青風が鉄を打つ


「お帰り燐君、ってどうしたの?」


にこやかに迎えてくれた受付嬢、マイアは燐の沈んだ表情を見て、驚きに目を剝く。

燐は無言で少しの魔石が入った袋をカウンターに置き、「売却を………」と小声で言った。


「あ、うん。えっと二千円です。………どうしたの?」

「いや、ちょっと、色々ありまして。ありがとうございます。おやすみなさい。さようなら」

「うん。おやすみ。まだ昼だけど」


ふらりと塔から出た燐はなだらかな階段の一段に腰を下ろし、項垂れた。


「俺は本当に駄目だ………」


全身から負のオーラを漂わせる子供へと不思議そうな視線が向けられているが、燐はそんなことを気にする余裕はなかった。

燐は降り注ぐ日差しに目を細めた。湯気のように千切れて流れる白雲を見て、燐は重い溜息を吐いた。


「ここまで順調だったのに、ちょっと調子に乗ったらこれだ。たかがゴブリン3体相手なのに………」

『駆け出しならこんなものよ。燐はソロだし仕方ないわ』


紋章内のアリスが優しい声で燐を慰める。

よしよしと妖精が心の中で燐の頭を撫でていた。


「いや、でもさあ……、もうちょっとうまくできると思ってたんだよ。はあ、自身無くす………」

『ちゃんと成長してるわ。次は簡単に倒せるわよ』

「どうだろうな……。そうだといいけどな」


妖精の慈愛は砕けない。


『ほら!今日は美味しい物食べて、元気を付けましょうよ!それで明日リベンジよ!』

「……いや、駄目だろ。今日の稼ぎほとんどないし………」


心中のアリスの表情が引きつった。


『そ、そうね。今日は節約ね………』

「当然だろ。………はあ」

『ね、ねえ、燐!分かってる?今日は初めての集団戦だったのよ?分からないことも多いのは仕方ないわ』

「え~?そうかな?でも―――」


うじうじと思い悩む燐の姿に、アリスはついに爆発した。


『ちょっと、しっかりしてよ!少し腕が折れただけじゃない!』

「痛いんだよ!お前は折れたことないから知らないだろうけどな!」

『なによ!慰めてあげたのにひどいこと言って!燐ったら、恩知らずな子!』

「うるさいな!大食い妖精が!俺を慰めるついでに食欲出したの見逃してねえからな!」


急に大声を出した少年へと横を通っていた冒険者たちがぎょっとした視線を注ぐ。

大きく円を描くように燐の周囲に空白地帯が生まれる。

そんな燐に影が差す。


「誰と喋ってるの?」


わくわくと言葉を弾ませる少女と目が合った。


「………誰?」

「そう!誰と話しているの?」


あなたはだれ?という燐の疑問を問い返されたと捉えたのか、少女は再度問う。

明るい琥珀色の瞳には好奇心の色が宿り、覗き込む体は小さく揺れている。

風にたなびく青空と同色の髪を抑えながら、彼女は返答を待っている。


「………一人に決まってるだろ」

「あ、じゃあ、でっかい独り言を言ってるやばい人だ!」


そんなことを言いながら、彼女は燐の隣に腰を下ろした。

燐は座るんだ、と思ったが口に出すのはやめた。


「どうかしたの?」

「……ちょっと探索で躓いて。さっきのは、ストレス発散だよ」


アリスと話をしていた苦しい言い訳をして、燐は顔をそむけた。


「ボクも分かるなぁ。嫌なことあると人前で叫びたくなるよね」


うんうん、と頷く彼女を燐は静かに見た。

服装は動きやすそうな革鎧。武器を見に纏っており、同業の冒険者だと分かる。


「でも、人に迷惑をかけちゃだめだよ?」


そう言って、彼女は真っ白い八重歯を覗かせて、笑顔を見せた。

その人懐っこい彼女の表情に、燐は僅かにささくれた気持ちが落ち着いた。


「悪かったよ。………これからダンジョンに行くのか?」


少しの沈黙を嫌って質問を投げかけたことを、燐はすぐに後悔することになった。


「うん。今日は珍しくみんなと一緒に行けるの!あ、珍しくっていうのは仲が悪くてみんな集まらないって意味じゃないよ?リーダーとか姫は忙しいから最近ダンジョンに潜れてなかったの。あと、みんなっていうのはギルドのみんなって意味でね、ボクは一番の新入りなんだ!」

