はなむけ




『セイ君、話があるんだ。一度僕のマンションに来ないか。』


高山からセイに電話があった。

六花の引っ越しも終わり落ち着いた頃だ。

高山には六花がセイのマンションに来た事はまだ話していなかった。


「一緒に住むって一度挨拶に行かないとな。」

「別にいいんじゃない?」


六花は素知らぬ顔で言う。


「いや、そんな訳にはいかんだろう。」

「セイってそう言う所すごく気にするよね。」

「お前なあ、」


セイはきっと六花を見た。


「礼儀は守らなきゃならん。

それにお前のお父さんだ。不義理は出来ん。」

「そんなもんなの?」

「そんなもんだ。お前だって俺の親父とお袋には

ちゃんとしてくれただろう。」

「う、まあ。」

「お前が手土産を用意していてびっくりしたぞ。」

「それぐらいは、って私の事馬鹿にしてる?」


セイがにやりと笑うと

六花は拳骨を握ってセイに見せた。

彼女はもうノイズキャンセラーは付けていなかった。




「お、来たな。」

「お邪魔します。」


高山のマンションはいかにも高級そうな室内だった。

セイは以前このマンションまで高山を送った事はあったが、

中に入るのは初めてだった。


「呼び出して悪かったな、セイ君。」

「いえ、俺も話があるので全然構いません。」


廊下を歩きながら隣にいる六花にセイは囁いた。


「お前、こんなマンションで汚部屋だったんだな。」

「自分の部屋だけよ。でもパパも整理整頓ダメなの。

仕事関係はなぜか整頓出来るんだけど、生活はダメなのよ。

お手伝いさんが来てくれるから綺麗だけどね。」

「お前と一緒だな。」


六花は台所の方に行く。

飲み物を準備するのだろう。

その後ろ姿を高山が見る。


「何だかすっかり変わったなあ。六花ちゃん。

ノイズキャンセラーも付けてない。」

「色々あって平気になったみたいですよ。」

「まあそれならそれで良い事だからな。」


高山が言うと彼は書類を出した。


「君の戸籍を申請する書類だ。」


セイははっとして高山を見た。


「クローン法が成立したんだ。

緊急を要するとして公布から即日施行された。

僕が最初に申請させるのは君と決めていたんだ。」


高山はにっこりと笑う。


「先生……、」


セイは感慨深げに書類を見た。

まだ何も書かれていないものだ。

これからセイはここに色々と書き込むのだ。


「先生、ありがとうございます。」


彼は頭を下げた。


「俺、実は警察を辞めるつもりなんです。」

「えっ、どうして?」

「警官と言う仕事が嫌な訳ではないんですが、

色々と世の中を見た方が良い気がして。

だから別の仕事を探すつもりです。

なので戸籍がちゃんとある事は助けになります。」

「そうだな。

今まで君は美戸川から逃げる事も出来なかったからな。

君はまだ若い。色々と経験をすると良い。」


高山は優しい顔でセイを見た。


「だがな、圭悟君の診察はちゃんと受けるんだ。

圭悟君も君の心配をしているぞ。

それにある意味君は特殊だからな。

世界でも君は奇跡の存在だ。」

「き、奇跡ですか……、」


セイは少しばかりあっけにとられた顔で高山を見た。


「遺伝子は不思議だぞ、セイ君。」


高山がセイを見た。

目が子どもの様にきらきらしている。


「我々は全て極めて小さな粒子で出来ている。

原子や電子や中性子、陽子、そんなものが組み合わさって

物質になって遺伝子と言う形をとると生命が生まれるんだ。

不思議だろう。

そして1mmにも満たない生き物がいて命を持っている。

指先を伝う小さな甲虫も自分の意志で空に飛んで行く。

素晴らしい事だと思わんか。」


セイはぽかんと高山を見る。

高山はにやりと笑ってセイを見た。


「君は作られた遺伝子だがそれでも命を得た。

それを作ったのは美戸川なのは悔しいが、

ある意味君は奇跡の存在なんだ。

