第10話 夏になった

莉佳と二人で展覧会に行った日からも、俺は変わらず放課後は美術室に通いつめ、黙々と白いキャンバスと向き合っていた。


あの展覧会以降、俺の中の芸術的センスが覚醒し、自他共に認める良作をバンバン生み出せるようになった…なんていう都合のいいようにはいかず…

俺のことを思って誘ってくれた莉佳にはかなり申し訳なかったが、正直なところ、俺はあの日見たものを自分の作品に投影できずにいた。

もちろん、すべての作品に対して感動を覚えたし、いろいろな画家が、それぞれの世界を、それぞれの完成とともに描いていることだって感じ取れた。

だが、そこまでだった。


そこから先が、ない。


当日も、何か持って帰ろう、何か自分のものにしようと躍起になってしまい、心の波を立たせないでじっくりと絵を見る、ということができていなかったのかもしれない。

ただ、絵の面白さについては素人ながら感じ取ることができたし、キャンバスに向き合うモチベーションも得ることができたように思う。

そのため、俺は飽きることなく筆を走らせていた。


そして同じようなことを繰り返すような日々はあっという間に流れていき、気が付けば梅雨も明け、6月も終わりに差し掛かっていた。


「あ、そうだ。明日からテスト1週間前なので、部活がなくなります。前回痛い目を見ていた君は、さっさと家に帰って勉学に励むように!」

「うげっ、もうそんな時期ですか…先輩は余裕そうですね…」

俺が鬱屈そうに言うと、莉佳は少し肩を震わせた。

「ま、まぁ?私は勉強もおろそかにせず、きっちりこなすタイプですし?そりゃもう余裕のよっちゃんよ、あはははは!」

「…まぁ、お互い頑張りましょう…」

「はい…」


どうやらこの美術部、勉強への意識は低いようです。

(幽霊部員の先輩方は知らないけど)


そうして、翌日からは放課後は即帰宅することとなった。

だが、家に帰ってなんとか机に向かっても、気が付けば絵のことばかり考えてしまい、とても集中できているとは言えない状態だった。

(先輩も似たようなもんなのかなぁ)

莉佳のことだ。きっと家でも、ノートではなくスケッチブックに鉛筆を走らせているなんてこともありえる。


あいにく俺はスケッチブックの持ち合わせがなく、問題集や教科書の隅っこに簡単に落書きするくらいしかできずにいた。


それから2週間もすれば、学生たちはテストから解放され、来るべき夏休みに備えて計画を練り始める。

それは俺も例外ではなく…


「先輩!美術部って合宿というか、部旅行みたいなものはないんですか?」

「おぉ、どうしたのいきなり」

「いや、運動部とかほかの文化部の連中が夏休み中の部活で泊りがけの行事をやるらしくてですね…俺もそういうものに興味が出てきてしまった、というわけです」

「なるほどねぇ~」

そう言うと莉佳は手にしていた3Bの鉛筆を机に置き、腕を組んで考え込むしぐさをする。


俺がこんな話をしたのは、再び撃沈した期末考査から、少しでも思考を切り離すためでもあった。

まだ答案は返ってきていないけれど、大した点が取れていないことなど、試験期間のうちから明白だった。

(夏季補習だけは勘弁してくれ…)


「私は別に行ってみてもいいんだけどさ、二人で行くことになっちゃうけど、それはいいの?」

「へ?」

突如として莉佳から投げかけられた疑問に、俺は間抜けな返事をしてしまう。


「ん?いや、私と二人でいいの?部旅行」

「え、あ、あぁ、いや僕は別にいいんですけど…そうか、二人きり…」


異性の先輩と…二人きりで…旅行…泊り…


(ぐふぅぅぅぅぅぅ!!!いかん!刺激が強すぎるっ!!!)

泊りがけの旅行になるかもしれない、というところまで考えて、俺の思考回路はオーバーヒートしてしまった。


「いや、あのはい、もうちょっと、考えましょうか…」

「…?うん、わかった」

莉佳はなぜあんなにもきょとんとしていられるのだろう。

再び鉛筆を手に取り、キャンバスに作品の下書きを始めた彼女を眺めながら、そんなことを思った。


(もしかしたら、異性として見られてないのかもしれないな。それかもう、彼氏とか、いる可能性だって…って、なんで俺はちょっとがっかりしてるんだ)


俺は一度思考をリセットして、途中だった色付け作業に戻った。


答案返却日──それは、学生が天から裁きを与えられる日…

赤点を回避し、悦に浸る者、いくつもの赤点を取り、勇者の称号を手にするもの…

各々がたどる路は様々だ…


そしてその裁きは、当然俺にも降りかかってくる。


壮大に語ったが、端的に言えばテストの答案が返って来たのだ。

結果として、俺は2つ赤点を取った。

(うん…まぁ…耐えたよね)

正直ほかの科目も高得点とはかけ離れた数値であったが、赤点は二つしか取っていないのだ。ギリギリ学生としての責務を果たしたと言える…だろう!うん、そうしよう。


そして日を空けずに終業式があり、その日に夏季補習の対象者は集められ、説明を受けたとかで、勇者の称号を手にした(?)者たちが一堂に会したとかなんとか。

俺は見事に夏季補習は回避し、心置きなく美術部員としての夏休みを迎えられていた。


「先輩も補習なかったんですね」

「だから言ったでしょ、私は勉強もできちゃうスーパー部長なのだ~」

と、7月下旬の美術室で、莉佳は得意げに笑った。ピースなんかもしている。


果たして彼女が自慢できるような点数を取っていたのか知る由もないが、あえて触れないことにした。


「まぁお互い補習回避したということでさ、この夏はめっちゃ絵描こうね。マジで、ほんとにたくさん!」

「ですね、俺も自分のスタイルを見つけないと…」

「うん!お互い頑張ろ!」

「はいっ!」


この日、俺たちの夏は始まったんだ。

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