退院




セイの退院が決まり圭悟が色々と彼の体を調べた。


「まあ、異常はないな。

あんな事があったからどうなるかと思ったが。

腕の事は心配するな。」

「そうか、ありがとう。」


圭悟はふとセイを見る。


「なんだ、入院してから妙に殊勝だな。

死にかけてさすがに反省したか。」

「ああ……、」


セイが圭悟をひたと見る。


「どうしたんだ。」


訝し気に圭悟が聞く。


「今日はお前に詫びを入れに来た。」

「詫び?何をしたんだ。」

「お前が大事にしているものを俺がもらう。」

「大事なもの?」

「六花だ。」


圭悟の口がぱっくりと開く。

しばらく何も言えない様子だ。


「その、大事なものって……、」

「お前は俺が六花を家まで送った時に

何かやらかしたらどんな目に遭うかとか言ったよな。

それに六花の家にまで来たし、

六花をすごく気にしているだろう?」

「それは、その……、」


真剣な顔でセイは圭悟を見た。


「小さい頃から一緒にいたんだろ。

だから俺もそれなりに色々考えた。

世話になっているのにこんな事を言うのは失礼だと分かっている。

今までの俺の態度も酷かった。

だからお前に真剣に謝るつもりだ。本当に申し訳ない。

だが六花は俺のものだ。」


セイは瞬きもせずまっすぐ圭悟を見た。


「お、俺のものってあいつは人だぞ、

そ、それに六花ちゃんはなんと言ってるんだ。」

「俺と同じ気持ちだ。」


圭悟の顔が見る見るうちに真っ赤になる。

眉が上がり怒りの表情になった。


「おい、お前何を言っているのか分かるか?」

「分かってる。

お前も六花が好きなんだろう。

でもあいつは俺のものだ。」


机の上に置かれたペンを握った圭悟の手が

強く握られてぶるぶる震えた。


「あいつは僕の幼馴染だ。昔から一緒にいるんだ。

絶対にお前なんかに……。」


激しい怒りだろうか、彼は次の言葉が出なかった。


「それでもあいつは俺がもらう。」


圭悟がいきなり立ち上がりセイを見下ろした。


「僕は最初からお前の事が大嫌いなんだ。

仕事だから、研究対象だから仕方なく毎月診てるがな、

そうでなければお前なんて顔も見たくない。」


セイは何も言わず彼を見上げる。


「何かあれば俺はすぐ死ぬ、命なんてどうでもいいと言いやがって。」


圭悟は自分の白衣の襟元を怒りに任せて強く握った。


「僕はいくつも病気を抱えてる。本当なら赤ん坊の時に死んでるんだ。

だが高山先生は遺伝学の権威だ。

実験的なとんでもない遺伝子治療やら、

先生のおかげで僕は今日まで生き延びて来た。

その治療を止めたら多分死ぬ。

僕には死は目の前にあるんだ。

でも僕はまだ死にたくない。やりたい事が沢山ある。

死にたくないんだ。

だがな、そんな男の前で健康なお前は何年も何年も

俺はすぐ死ぬだのガタガタ言いやがって。」


圭悟は大きく息を吸った。


「怪我をしても風邪をひいても

すぐ治る丈夫な体を持ってるくせに、

ぐずぐず言いやがって、お前は最低だ。

体だって傷をつけやがった。健康な綺麗な体なのに。

それでも僕から六花ちゃんを持っていくのか!」


セイは圭悟を見た。


「ああ、絶対に六花はもらう。

それでないと今度は本当に俺は死ぬ。」

「まだ言うのか!」

「心が死ぬ。俺のこれからの生き方が全部死ぬ。」


それを聞いて圭悟はあっけに取られ、

しばらくして脱力したように椅子に座り込んだ。

それをセイが見た。


「また来月よろしくお願いします。」


彼は立ち上がり頭を深々と下げて診察室を出て行った。




部屋を出ると看護師の香澄が心配そうな顔をしてセイを見た。


「大声が聞こえたけど何があったの?」


セイが真剣な顔をして答えた。


「圭悟の一番大事なものを俺がとった。

六花だ。絶対に返さん。」


香澄がはっとしてセイを見た。

先日彼女が感じた二人の間柄だ。

それをセイは今圭悟に告げたのだ。


英本はなもとさん、あいつを慰めてやってくれ。」

「慰める?」

「多分英本さんしか出来ない。」


セイはそう言うとすぐに背を向けて歩き出した。

一瞬香澄はどうしたらいいのか分からず立ち竦む。

だが、


「英本さん、次の患者さんが……。」


同僚の声に彼女は気持ちを戻した。


「少しだけお待ちいただけるようお話して。」


先程のセイの言葉が彼女の中に響く。

慰めてやってくれと。

その言葉は彼女の心を勇気づけた気がした。


そして香澄は診察室に入って行った。




診察室に入ると圭悟が不貞腐れたように

椅子からずり落ちそうな格好で座っていた。


「……先生、」


その声に圭悟がじろりと英本を見た。


「今日はもう仕事はやらん。」


拗ねたように圭悟が一言言った。

子どものような言い方に思わず香澄が笑う。


「何を言っているんですか、次の患者さんがお待ちですよ。」

「それでもやらねえ。知るか。」


仕事には真面目な圭悟だ。

こんな姿は香澄は初めてだ。

彼女は患者用の椅子に座って彼を見た。


「先生、さっきセイさんがあいつを慰めてくれと言ってました。」


圭悟が顔を背けて舌打ちをした。


「セイさんは六花ちゃんが好きで

六花ちゃんもセイさんが好きなんでしょ?

私、六花ちゃんと話した事があります。」

「お前、知ってたのか。」

「二人がそんな気持ちと言うのは

セイさんが入院した時だからついこの前ですけどね。」


しばらく顔を背けて圭悟は黙り込んだ。


「先生、そう言う時はやけ酒とかやけ食いですよ。」


顔を背けていた圭悟がちらりと香澄を見た。


「私の行きつけの居酒屋に行きません?お付き合いしますよ。」

「……俺はアルコールはだめだぞ。」


ぼそりと彼が言った。


「知ってますよ、先生の体の事は私はよく知ってます。

だからやけ食いはどうですか。」

「喰い過ぎても腹を壊す。食べられないものもあるし。」

「だから私が隣でちゃんと監視して駄目な時は止めます。

安全でしょ?」


と言って香澄がにっこりと圭悟に笑いかけた。

それを圭悟が見てしばらくすると大きなため息をついた。


「無茶苦茶するかもしれんぞ。」

「はい。ちゃんと見てますよ。」


圭悟がゆっくりと椅子に座り直して上を見た。


「……今夜だ、今夜付き合え。」

「はい、大丈夫です。仕事が終わったら行きましょう。」

「約束だぞ。」


そして彼の顔が締まる。


「お待たせしたと患者さんに伝えてくれ。」

「はい。分かりました。」


香澄は彼に軽く頭を下げて診察室を出て行った。

その時の圭悟の顔はいつも通りの顔だった。






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