第4小節目、新しい提案

(今朝、あわてて支度をした時に紛れ込んだんだ!)


あんまりの恥ずかしさに気が動転し、あたしはからだを固くする。


先生はそれを真顔で、いかにも冷静に、自分の顔から離したり近づけたり、時折傾けたりして見つめている。


(やだー!!!よりによって、だなんて!!!)


正直、あの鬼畜に撮影された写真を晒されるよりもっと、リアルな分だけダメージがでかいかも。


(恥ずかしくて死んじゃいたい……)


涙目になってテンパるあたしをよそに、先生はに目をやったまま空いてるほうの手で、お茶をゆっくりと口元に運ぶ。

そしてごくり、という音と共に、喉元を大きく動かした。


「ねえ、清家さん」

「は、はい」


描いたの、君?」

「あ、あ、はい、でも、でも、でも…」


「へえええ~~~」「ほおおお~~~」


先生は、驚いたような、ちょっと嬉しそうな……とにかくあたしの想像とはまったく違う反応を示す。その絵をじいっと眺めたままで。


「これさ。この激しく求められている女性って、君?」

「まままままさか! まさか! 違います! ぜんっぜん、違います!」


クビをぶんぶん振って全力で否定するあたしに、先生はコクコクと頷く。


「そっか。こういうのは、まだ未経験ってところ?」

「ハイ、さようでございます」

「ふうん。例の彼氏とは?なーんて」

「勘弁してくださいよ〜!!!そんな関係じゃありませんって!!!」

「そうね。君、色恋いろこいで頭がいっぱいっていう感じには全然見えないもん」


(スルドイ)


あいつは先生の事、「芸術家くずれ」だなんて、悪口を言ってたけれど…。

あたしは、先生のこういう洞察力みたいなものはとても侮れないって、常々思っていた。


「まあいいや。じゃあ、質問を変えようか。

清家さん。君はさ、なんで芸高ここに来たの?

美大に進学して、デザイナーになるため?」


………ほらね、こういうところ。


「えーと、それは…その」


あたしが即答できない時点で、この質問は確信をついていると言えるだろう。

これもまた、ため息の原因……もやもやの理由のひとつでもあったからだ。


「デザイン科を志望したのは3年になってからで。

もともとはあたし、ただ絵を描くのが好きで、もっともっと上手になりたいなって思ってて……」

「そうなんだ。じゃあどうして"工業デザイン科工デ"志望に?」

「ええと、大手の会社に就職できそう……だからかな? 親にも言いやすいし…」

「それだけ?」

「いいえ…それと、絵は好きだけど……油絵とか彫刻学科って、芸術家になるためにそれを学ぶってことでしょう?

芸術なんてあたし、よくわからないし……なんか怖れ多くて」

「恐れ多い?そう?」


先生は、あたしとの会話を続けている間も、その「落描き」を近づけたり遠ざけたりして眺めている。


「あたしが絵を描くのは、そんな高尚なもんじゃなくって。

ただ、楽しかった、とか、綺麗だなって思ったときの、ドキドキした気持をどこかに残せたら満足っていうか…小さな頃絵を描いてた動機とほぼ変わんなくて」

「そういうもんだと思うけどね。

自分が見たものを、感じたように描き留めておきたいっていう」


(見たものを、感じたように)


そのフレーズに、あたしの胸が小さくきゅうっと音をたてる。


「解放させないと、だな…君は」

「え??」


言ってる意味が理解できず咄嗟に返したあたしの疑問符に、先生は化粧っけの欠片もないカサカサした唇のアウトラインを微妙に変えただけ。


「はっはっはっ、独り言。ごめん、気にしないで。

とりあえず、君の気持ちは良くわかった。

今後はさらに気を引き締めて受験に向き合うってことで、今日はここまでに」


「ここまで? 訳がわからない! ・・・ちゃんと答えて下さいよ・・・」


先生は鼻の周りをぽりぽりと掻く。


「ああ…そうだ。

じゃあさ、また何かを描いたら、わたしに見せてよ。

そしたらこの続きを話してあげよう。

こういうのじゃなくても…何を描いてもいいからさ」


「それって…宿題って事ですか?」

「いいえ。極めて個人的な興味から、君にリクエストしてるだけ」


(興味って…)


そんな風に急に言われて、なんだ凄くこそばゆい。

先生は、照れ隠しに眉間に皺を寄せるあたしの方を見て、鼻からすぅっと息を吐くと、腕を組み、少しだけ首を傾ける。


「清家さん。もうそろそろ戻らないとね。また時間が足りなくなっちゃうよ」


飲みかけの紙コップの横に無造作に置かれた時計を見ると、あたしがここに足を踏み入れてから軽く40分は経過していた。

あたしは先生にその「落描き」を預けたまま、補習組が課題のデッサンに精を出す美術室前のピロティに向かおうと、体の向きを変えた。


「あ、そうだ。君、今日の静物デッサンだけど・・・」


先生はイーゼルに立てかけてあった全判のダブルのカルトンに、大きな目玉クリップで木炭紙をセットすると、私にそれを差し出す。


「これからしばらくの間、木炭を使ってみたら?

鉛筆とかを併用してもいいし、黒なら何使ってもいいから・・・ボールペンでも、絵の具でも。

それで、君の思う様に、好きなように描いてみてよ」

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