第3話 伏魔殿①


 張華は占星省の敷地の紅く大きな門に来ていた。


「ここが占星省かー!大きな門!」


 〈和都遜ワトソン〉は背後を山脈に守られ、王の暮らす内裏だいりは山脈側に位置している。


 王国の中枢機関はその内裏を囲う様に設けられ、その敷地内は大内裏だいだいりと呼ばれている。


 しかし、占星省はその敷地内にはない。


 占星省は、建国より徐々に力を付け、徐々に存在感を増した省であり、元は小さな楼閣一棟であった。そこから力を付け、徐々に拡大していき、数十年前に遂に官吏の数や建物が敷地内に収まりきらなくなったことから、〈和都遜ワトソン〉の中心地側に広い敷地と共に異動することになった。


 今では一番を争う省となり、敷地内には幾つもの楼閣が建ち並び、人の往来の多さが官庁としての活気を表していた。



 そんなところに、張華は詠星えいせいの式神の"蝶"に連れられてやって来ていた。服は、普段の腹掛けに小袴こばかまではなく、蝶から渡された高級そうな着物を正しく纏い、正装をさせられている。


 門をくぐり、蝶に導かれるがまま二人は歩き始めた。


「で、蝶さん。私、なんでここに連れてこられたんですか?」

「分かりません。私は主人様あるじさまに言われたままですので。でも、何でも困っているとのことです」

「ふーん。アイツがねぇ。正直、いい気味だと思うけど。まぁ、命助けてもらった貸しもあるからついて来たけど。ところで、アイツって昼間ちゃんと働いているの?結構驚きなんだけど!」


 張華が未だ信じられないと言う顔で蝶に改めて問うた。蝶が口元を隠して笑う。


「ふふふ。主人様は普段昼間に寝ています。困り事が起こったので今日は来ているというところです」

「やっぱり……。アイツが普通に働く訳ないよね」

「ふふ、張華様はよく主人様のことをお分かりですね」

「いやいや!そんなことないって!」


 張華が少し顔を赤らめて慌てた。蝶は微笑ましいようだった。そして、何かを目端に捉えたようで、その方向に張華の視線を手で誘った。


「あっ、見てください。主人様です」


 蝶が指差す先に詠星えいせいの姿があった。建物の入り口で本を読んでいた様だった。詠星の元に蝶と張華が歩み寄り、やっとそれに気付いた詠星が、本を閉じてニヤける。


「馬子にも衣装と言うが、馬子に衣装を着せたところで、だな」


 張華がむすっと不機嫌な顔をする。


「だーっ、ほんと嫌な奴。普通お世辞でも言うべきことがあるでしょ。ほら、なんて言うの?言ってみなさい」

「しらん」

「あー、やっぱり来て損した。困っているっていうから来てやったのに」

「お前はそんな善人ではなかろう。タダでくる訳がない。差し当たり、貸しを返しに来たのだろう?それほどの善人なら拉麺は投げないからな」

「はいはい、その節はどうも。詠星貴方結構根に持つタイプ?」

「いいや?あらゆる記憶が消えないタイプだ。故にいつまでも言う」

「あっそ。神様も待たせちゃいけない奴に力を待たせちゃったね」

「いや、神がいるなら正しい選択だ」

「はいはい、分かりました。じゃ、実際これでチャラだからね?」

「あぁ、チャラでいい。いや、そうだった。服や胸の詰め物はくれてやる」

「やったー!って、なんで胸の奴知ってんのよ!」

「蝶に指示したのはオレだ。では、本題に入ろう」

「うん」



 詠星の言うところには——




 「詠星に呪いが掛かっている——」


 と、占星省でもっぱらの噂になっているという。


 というのも、ここ数週間で詠星派の人々に次々と体調不良が起こっており、休暇に入ってしまったという。


 張華が眉間に皺を寄せて、理解できないようでこめかみをぐりぐりと押した。

「あー、ちょっと待って。いきなり話に割ってごめん。ねぇ、貴方のこと慕う人なんてこの世に存在するの?」

「まぁな」

「ワァオ!」

「オレは群れる事が嫌いだが、寄ってくる奴はいる。だから、利用してやっている」

「随分な物好き……」

「ふっ、実力があるからな。話を戻すぞ」



 彼らに起きた症状は徐々に痩せていき、最終的には立つ事も難しくなるというもの。


 だが、先んじて呪いに当てられた者は、仕事を休み、しばらく家で養生すると少しずつだが快復し始めたということだった。


 詠星派の連中は、サボりの詠星の代わりに省内でしか出来ない雑務をこなしていたから、「詠星の呪いを肩代わりすることになった」と噂になった。更に偶然か必然か、詠星を訪ねて来た客人女性が数人、訪問後に体調を崩した。


 それが「詠星は呪いが掛けられている」という噂を確実なものにした。



 そして、数日前。


 「詠星は仕事をサボり、料理屋の小娘に入れ込んでいる」との何者かによる嫌がらせの張り紙があり、一連の事件が詠星自身への嫌がらせであることが示唆されたのだった。



 結果として、詠星の雑務をこなしていた詠星派は体調不良で不在。

 呪いを恐れて、誰も詠星派に協力してくれなくなり、詠星は久しぶりに出勤することとなったのだという。



 張華は一通り聞き終えて満足そうに笑った。


「良いざまじゃん!で、呪いは掛かっているの?掛かっていたら協力しないからね」


 詠星が張華を見下して鼻で笑った。


「阿呆。しからば、このオレが気付かないわけがなかろう。何者かによる嘘だ。故意による妨害でしかない」

「えいっ!」

「ゴフッ」


 張華が詠星の腹を殴り、詠星が膝から崩れ落ちた。蝶が慌てて詠星に駆け寄る。張華が今度は詠星を見下ろしながらうすら笑い、詠星に尋ねた。


「いつも人を馬鹿にしているお返しだ。で、私は何をすればいいの?」


 詠星は冷や汗を流して苦悶の表情を浮かべながら、張華に言い放つ。


「ふっ…。こ、このオレに…貴様の攻撃が…効く……わけ……なかろう…」

「そっ。で?」

「こ…この省内を……ほっつき…歩いていろ」

「えっ?それだけ?」

「…あぁ。そ、それだけで釣れる」

「釣れる…?なんか気になる言い方するじゃん。どういうこと?」

「ふっ、言う訳…ないだろう?面白くなくなる」

「えい!」


 張華はへたり込む詠星に垂直チョップをお見舞いする。詠星がプロレスばりに苦悶の表情を浮かべる。それが楽しくて張華は笑いながら何度もチョップしていると、張華の腕を誰かが掴んだ。



 屈強そうで怖そうな衛兵だった。


「あー…えっと、これは違うんです…。なんというか」




「ごめんなさーい!」


 張華はそのまま衛兵の詰所へと連行された。詠星も蝶も無言のまま憐れみの目を向けるだけで助けてはくれなかった。



 張華を見送った後で詠星は人知れず笑みをしたためこっそり呟いた。



「さて、魚はかかろうか」

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