アンダー・ザ・ダンジョン~少年は最下層を夢見る~

蒼見雛

目覚めの日

穏やかなさざ波が砂浜をうつ。空と海の狭間は、ゾッとするほど美しい緋色に染まっている。

まるで終末の炎のようだ。


――この世界は、壊れかけている。


誰もがそれを知っている。

もしも今、この地平の果てから怪物たちが群れを成して、小さな人工島で惨劇の歌を奏でようと、誰も不思議には思わないだろう。

大地を貫く洞が、天へと延びる異形の塔が暗い影を落としているのだから。


だけどこの時だけは、穏やかに風が凪いでいた。

少年と長い髪の女性が、小さな足跡を砂浜に刻む。

少年の足跡は震えるように不規則に、少年の母はゆらりと慰めるように彼に寄り添っていた。

母はあの時何を言っていただろう。彼はそれを揺り籠のように揺蕩う意識の奥で回顧した。


□□□


――まだ狂っていないいつか――


世界は退屈ながらも安定した日々を迎えていた。

大きな戦争も無く、気候変動に対する対策が日々叫ばれている退屈な日常だ。


だが、変化もあった。

主にSNSやインターネット上で始まったそれは、ふざけたネットの住人の悪ふざけに思われた。


『謎の生物』『巨大な塔』


そう言った内容の動画がインターネットを出回った。

何もなかった草原に突如出現した塔。象の数倍もある巨大生物が、徘徊する姿。

洞窟内を歩き、突如響き渡る獣の叫びとブラックアウトした映像。


若者を中心に再生されたそれらの動画は、その完成度と迫力から大きな話題を呼び、連日世間を騒がせた。


それが、放っておけば収束する普段の話題と違った点は二つ。

世界中で同時期に始まったということ、そして真実であったこと。


同時期に日本でも大規模な謎の建造物が発見され、異星人の侵略や古代文明の遺跡だとか至極真面目にテレビで討論され始めたが、世間ではその建造物のことを『ダンジョン』と呼称した。


その理由はインターネットに投稿された動画だった。


アメリカワシントン州在住の青年が自身の庭に空いた謎の洞窟を探検する動画が公開された。そこにモンスターとしか呼べない存在が映っていた。

彼が人気の動画投稿者であったこと、そして動画に映る彼の様子が冗談を告げるエンターテイナーの姿では無かったこともあり、これは真実なのだと世界中に実感と驚きを伴い広がった。


だが、変化はそれだけは無い。ただ謎の建物が現れて、モンスターが出てきた。だがそれだけなら、世界はこうも変わらなかった。

モンスターは危険で恐ろしいが当時の兵器群を駆使すれば、討伐は可能だった。むしろ未知の資源と生物は、世界中の人々の好奇心を刺激した。


世界中の国家機関もまた、ダンジョンのもたらす利益に気づいた。そして危険地域の封鎖という名目の元、先進国のほとんどは大規模な捜索隊を組織して国中を探した。

日本もまた、自衛隊を中心に『不明建造物捜索隊』が組織され、捜索活動が続けられたが、日本の国土は山が多いこともあり、発見が遅れたダンジョンが多かった。


そのような政府が発見できていない未発見の迷宮に入ったものは多かった。

法的には他人の私有地である場合も多く、ダンジョンへの立ち入りを制限する法整備がされていなかったためだ。


ダンジョンが発生した土地の地主、あるいはテレビ局、動画投稿者、冒険家を名乗る者。

彼らの多くは真新しい話題に飛びつき、未知の土地へと足を踏み入れた。

そしてその者の中から、ステータスが見えると言い出す者が現れたのだ。

紙に血を落とし、粘液生命体が落とした『ドロップアイテム』を垂らす。そうすることで自身の名と、『ステータス』と呼ばれる状態、能力値を見ることが出来た。


ダンジョンを進むことで手に入れた超常的な能力を動画サイトに投稿する者も現れ、世界は迷宮とそれがもたらした力を知った。


先進国の多くは、民間人に先んじてダンジョンを捜索、確保したことで未知のモンスターとそこから得られる力の影響を最小限に抑え込むことに成功した。

だが、国内の治安が不十分な国では、ダンジョンで得た力による武力を伴った内乱やクーデターが発生した。わずか数年で多くの国の名前や国境線が変わることとなった。



「それが、今から約50年前に起こっていたことなんです!」


言葉を締めくくった男は、子どもたちの反応を見るために教室を見渡した。

彼は1年2組の担任の先生だ。社会科を専門としていると言っていた。

だからだろうか、世界史の授業には普段よりも気合が入っているように見える。


少年は手元の教科書を見る。ページの中心には、『大氾濫スタンピード』という文字が青文字で太く強調して書かれている。

すでに小学校で習ったことを、復習するようにもう一度。中学一年生の歴史は退屈に満ちているが、一つ一つ単語をしみ込ませるように、彼は目を走らせる。


ダンジョン内にはモンスターが跋扈し、それを倒した者に力を与える建物、ダンジョン。

それは国を治めるものからすれば厄介な存在であり、多くの国は軍隊を使って閉鎖した。


だけどダンジョンは、人類に静観という選択肢を与えはしなかった。

ダンジョンを閉鎖して数か月後、世界中のダンジョン内から大量のモンスターが湧き出してきた。そのモンスターは今まで確認されていた固体よりも強力で種類も多く、明らかに未開拓領域から進出してきたことが分かる。