亡くなってしまったが九津君も同じだ。

彼が亡くなったのは極めて残念な事だ。」

「そんなものですか……。」

「そうだ、君は自分の存在を誇っていい。

今まで生きて来た全てが奇跡であり、人である証拠だぞ。

僕は君がいる事が嬉しい。本当に嬉しい。」

「俺は……、」


セイは何も言えなくなってしまった。

こんなに熱く語られるとは思わなかったからだ。

科学者らしい言葉だ。


だがその言葉は全てセイの心に響いた。

きっと高山は信念を持ち自分の仕事を続けているのだ。

そしてその情熱は六花や妻の真理にも向けられていたのだろう。


だが妻の真理にはどうだったのか分からないが、

六花はかなり父親を疎ましく思っている所がある。

無理もない話かもしれないが、

セイにすればなんという贅沢だろうと思った。


正しい言葉を真っすぐに発する大人は少ない。

この高山がその一人だ。


まるで夢を話す子どもの様に

明るい顔をして喋る高山をセイはとても好ましく思っていた。


「……先生、ありがとうございます。」

「で、話って何だった?」


高山が笑いながらセイを見た。


「あの、その、六花さんと一緒に住みます。」


高山がその顔のまま動かなくなった。

セイが頭を下げる。

しばらくして高山がぼそりと言った。


「やっぱりなあ。」


思わぬ言葉だった。


「やっぱり、ですか。」

「だって君達は金剛さんとうばらさんの子孫だろ?

離れられなくなるのは当たり前だと。

僕が何を言ってもそうなるだろうなと思っていたよ。」


セイは再び頭を下げた。


「でも君達、僕の事は忘れないでくれよ。」


高山が上目遣いで情けない顔をしてセイを見た。


「そ、それは絶対にありません!」


その時六花がお茶とドーナツを持って来た。


「何の話をしていたの?」


高山が六花を見る。


「君達が一緒に住むという話だよ。」


六花が持った茶器が少し音を立てた。


「セイ、いきなりそんな話、」

「いきなりじゃない。その前に戸籍の書類を貰った。」


セイが手元の紙を差し出し六花がそれを受け取った。


「パパ、これ……、」

「そうだよ。一番にセイ君に書いてもらう。」


六花の顔が満面の笑みになった。


「ありがとう、パパ!」


高山の顔が緩む。


「なあ、セイ君、

気持ちいいもんだな、娘から礼を言われて。」


セイが笑う。


「まあこれが僕から新しい生活を始める君達へのはなむけだ。」


六花が高山の隣に座った。


「パパ、本当にありがとう。やっぱりパパは凄いと思う。」

「だろ?さすが僕の大好きな六花ちゃんだ。」


と高山は六花をぎゅっと抱いた。


「そ、それはもう良いから、」

「あ、そうか。」


と高山は六花から離れてセイを見た。


「六花、」


セイが言う。


「お父さんがいると言うのは貴重なんだぞ。

しかも高山先生だ。我儘を言うな。」


高山と六花がはっとした顔をする。


「セイ君は常識を重んじるタイプなのか?」

「多分そう。きちんとしてるけどお堅いの。」

「そうか……、」


高山が言う。


「真理ちゃんもそんな感じだったな。」

「そうだね、ママも私達がふざけていると

ちゃんとしなさいって怒ってたね。」


セイは少しあっけにとられたが

しばらくすると笑い出した。


「やっぱり六花と先生は親子だ。そっくりだよ。」


六花と高山は顔を見合わせて不思議そうな表情だ。


「いただきます。」


とセイは六花が買って来たドーナツを手にした。

六花が好きなスイーツだ。

そして多分高山も好きなのだろう。


この二人と自分はこれから新しい関りを持つ。

常に何かしらを起しそうな二人だ。

退屈になる事はないと思うとセイは妙に面白くなった。






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