第四章 新しい季節も君と

第26話 発熱と幼児化

 検査入院から帰った悠陽は驚きの情報を耳にする。


「えっ、美桜ちゃんが熱を出して寝込んでる?」


 寝耳に水とはこのこと。

 母親曰く、美桜は昨日の夜──悠陽が入院した日の夜に、熱を出したそうで。


「マジか……特に何も聞いてないんだけどな」

「あら、意外。あんたが知らされてないなんて、ケンカでもしてるの?」


 からかうような母親の言葉をひらりとかわして、同じ階の美桜の家を訪ねる。

 時刻は昼すぎ。

 彼女の両親はまだ働きに出ている時間だから、美桜が家にいるとしたら一人きりのはず。


(もしかしたら心細く思ってるかもしれないよな)


 美桜は初めて会ったときから、ひとりぼっちを好まない気質がある。悠陽はそのことをそれとなく知っていた。

 だというのに。


(……どうして俺に教えてくれなかったんだろう)


 疑問は後回しに、インターホンの呼び出しを数度してみる。

 だが特に反応はない。

 そして思い至る。


「ああ、そっか。寝てるかもしれないのか」


 無理に起こさない方が良いかと悠陽は考え、美桜にはメッセージのみを送っておく。


『体調はどう? 無理のない範囲で返信してね』


(こんな感じでいいか。ええと、あとは、ええと……)


 無性にそわそわしてしまう。

 どんな状態かも分からず、ただ待つことしかできないというのは、じつに落ち着かないのだと悠陽は思い知らされる。

 イヤな想像が膨らんで、ストレスとなって悠陽の反応に現れる。

 廊下に、タンタンタンタンと短い音が響く。


「……ああ、くそっ」


 悠陽は自分でも気付かないうちに貧乏ゆすりをしていた。焦りと苛立ちをしずめるように自分の足を押さえた。


「落ち着け、落ち着け。焦ってもしゃーない」


(いま俺に出来ることはなんだ?)


 まず思いついたのは買い出しだ。


「うーん、薬とかご飯かな。あとは……ああ、飲み物とか?」


 解熱剤、レトルトのおかゆ、スポーツドリンク、熱を下げる冷却シートなど、必要そうなものが浮かんでいく。


「それと、なにかあったら嬉しいものとか……」


 熱を出した人向けのオーソドックスな看病セットとは別に、弱っている美桜が欲しがりそうなものを考えていく。


(冷たいもの? こういうときにアイスとか食べるっけ。それとも果物だっけか。いや、待てよ──)


「あ」


 ひとつ、美桜が欲しがりそうなものを

 幼いころに熱を出したときに決まって欲しがっていたもの。


「待っててね、美桜ちゃん」


 元気になりつつある悠陽は、もう一人でも買い物ができるのだった。



◆ ◇ ◆



 悠陽は買い物から帰るとマンションのエレベーターに乗りこむ。

 スマホを開いて、美桜とのチャットを確認した。もちろん返信を期待してのことだったが。


「ん」


 送ったメッセージが既読になっている。

 けれどそれだけだった。返信はない。


(スマホを開くくらいの余裕はあるってことかな。でも、何かを入力できるほど元気はない、って感じか。そんじゃ、まあ)


 玄関の前に買い物袋を置いて帰ろうと悠陽は考える。メッセージを送っておけば、自分の好きなタイミングで持って行ってくれると期待して。

 エレベーターのドアが開く。


(さて、置いてきたらおとなしく家に帰るか)


 そう思っていたのだが、実際に美桜の家の前まで足を運んでみると。


「へ? なんで……」


 美桜がドアの前でうずくまっていた。

 だぼっとしたスウェットに身を包む美桜は、膝を抱えてしゃがみこみ、顔をうずめて丸くなっていて。

 明らかに普通の状況じゃない。

 焦ったのは悠陽だ。


「ちょ、ちょっと美桜ちゃん!? どうして外にいるのさ」


 慌てて駆け寄ると、美桜がゆっくりと顔を上げた。

 うつろな目で悠陽を見つめる。ピントの合っていない眼差しに悠陽は不安を覚える。

 少しずつ美桜の瞳が焦点を捉えていく。やがてその水晶体に悠陽の姿が映っているのに気づいたようで。


「あ、ゆう兄ちゃんだぁ……おかえりぃ」


 にへら、と美桜は笑った。

 力の入っていない表情。自分がいまどこでなにをしているのかも分かっていなさそうで。


(さすがにこれは放っておけないな……)


 買い物袋を置いて帰るプランを悠陽は棄てる。


「ただいま、美桜ちゃん。立てる?」

「むりー」


 ゆるんだ口調は幼い子供のようで、悠陽は面食らう。

 普段だって大人っぽいわけではないが、今日の美桜はそれよりもさらに幼く感じる。

 出会った頃の、六歳の美桜にもみえる振る舞い。

 風邪で幼児退行をしているのだろうと悠陽はあたりをつけた。


(俺がしっかりしなきゃだなぁ、こりゃ)


 悠陽は気を引き締めた。

 姿勢を低くして美桜と目線の高さを揃えて尋ねる。


「美桜ちゃん、薬とか持ってきたから、いったんおうち入ろっか」

「ん-ん」


 美桜が首をぐりぐりと横に振る。


「やなの?」

「ん」

「立てないから?」

「うん。たてない」


 どうやら立てないらしい。

 元気がないのか、やる気がないのか。

 だが、ここで「はいそうですか」というわけにもいかない。日も暮れはじめて廊下は冷え込んできている。


(どうにか家に入ってもらわないとなんだけど……なにか、美桜ちゃんを動かせるものは……)


「あ」


 手元の買い物袋を見つめる。

 これがあった、と悠陽はほっとした。

 それから美桜へと、もったいつけて告げる。


「そっかぁ、残念だなぁ。せっかく美桜ちゃんの好きなもの買ってきたんだけどなぁ」


 まるで釣り場にエサを垂らすように。

 すると。


「すきなもの?」


 美桜がぴょこりと反応する。

 垂らした釣り糸に興味を示している。悠陽はそう考えてちらちらと揺さぶりをかける。


「熱が出たとき、一番食べたいやつ」

「ほんとに?」

「ほんとほんと」


 美桜がすっかり乗り気になったと考えた悠陽はここで一気に勝負に出る。


「おうち入ったら渡すから。ね?」

「うー、わかった」


 美桜は急にスッと立ち上がり、ドアを開けた。


「いや、立てるんかい!」


 悠陽は思わずツッコんでしまう。

 だがその反面、ふらふらと家に入っていく美桜の後姿に納得もしていて。


(なんか病人って、こういう、があるよな……)


 悠陽は美桜を追いかける。

 家に入ると、慣れない匂いがした。他人ひとの家の匂いだ。

 うす暗い廊下を進んでいく。自分の家と同じ階でも、中の作りは違うんだよな、などと悠陽はぼんやりと感じる。

 やがて美桜の部屋へと辿りつき。


「お邪魔します」


 コールドスリープ前ぶりの、美桜の部屋へ足を踏み入れる。

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