……」


 ツィロの言葉に、メイドたちはさっとテオドアから距離を取った。


「まあ、ツィロさま。それはわたくしどもへの侮辱に当たりますわ」

「そうですよ。ご冗談も大概になさいませ。こんなものと一緒になるなんて、例えどんなにお金を積まれたってお断りです」

「ひ、ひひ……そうだよな。悪かったよ……」


 笑い声が上がる。朗らかで、賑やかな、家族と使用人たちの歓談だ。

 第二夫人とその息子を徹底的にこき下ろし、侮辱し、嘲笑う。ただテオドアに魔力が無い、その一点ばかりを突き続ける。

 何度、怒鳴ろうとしたか分からない。何度、拳を振り上げそうになったか分からない。

 だが、テオドアは耐えた。自分の軽率な振る舞いが、母に不利益をもたらすことが分かりきっていたから。


 テオドアが屈辱から解放されたのは、その一時間後。

 第一夫人たちが食事を終えて、退出したときだった。

 

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