ドーナツ




六花とセイは結局外を歩くのを止めた。

久我はその理由はもう分かっている。

そして誰も何も言わない。

今まで歩いていたのは何だっただろうと二人は思った。


「俺はクロにエサをやったら家に戻る。

何かあったらすぐに連絡しろ。」

「はい。」


六花はその日のレポートをとりあえず書いている。

その台所ではセイがクロにエサをやっていた。


その時扉から呼び出し音が鳴る。

二人は緊張するがモニターを見て六花が言った。


「圭悟君!どうしたの?」


六花がドアを開けるとそこには圭悟が立っていた。


「いや、先生から様子を見て来てくれと言われて、」


圭悟の目が玄関に男の靴があるのに気が付いた。

彼は驚いた顔で六花を見た。


「パパから聞いてないの?セイも時々うちに来るのよ。」


圭悟は驚いた顔のまま口をパクパクとさせた。

その時セイが六花の後ろから顔を出した。


「圭悟か。」

「……どうしてお前がいるんだ。」


かなり低い声で圭悟が言った。

だがその途端くしゃみが出る。


「あっ、ごめん猫がいる。アレルギーじゃない?」

「多分そうだ。」


と圭悟がマスクをつけた。


「じゃあ、俺は帰る。」


セイが圭悟の隣を通りすぐに帰って行った。

それをじろりと圭悟は見た。


「ろ、六花ちゃん、どうしてあいつが家の中にいるんだ。」

「え、パパからそれも聞いてないの。しょっちゅう来てるよ。」

「一緒に仕事をしているとは聞いたけど、

家にまで来ているなんて聞いてない。」

「ああ、そうだっけ。でもこの前パパもここでセイと会ったよ。」


圭悟は焦った顔をしているが、六花は呑気そうに話している。


「セイは猫の世話に来ているんだよ。」

「六花ちゃんが飼っているんだろ?」

「そうだけどセイの方が世話に慣れてるから。」


何も特別な事はないと言う感じの六花だ。

だが圭悟は複雑な顔をしている。


「しかし、その、セイは独身男性だろ?

そんな奴を部屋に入れるなんて、僕は、その……、」

「圭悟君も独身男性でしょ?」


圭悟は顔を赤くして黙り込んでしまった。


「圭悟君、持って来たものなに?」


六花が興味津々で圭悟が持って来た物を見た。


「ドーナツだよ。好きだろ?」

「ありがとう!やっぱり圭悟君は私の事よく知ってるぅ。」


六花は立ち上がると食器棚からカップを出して来た。

圭悟がちらりとそれを見る。

同じぐらいの大きさのマグカップが二つある。

その一つを六花は出し、別の所からカップを一つ出した。

二つ並んでいたカップの一つは残っている。


「圭悟君は白湯が良いよね。」

「……うん、」


残ったカップを圭悟は見た。

六花はお湯を沸かし自分のカップにコーヒーの粉を入れている。

あのカップは誰のものだろうと圭悟は思った。


圭悟と六花は幼馴染だ。


圭悟は赤ん坊の時から六花の父、高山正雄に体を診てもらっている。

彼は生まれながらに重大な障害をいくつも持っていた。

本来なら生まれることが出来なかったが、

高山が実験的ながら遺伝子治療を行ったのだ。

当然圭悟の親の同意があっての事である。


そのおかげで彼は生き延び、

そして自分自身がそのような特殊な経験をしたからか

高山と同じ医学の道を進む事にしたのだ。

ただ、彼の治療は一生続く。

それを止めてしまえば彼は命を縮めるだろう。


「六花ちゃん、あいつは変な事しないか?」


目の前で嬉しそうにドーナツを食べている六花を眺めながら

圭悟は白湯を啜った。


「変な事?」

「その、薄暗い事を言ったりとか、どうでも良いとか。」


六花は少し考える。


「変な事じゃないけどセイから色々と聞いたよ。

セイはキメラだとか。」


圭悟ははっとする。


「あいつ、それ話したのか。」

「うん、だって私は遺伝とかクローンの事はそれなりに知ってるから、

そう言ったらキメラだって話してくれた。

パパもセイの健康状態とか聞いていたよ。」


圭悟は少し考えこむ。


「だから圭悟君がセイの事を診ているんでしょ?」

「うん、まあ、急に体に異常が出るかもしれないから。

それにセイを調べてそれで論文を書いたりしてるし、

ある意味セイは僕の大事な研究材料だから……。」

「研究材料とはセイには言わないでね。」


六花がちらりと圭悟を見た。


「あの人、キメラなのは気にしていないとは言っていたけど

本当はすごく気にしてる。」


六花の顔が少し暗くなる。

圭悟はそんな様子の六花の顔は初めて見た気がした。

彼の胸の中でもやもやが大きくなる。


「ろ、六花ちゃん、セイとの仕事っていつまであるの?」


彼女は首を傾げた。


「それが分からないのよ。」

「そんな妙な仕事なのか?」


圭悟には鬼憑きの事は何も話していない。

父親の高山も鬼憑きは知っているが圭悟の様子では

何も言っていないのだろう。


「まあ、パトロールって事よ。」

「六花ちゃんは普通の女の子なのに

そんな危ない事をやらされて……。」


圭悟が少し怒ったような声で言った。


「良いの。私が自分で決めたんだから。」

「でも何かあったら……。」

「もう、圭悟君はパパと一緒。自分で決めた事なの。

いつまでも子ども扱いしないで。」


六花が低い声で言った。


六花が言っている事は当たり前なのだ。

父親の高山の様子や圭悟が言っている事も

大人である六花に伝える話ではないのだ。


だが子どもの頃から大きな音を聞いて

六花が倒れたのを何度も圭悟は見ていた。

それを思い出すと六花が心配で仕方が無くなるのだ。


「それより圭悟君、香澄ちゃんと遊びに行っておいでよ。」

「えっ、英本と?」


英本はなもと香澄かすみは圭悟の同僚の看護師だ。


「たまには看護師孝行したら?

すっごくお世話になってるんでしょ?」

「いやー、それはその……、同僚だし。」

「香澄ちゃん本当にいい子だよ。圭悟君にはもったいないくらい。

圭悟君が誘わなかったら誰か他の人に紹介しようかな。」


六花がにやにやと圭悟を見た。

それをなんとも言えない顔で彼は見返した。


まだ彼は六花に告げてはいないが、

圭悟は昔から彼女の事が好きなのだ。


だが彼女が一人暮らしを始めてからなかなか会えなくなった。

そして気が付くとセイが六花のそばにいる。

一緒に仕事をしているだけだと言うが、

彼女の部屋にもセイは入っていたのだ。


圭悟はセイとは3年程前から医者と患者との付き合いだ。

確かに彼は圭悟にとっては大事な患者だ。

だから何も言わず診察をしている。


だが本音を言えばいつも薄暗く反発気味なセイを

圭悟は好きではなかった。

自分が持っていない健康と言うものを持っていながら

死にたいなどとほざくのが許せなかった。

それが欲しい人間は山の様にいるのに

それを踏みつけにしているようなものだ。


だがそのセイも六花と一緒に仕事を始めてから変わって来た。

二人の間には何かがあるのだ。

今日はそれを確かめに来た。


そしてそれはあると今確信した。


圭悟は息苦しくなる。

それは精神的なものだ。

自分が大事にしているものが手から離れる予感がしていた。

だがどうしたらいいのか、圭悟には分からなかった。






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