それにより、大きな被害が出た。

世界で数百万人以上が死亡し、その十倍以上の数の人類が住処を追われた。これが『第一次ダンジョン災害』。


学者による解析の結果、この『大氾濫』と名付けられた現象は、ダンジョン内部の生態系の異変によるものだと結論付けられた。


迷宮内部は有限の土地だ。そしてその中に一定間隔でモンスターが発生する。内部のモンスターは縄張り争いや食料のために、互いに殺し合い、食物連鎖を形成している。

だが内部のモンスターが増えれば、住処を追われたモンスターはより上層に居場所を求める。それが繰り返されることにより、一層からモンスターが溢れるのだ。


そして学者たちは、人類がダンジョン内部を探索し、モンスターを間引く必要があることを主張した。


初めは、各国軍隊のみで対処に当たっていたが、発見される迷宮の数に対する軍人の不足から、政府は迷宮内部に潜る者『討伐者』を民間から募集した。それには多くの人間が申し込んだ。


このころになると民間から迷宮へと潜る者たちも増え、『ジョブ』と呼ばれるダンジョンの力への理解も進んだ。

それと同時に迷宮内から取れる『資源』の有用性も多くの者を惹きつけた。

モンスターの心臓部の核である魔石は外部から魔力で刺激を与えれば、膨大なエネルギーを発生させる。そして迷宮内で取れる新種の生物の素材や植物は新たな食糧や薬の材料となった。新種の鉱石の発見により、元素周期表は変化した。


ダンジョンは危険な構造物という評価から、危険だが富を生む場所へと変わった。


日本では、日本迷宮管理機関(DM)と呼ばれるダンジョンとダンジョン探索を生業とするものを管理する機関が発足し、外国から一歩遅れる形で迷宮内部の取得物の所有権を民間に認めた。それにより、『討伐者』はやがて『冒険者』と呼ばれるようになった。


担任の教師は、さわやかな笑みを浮かべて、淀みなくダンジョンに関する知識を披露している。元冒険者という経歴もあり、自身の体験を踏まえながらダンジョンに関する危険性を説き、ダンジョン発見時の注意点を教えている。


中々血生臭いことも言っているため、子供たちの中には不快そうに表情を歪ませるものもいたが、その少年、遠廻燐トオエンリンはうずうずと心のざわめきを押さえるように表情をほころばせていた。


彼にとっては危険なダンジョンの話も、放課後の予定を連想させるスパイスでしかなかった。

(俺、いよいよダンジョンに行けるんだ……!)

燐は今年で13歳。本来はダンジョンに入れる年齢ではないが、両親が冒険者ということもあり、特例で彼は今日、念願のダンジョンに行くことが出来る。


今まで何度も見てきた映像の中の世界。そこに自分が立つという興奮が昨日から燐の気分を高揚させていた。


燐は人づきあいが苦手で幼いころからネットの世界に籠ることが多かった。

ゲーム、漫画、アニメも好きだったが、それ以上に好きだったのが『ダンジョン』。

冒険者をしている父と母が土産に持って帰る冒険譚が子守歌であった彼は、いつしか当然のように『冒険者』に憧れるようになった。


彼は幼いころからずっと、将来の夢は『冒険者』だと、その時だけは人見知りも忘れ、大きな声で誇っていた。


冒険者は危険な職業だ。死亡率も高く、安定とは程遠い。

だが燐は自分ならば大成できると確信を抱いていた。

それが中身のないものならば、年相応の子供らしい夢だと言えたが、燐には自信の源となるものがあった。


燐は教師の話を聞き流しながら、机の下で右手を握る。

それに注ぐ燐の意識は、プラスよりもマイナスの気持ちの方が多かったが、そんな小さな憂鬱もすぐに期待で塗りつぶされた。


かたかたと、真冬の冷たい風が窓を叩く。中は暖房で温められており、温度差から窓は薄く曇りがかかっている。そこに描かれた落書きやエアコンの吐き出すぼーっとした音を聞きながら時間が過ぎるのを待つ。

白く染まった窓越しに見える空は、今にも雪の粒を溢しそうな曇天だった。燐の気持ちと反して重苦しく垂れ下がっている。


焦れた気持ちで待つこと10分。遅々とした時計の針がようやく垂直に立ち、聞き慣れたチャイムの音が鳴る。


燐は教科書をしまい、帰りの準備をする。

そして、教師がさようなら、と言い終わるかどうかの頃に席を立ち、後ろの扉へと早足で向かう。


友人と談笑する者。帰りの支度をする者。そんなクラスメートたちの間を縫って出口へと向かう。その途中、燐は大柄なクラスメートとぶつかりそうになった。

彼は、教室後方のロッカーに用事があり、周りをよく見ていなかった。


燐とぶつかりそうになった彼は、ぎょっと、目を剥いて慌てて後ろに下がった。


「あ、あぶねえ!気を付けてくれ!」


大柄な少年の視線は、燐の右手に向かっていた。

その冗談めかした様子の無い、悲鳴じみた声は教室中の注目を集めた。

一瞬、放課後の喧騒は鳴りやみ、皆の視線が燐と大柄な少年に向かう。そして、騒ぎの中心にいるのが燐だと知れば、皆の表情には納得が浮かんだ。

憐憫、同情、迷惑。様々な感情が燐へと向かう。


「あ、えっと、ごめん……」


俯いて呟かれた言葉に、大柄な少年も決まずい表情を浮かべた。自分が不用意に注目を集め、燐を晒し物にしていることに気づいたのだ。


「俺も、でかい声出してごめん。…………じゃあな、遠廻」

「うん、じゃあ」


燐もまた、静寂に追われるようにして、教室を後にした。

燐の心中には怒りは無い。大柄な少年が悪いわけではないと分かっているからだ。

ただ、生まれてきてから何度も感じてきた虚しさだけが、燐の心を締め付けていた。

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