「………お、おお、そうなんだ」


身を乗り出す彼女に押されるように、燐は少し下がる。

楽しそうに話す彼女の胸元に所属を記すエンブレムが描かれていることに気づく。

黄金の翼を持つ乙女の姿。そのマークに燐は見覚えがあった。


「その割に1人だけど、ギルドの人は?」

「いないよ?ボク、楽しみで一時間早く来ちゃったんだ~」

「………だから、人に絡む暇があるのか」

「うわー、可愛くなーい。君、いくつ?」

「14」

「ボク、15」


ふふんっ、と誇るように胸を張る少女を、燐は白けた目で見やる。

燐は疲れたように重い溜息を吐いた。


「ねえ、そんなにひどいミスしたの?間違えて仲間に攻撃しちゃったとか?」

「俺は一人で潜ってるから」

「―――えっ!?初めて見たよ、そんな人!なら、どうしたの?」

「………探索でミスって怪我した」

「1階層?」

「………………」

「ゴブリンに負けちゃった?」

「………………」

「………………………あらら」


どんどん曇ってゆく燐の表情を見て、少女は困ったように眉根を寄せた。

そして何かを思いついたように急に立ち上がった。


「よし、行くよ!」

「は?え、ちょっ!」


燐の手を取って、少女は走り出した。

引っ張られながらなんとか少女の後をついて行く。

時折燐の方を振り返っては、また走り出す。

楽しそうに進む少女に連れられて、燐はあっという間にダンジョンの中に来ていた。


「じゃあ、ゴブリンと戦うよ!」

「えぇ?」


突然の展開に、燐は困惑の声を漏らす。


「俺、負けたばっかりなんだけど」


正直なことを言えば、燐は今日、戦う気分になれなかった。

冒険者を始めて間もないながらも、積み上げてきた自信が崩れ去り、一時的にダンジョンへの熱意が冷めていた。

だが少女は分かってないな~、とでも言いたげに首を振った。


「今日、家に帰って寝たら君のゴブリンへの恐怖は固まっちゃうよ。だから今なの。心が熱いうちに打ちなおさないと変われない。今が初めての冒険の時だ」


少女は真剣な声音でそう言った。

それは冒険者の先達としての言葉だ。少女にも経験があるのだろうか。燐はそんなことを思った。


「君が戦った状況は?」

「ゴブリン3体と―――」

「おっけー!待っててね!」


燐の言葉を聞き終わる前に、少女は風のようにダンジョンの奥へと消えていった。


□□□


『ねえ、燐、やるの?』

「…………ああ、やるぞ。多分、あいつの言ってることは正しい」


事実、燐は今、初めてゴブリンと戦った時のような緊張を感じている。

汗ばむ手で何度も短槍を持ち直し、居心地悪そうに身を捩る。だが確かな決意と共に、通路の奥を見据える。


「ここで帰ったら傷になる」


(燐、焦ってるわね)


アリスは心中でそう思った。

冒険者としての成長を感じたところでの負傷だ。

小さくとも積み上げた自信を取り戻そうと、燐は気炎を吐く。


『燐、無謀な仕返しなら止めるわよ』


だが燐は冷静な声音で答えた。


「さっきの反省もある。試しておきたい」

『ならいいけど…………』


「おぉお~~い!連れて来ったよぉお!」


上機嫌な少女が三体のゴブリンを引き連れて駆けてくる。

ゴブリン三体の距離は先ほどとは違い離れておらず、纏まっている。


(ほぼ横並びか)


