第14話 悪だくみ

 静まり返った月明かりの薄闇でささやかな幸せを味わう。


 五十嵐を助けるだけじゃなくて、五十嵐だって私を助けてくれているのだ。休みなんて生の人の声を聞かずに終わってしまう日だってある。でも少なくとも明日は孤独に怯えなくてもいい。


 心はすっかり安堵に包まれているのに、目を閉じてもなかなか眠れない。やっぱり五十嵐が同じベッドにいるからだろうか。姿勢が落ち着かなくなってきたから、寝返りを打つ。


 ばっちりと五十嵐と目が合った。まだ寝ていなかったみたいだ。闇に慣れてきた目だからはっきり見える。驚く私とは正反対に、五十嵐はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「頬を触るのはいいです。でもいくら襲いたくなるくらいの美少女だからって、恋人がいない悲しさを私の体で発散しないでくださいね」

「するわけないでしょ。私のことなんだと思ってるの」

「十歳も年下の女子高生に突然後ろから抱き着いてドキドキする欲求不満なお姉さんだって思ってます」

「うっ……」

「下心はないのだとしてもこの認識は変わりませんよ。万一にも魔がさせば襲われちゃうかもしれないじゃないですか。私ほどの美少女はそうそういないんですから」


 襲う襲わないは論ずるまでもないとして、思い返せば確かになかなかまずいことをしていた。通報されれば一発で逮捕だ。というかそもそも家出した女子高生を泊めてる時点で色々とまずいのでは? そんな常識に今さらながら、気付く。


 でもまだ五十嵐を帰したくはない。お父さんと仲直りしてないわけだし、辛い目に合って欲しくないのだ。


「あの、ところで牧野さんって私を泊めることでなにか得とかしてますか?」

「目の保養?」

「他には?」


 一人でいるのは寂しい。でもただそばにいてくれるだけで嬉しい、なんて言うのは流石に恥ずかしい。まるで愛の告白みたいだ。他のそれらしき理由を探す。


「五十嵐って料理とかできる?」

「できないです。ほんの少しもできないです」


 首をぶんぶん横に振って全力で否定している。お皿を洗う手つきもたどたどしかったもんね。うーん。


「掃除とか。いや、勝手にいろいろと触られるのは嫌だしなぁ。んー。……五十嵐を有効活用する方法かぁ」


 五十嵐は綺麗で絵の才能があって勉強もできる。でもそれが日常生活に役立つかというと……。うん。あまりいい案が思いつかない。普通に生きていく上では身の回りのことが一番重要なのだ。


 黙り込んでいると、五十嵐は頬を赤らめて目を閉じた。


「やっぱりキスくらいなら別にいいです。欲求不満でいられても困りますから」


 薄闇でも分かるほどに顔が赤くなっている。あまりに無防備だ。


「するわけないでしょ。というか別に欲求不満とかじゃない」

「目の前にこんな美少女がいるのに? 愛してるって言えちゃうほどなのに? 少しくらいはお礼として成立すると思うのですが……」

「確かにお礼にはなるかもだけど、キスなんてしないよ。私は五十嵐に何も求めない」


 五十嵐は残念そうに眉をひそめた。


「でもそんなの落ち着きません。だってご飯作ってもらって、お風呂も、寝床まで与えてもらって。精神的にもたくさん助けてもらったのに、……なのに何も返せないなんて」


 申し訳なさを感じるのは当然だと思う。でもお礼がキスって言うのは、ちょっとずれすぎている。自己肯定感が低くなってしまう状況だってことは分かるけど、五十嵐にはもっと自分のことを大切にして欲しい。


「そもそもだけど。私、大人が見るような恋愛ドラマよりも少女漫画の方が好きなんだ」

「……え。少女漫画?」


 目を見開いている。そりゃそうだ。いい大人が少女漫画好きとか現実見ろって話だ。でも五十嵐の魅力を否定せずにキスを拒むには、真実を伝えるのが一番いいと思う。


「お金とか、世間体とかそういうの全く気にせずに純粋に恋だけしてさ。好きだから好きだっていう。……好きだから、キスする」


 案の定、五十嵐はにやつきを隠せていない。顔へ急速に熱が集まるのを感じる。


「いくら人付き合いが苦手とはいえ、牧野さん、顔は割といいですよね」

「急に褒めるね?」


 私の顔は褒めるにしては微妙だけど、褒めないというのも失礼な気がする。そういう中途半端で扱いに困る顔だと自認している。でも美の権化な五十嵐が褒めてくれるのなら、自分で思うよりは綺麗だったりするのかもしれない。


「見た目はいいのに恋人いないって逆に悲しいことですから。夢見る小学生の女の子みたいな可愛い考えならそれも納得です」


 痛い言葉に唇を尖らせながら五十嵐の頭をぽんぽんする。


「とにかく分かったでしょ? キスはいらないって」

「意中の相手からのキスしか受け付けないってことですよね?」

「……まぁそういうことだけど」


 五十嵐は悪だくみするみたいに唇を歪めて微笑む。一体何を考えているのやら。まさか強引に私の意中の相手になって、無理やりにでもお礼をしてやろうってこと? 私のファーストキスを奪おうって算段? 


 いや冷静に考えてそんなわけはない。五十嵐が私みたいな凡人にそこまでする意味がない。でも五十嵐は私に負い目を感じているみたいだ。料理も掃除もできないとなると、恩を返すにはそれ以外の手段に頼るしかなくなる。


「いつかきちんとお返しさせてもらいます。待っててくださいね。私という天才美少女に恩を売ったままなんて牧野さんも辛いでしょう?」


 なんて笑う視線の先には、唇があるような気がする。気のせいかもしれないけれど。でも疑念があるのならば絵に関することをたくさん五十嵐から学んで、早めに申し訳なさを消してあげないといけない。


 私が望むのは五十嵐の幸せなのだ。好きでもない相手にお礼のためにキスさせるなんてあり得ない。でも五十嵐はまだ自分が嫌いなのだろう。だからないがしろにしてしまう。


 ため息をついていると、不意に指先が触れ合った。反射的に手を遠ざける。けれど五十嵐は逃がすまいとするみたいに、ぎゅっと握り締めてきた。


「手、繋いだまま寝ませんか。寂しいです」


 上目遣いでみつめていた。顔が熱くなるのを感じる。本当に、美しいって卑怯だ。ただ目を合わせるだけで人の心を乱せてしまうのだから。


 でも五十嵐は平凡な女の子だ。親にも嫌われて学校でも孤独。美しさも呪いの一つで、温もりを求める内面すらも覆い隠してしまう。だったらせめて私だけでも本当の五十嵐をみつめてあげたい。


 ちょっと恥ずかしいけれど、私からも優しく繋いであげる。五十嵐は穏やかに微笑んで目を閉じた。しばらくすると寝息が聞こえてくる。静かなそれを聞いていると心が落ち着いてきて、気付けば私もいつの間にか眠りに落ちていた。

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