第1章 わたくしが秘密を持つのは当然です

3.5輪 美男子は目と心の栄養

「ねぇねぇ、ご覧になった?」


 栗色巻毛の若いメイドは客間の床を掃きながら、同じ室内で拭き掃除をしている同輩メイドに話しかけた。黒髪の同輩メイドは円卓を拭く手を休めないまま、巻毛のメイドを一瞥した。


「ご覧にって、なにを?」


 黒髪メイドが話に乗ったとみるや、巻毛メイドは箒を持ったまま弾むように駆け寄った。肩をぶつけて、体の側面と側面をぴたりとくっつける。


「さっき、ロザリーお嬢様を訪ねてみえた方よ」

「そういえば、誰かみえていたようね」

「どなただったと思う?」

「さあ?」


 黒髪メイドは気のない返事をしながら、円卓を拭く肘で巻毛メイドの体を押しのけた。巻毛メイドは負けじと身を傾けるように密着して囁く。


「ケイレブ・シューゲイツ様よ」

「それで、そんなにはしゃいでいるのね」


 納得しつつ、黒髪メイドは巻毛メイドから大股で距離をとって、素早く円卓の反対側へ回った。巻毛メイドはまったく気にしないようすで、円卓の上に身を乗り出して弾む声を大きくした。


「さっきまでホールにいらっしゃったのよ。本当にご覧にならなかったの?」

「見てないわ」

「もったいない!」


 巻毛メイドは叫ぶと同時にだっと駆け出し、またぶつかる勢いで黒髪メイドと肩をくっつけた。


「ケイレブ様といえばジェイデン殿下の侍衛にして、母方の従兄でいらっしゃるのよ。あまりお顔は似ていないけれど、同じ血を継いでいらっしゃるだけあって、お美しい殿方よ。それをご覧にならなかったなんて、もったいないことこの上ないわ」


 早口でまくし立てる巻毛メイドを、黒髪メイドは、今度は腰で押しやった。


「あなた相変わらず、こういうことには詳しいわね」

「美男子は目と心の栄養よ。殿下もケイレブ様も、とてもわたくしの手が届くお方ではないけれど、夢見るだけならタダだもの。直にご尊顔を拝めたら、寿命も延びるってものだわ」


 巻毛メイドは踊る足どりでくるりと回転して、黒髪メイドから一歩離れた。箒を相手に見立てて、その先端へうっとりした表情で頬を寄せる。


「遠目でも分かる凜々しい横顔で……わたくし、ときめきで胸が苦しくなって、心臓が止まってしまうかと思ったわ」

「……それって寿命が延びるどころか死んでしまうのでは」


 黒髪メイドはぼそりと言いながら、今だとばかりに早足で壁際のマントルピースの前へ移動した。黒髪メイドが大理石のマントルピースの上を拭き始めると、巻毛メイドはすかさず追いかけて肩をぶつけた。


「ねぇねぇ、それで、これってどういうことだと思う?」


 ぶつかられた衝撃で燭台を倒しそうになった黒髪メイドは、巻毛メイドをちょっと睨めつけてから話の先をうながした。


「どうって?」

「どうしてケイレブ様が、お嬢様を訪ねてみえたかってことよ。そのままお二人で、馬車でお出かけになったのよ」

「それは――」

「やっぱりジェイデン殿下は、今でもお嬢様がお好きなのよ!」


 黒髪メイドが答える前に、巻毛メイドは甲高く叫んだ。


「ケイレブ様はジェイデン殿下に一番近い侍従でいらっしゃるもの。殿下の使者としていらっしゃったに違いないわ。ということは、お嬢様が向かわれたのは殿下のところ。殿下がお嬢様と復縁したがっているという噂は本当だったのよ。ジェイデン殿下ってあんなにもお美しいのに、それを笠に着ることもなく一途でいらっしゃるなんて――やっぱり素敵だわ!」


 きゃあ、と浮かれた叫声きょうせいをあげて、巻毛メイドは身を揺すった。けれど黒髪メイドは巻毛メイドの推測に引っかかりを覚え、掃除の手を止めて振り向いた。


「でも、お嬢様はもう殿下と関わる気はないって話でしょう」

「それなのよ」


 巻毛メイドは急に真顔になって頬に手を当てた。


「ジェイデン殿下といえば、容姿もお生まれもノヴァーリスで最高峰のお方よ。それを振るなんて、お嬢様は一体なにが気に入らないのかしら」

「……それ、本気で言っている?」


 深刻そうに考え込む巻毛メイドを、黒髪メイドは信じられない心地で見た。


「お嬢様が殿下からひどい吊し上げをされたの、あなただって聞いているでしょう」

「でも、先月にされた盗品の摘発でお嬢様への誤解は解けて、殿下から正式に謝罪もあったのでしょう?」


 本当に分からないという顔をする巻毛メイドに、黒髪メイドはすっかり呆れ返って体ごと向き直った。


「そう簡単なものではないと思うわよ。新春の宴には名だたる方々が出席されていたし、陛下もその場にいらっしゃったのよ。そんな中での殿下のなさりようは、すっかり語り草だわ。わたくしは現場を見たわけではないから、実際にどうだったかは分からないけれど。旦那様も相当にお怒りのようだったわね。あれからお嬢様も塞ぎがちだし、相当に怖い思いをされたんじゃないかしら。そんな相手となれば、躊躇するのも不思議ではないわ」


 黒髪メイドはただ事実を並べ立てて推論する。それでも納得がいかないという目で、巻毛メイドはちょっと唇を尖らせた。


「でも、女性ならみんな写真か肖像画を持ち歩いている、あのジェイデン殿下よ?」

「顔がいいからって性格までいいとは限らないでしょう。わたくしは肖像画なんて持ってないわよ」

「ええー! 嘘ぉー! わたくしなんて二十三枚も――」


 そのとき、がちゃりと扉の開く音が室内に響き、二人のメイドは同時に飛び上がって振り向いた。髪をきつく引っ詰めたメイドがしらが、客間の入口に姿勢よく立ってこちらを睨んでいた。


「あなたたち、ひと部屋の掃除にいつまでかかっているの。ギャラリーの掃除がまだ残ってるのよ」

「申しわけありません! すぐに終わらせます!」

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