燐は迷いなく腕をかざす。緊張を飲み込むように大きく息を吐いて、魔法名を唱える。


「【カース・バインド】」


先ほどと同じように唱えられた魔法が、一番右のゴブリンを縛った。

そして燐は走り出す。

少女とすれ違い、刺突を放つ。中央のゴブリンの胴体を勢いが乗った短槍の穂先が貫いた。

そこまでは先ほどと同じ。燐は二体のゴブリンを仕留めるのを手間取って、魔法が解けた三体目に攻撃されたのだ。このままでは二の舞となるとアリスは紋章内で見ていた。

だが燐は、短槍を引き抜くことなく手放した。そして、腰に手を回す。


「ふッ……!」


裂帛の気合と共に振られたのは、解体用のナイフだ。ゴブリンの肉を切り裂くには十分な刃が喉を切り裂いた。

倒れる身体を見ることなく、燐は短槍の突き刺さったゴブリンに飛びつき、その短槍を引き抜く。

ゴブリンの身体を魔法がかかったゴブリンの間に挟むようにして飛び道具を警戒しながら。


「お、らッ!」


勢いよく抜けた短槍が血しぶきをまき散らしながら自由を得る。そしてゴブリンもまた、魔法の縛りから解き放たれる。

だが燐のほうが早かった。

大きく振るわれた短槍は、ゴブリンの腕に当たる。距離を詰め過ぎたのか、柄が命中して殴られたようにゴブリンは吹き飛んだ。それは意図せず、先ほどの燐と立場が交換したような光景だった。

だがゴブリンには燐のような幸運アリスは持ち合わせていなかった。


振り下ろされた二撃目で脳を潰されて絶命した。


「はあぁぁ…………いけたな」


燐は大きく息を吐いた。先ほどと同じMP消費で無傷でゴブリンに勝てた。

それは大きな成果だが、それ以上に傷を負わされたゴブリンに臆せず立ち向かえたという事実が、燐に安堵をもたらした。


(よかった、俺は折れてない)


「おめでとう!完璧だったんじゃない?」

合流してきた少女の評価も悪くない。

これなら十分『型』として、ゴブリン三体組にも対処できそうだ。


「短槍、複数と戦うには向かないんだな」


燐は先ほどの戦闘でそれを確信した。


『厳密には刺突攻撃が向かない、って感じだったわね。気づかなかったわ…………』


槍の最大威力は、突き攻撃だ。燐もゴブリンを確殺するために、突き攻撃を使うようにしていた。だがそれでは、突いた後に引き抜くという動作が必要になる。

それは時間のロスであり、多対一をするには不向きだ。


燐は短槍を使い始めたばかりであったため、その事実に気づかなかった。アリスもまた、武器を使用しないので気づけなかった。


「これからは、斬撃の訓練もした方がいいかもね」


少女が言う。

燐も先ほど、穂先の斬撃を試みたが、間合いがずれて打撃となってしまった。

あれでは一撃で仕留めることは出来なかった。

仮に斬撃攻撃を習得できれば、燐の戦い方に幅が出るだろう。


燐は今、実感を伴ってマイアの言っていた訓練が大事だという言葉の意味を知った。

仮に斬撃の訓練をしていれば、大怪我をしなかったかもしれないし、そもそも刺突の訓練を怠っていたら、死んでいたかもしれない。


「後はサブウェポンかな。突きの後の隙を埋める短めの武器はあってもいいと思うよ?」


先ほどの短槍の刺突からの解体用ナイフの斬撃は、少女から見ても嵌っていた。

あれを攻撃の基本に組み込んでもいいのではないかと少女は提案する。


「ショップを見てみるか」


燐は解体ナイフでゴブリンの魔石を取り出しながらそう言った。


「おっ、ドロップアイテム」


血を撒き散らすことなく魔石を取り出せたと喜んでいたら、灰の中に小さな牙があることに気づいた。

『ゴブリンの小牙』だ。


『それって、高いの?』


アリスが尋ねるが、燐は首を振った。


『大体300円ぐらいだ。魔石よりちょっと高めぐらいだな』


ゴブリンの魔石が大体200円強だ。ゴブリンの魔石は内包している魔力が少なく、ドロップアイテムもドロップ率は比較的高く、世界中のダンジョンにいるモンスターのため、買い取り額はこの程度だ。


『やっすいわねぇ』

『これでも高い方らしいぞ。ゴブリンの小牙は使い道が多いらしいから』


具体的には、初心者向けの防具の留め具の材料や剣のコーティング剤の混ぜ物などに使われる。そのため、一定の需要が常にある素材なのだ。


燐の今日の成果はゴブリン魔石20にゴブリンの小牙3個。昼間に売った2000円を合わせても大体数千円ぐらいだ。

脳内で計算を終えた燐は、小さくため息を吐いた。

そして燐と少女は共に、ダンジョンを出た。大広間で二人は向き合う。


「今日はお祝いだね!何食べる?あ、もちろんボクのおごりだよ?」


無邪気な笑顔で笑いかける少女へと、燐は怪訝そうに眉根を寄せた。


「待ち合わせてるんじゃなかったのか?」

「…………あ」


時間は既に、彼女の話していた待ち合わせ時間を過ぎている。

きょろきょろと焦ったように周囲を見渡す。

そして燐は、少女の真後ろに音もなく立つ女性に気づいた。

背の高い艶やかな濡れ羽色の髪を伸ばした着物の女性だ。


「お前はどこで、何やってるんだ!」


彼女は振り上げた手刀を勢いよく少女の頭に振り下ろした。


「あぎゃいっ!」


後頭部を抑えて少女は蹲る。それを見下ろす女性の視線は冷たい。


「今、何時だと思ってる?お前がダンジョンに潜りたいっていうから時間を空けたんだろうが!」


至極まっとうな女性の指摘に少女は返す言葉も無い。

燐は、女性の胸元に少女と同じ金翼のエンブレムがあることに気づいた。


(この人、どっかで見た気がするな………)


女性の視線が燐へと向く。お世辞にも友好的な色は薄い。

燐は小さく会釈した。


「それで?お前がうちの新入りをたぶらかした色男か?」

「えっ!?」


とんでもない誤解をされている燐は、素っ頓狂な声を上げる。

慌てふためく燐を見て、女性はふっ、と小さく息を漏らした。


「冗談だ。こいつが連れまわしたんだろう。迷惑をかけたな」


わしゃわしゃと少女の青い髪を乱雑に乱しながら、女性は微笑を浮かべた。

日本人形のように整った正統派の美女の笑みに、燐は困ったように視線を逸らした。

燐は中学生、思春期真っ最中の彼にはいろいろあるのだ。


「いえ、助けられたので。【九条姫】ですよね?『金翼の乙女ヴィナス・シリウス』の」


燐は思い出した眼前の女性の二つ名とギルド名を口にする。

『金翼の乙女』は星底島でも有名なギルドだ。女性だけしか所属しておらず、少数精鋭で知られている。

彼女は『金翼の乙女』の副リーダーであり、その名声は星底島のみならず、世界へと轟いている。

だが、女性は、嫌そうに眉をしかめた。


「【九条姫】はやめろ。ひねりが無さ過ぎて好かん」


【九条姫】。その異名で呼ばれる彼女の本名は九条姫だ。本名がそのまま二つ名になった珍しい冒険者であり、そんな二つ名を彼女は嫌っているらしい。

そうと分かった燐は「すみません」と素直に謝った。


「行くぞ、レイハ」

「あ、ちょっと待って」


少女は姫を制止し、燐へと向き直る。

こほん、とわざとらしく咳払いをして花開くような笑みを浮かべた。


「ボクは、礼羽雫。よろしくね!」

「遠廻燐だ」


今更自己紹介をしている二人を、姫は呆れたように見ていた。

姫と雫は、ダンジョンへと潜っていく。

燐は不思議な巡りあわせに微かな笑みを浮かべて、外へと足を向ける。


散々な一日だった。腕を折られてまでダンジョンに潜って稼げたのは一回の食事代金ちょうど。

間違いなく割に合っていないが、それが今の自分たちの実力だと納得する。


普通の冒険者はおろか、初心者にすら及ばない。


だが二人は着実に冒険者の道を進んでいた。

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