08 それまでは


 マガリが毛糸を買って来て、簡単なミトンの手袋から教えて貰う。

「手首部分から編んでいきます。一目ゴム編みで、次はメリヤス編み。親指部分を残します。全部編んだら絞って止めて」

 マガリの言葉が魔法の呪文より難しい。レース編みは習ったけれど、棒針編みは習っていない。編んでいる内にパターンは分かったけれど、きつくなったり緩くなったりしてガタガタな編み目はどうしよう。


 いや、自分の手袋はいいのだ、それで。でも、アストリは貰ってばっかりだ。こちらからも何かしたい。差し上げたい。こんな気持ちは初めてだ。


 クルトとマガリには薬を作って贈る事にした。だがミハウには何か違うものを贈りたい。この毛糸で編んだ手袋はピッタリではないかと思った。習い始めの初心者の腕では無謀かもしれないが、こっそり寝る前に『リュミエール』を唱え、編んでは解いてを繰り返す。


 自分の手袋が出来たのでルナエの森に薬草を採りに行く。この森で採集できる薬草や材料も多い。木の皮とか茸とか昆虫とかだ。


 編んだ手袋をして、フードやズボンを穿いてブーツを履いて森の中を歩く。この森の魔物はそんなに凶暴なものはいない。

 教会堂の裏の雑木林位だとアストリはひとりで行く。だが森の中はミハウかクルトかマガリがついて来る。人に会った事は殆んど無いけれど、人が通りかかると皆森に入って隠れてやり過ごすように言う。見つかったらいけないのだ。


 魔力検査の後、逃げるようにこの教会堂に来た。この教会堂に来てから彼ら三人以外の誰とも会っていない。その事が異常な事に薄々気付いても、アストリは疑問を口に出さなかった。

 ここの生活は居心地がいい。アストリは守られている。


(でも、私は大人にならなければいけない。ここはそれまでの準備期間。いつか出て行く日が来る。私は罪深い人間なのだから──)


 もうすぐ十五歳になる。そしたら胸に下げた鍵であれを読まなければいけない。サウレ神の試練を──。



 アストリが作った薬はマガリが麓の集落に配ったり、丘の向こうのスードル村の薬屋に持って行って売り捌いた。

「はい、今月分の薬の売り上げです」

「マガリさん、沢山あります。銀貨も入っています」

 アストリはそれまでお金を持ったことがない。修道院で作った物は全て修道院のものだった。初めて薬や刺繍を売った代金をマガリに渡された時は慌てた。


「これは売って来たマガリさんのものです。それに私はお金の使い方を知りません。使った事がありません」

「あらまあ。でも私はちゃんとこの中からお駄賃を頂いていますし、持っていて困ることはないですよ」

「その内、街にも行くから持っていろ」

「はい」

 ミハウに言われて代金を受け取った。

 今アストリの部屋にはここに来てからの売り上げ代金が、自分の部屋にあまり減りもしないで溜まっている。



 教会堂で育てた薬草に、ルナエの森の木の皮を剥いで粉微塵にした物を入れてドロドロと煮る。そこに茸を微塵にして入れ更にドロドロに煮溶かす。教会堂で採った芋を下ろして絞って粉にしたものを入れて小さく纏める。

「我が魔力を薬に注ぎ込まん『キュア』」

 作った薬に治癒の呪文を紡ぐと、作った薬に小さな光が降り注いだ。


 クルトとマガリに渡すと少し微妙な顔で「ありがとう」と言われる。アストリはミハウに渡す手袋の事で一杯であった。

「先生、これ私が編んだんです」

 そろっとミハウに差し出す。

「何だ?」

 綺麗に紙に包まれた物を開くと手袋であった。少し編み目が詰んでいるがなかなかの力作に見えた。

「へえ、お前が編んだのか?」

「はい」

「そうか、ありがとう」

 ミハウにそう言われて頑張った甲斐があったと思う。

「えへへ」



 だがそんな教会堂の生活も終わりに近付く。


 テーブルの上にネウストリア王国の地図を広げてミハウが説明する。

「サンブル川を北へ向かえばデュラック辺境伯領になる。この地の辺境伯は何代か前に王家から領地を賜った王弟の子孫が代々治めている。辺境の北側は高い山々が連なり、東側は岩がゴロゴロする荒れ地が広がり魔物が多いが、隣国も近い。西側は高原だ」


「魔物が多いのですか。強い魔物もいるのですか」

「そうだな色んな魔物がいるな、他の樹木に寄生し毒を吐く植物とか、煩く鳴いて判断を狂わす鳥とか、岩を投げて来る力持ちの魔獣とか、街道を行けば少しはマシだがな」

「このネウストリア王国以外にも国があるのですね」


「たくさんあるぞ。隣国だけでも東に二国、北に一国、西に帝国がある。王都の南には港があり、この辺りの国々とも交易の航路が開かれ栄えている。しかし魔物は海にも居るし、魔の海域もあるし、海が荒れれば船は沈む。船旅は楽だが危険だ」


「ミハウ先生はいろんな所に行かれたのですか?」

「ああ、二年以上同じ所にいたのは珍しいな」

「そうなんですか」

 アストリはミハウについて外国語を習っている。

「帝国語は多くの国で通用する。覚えていて損はない」

「はい」


 ミハウは幾つなのだろうとアストリは思う。二年経っても全然変わらない。そういえばクルトとマガリも変わらない。中年だから変わっても分からないだけだろうか。修道院に居たみんなはどうだったっけ。



「アストリの誕生日が来たらここを出ようか」

「ここを?」

「ああ、君は何処に出しても文句なく立派な令嬢だ。引き取りたいと言う人は多いだろう」

「私は貴族ではないと──」

「君の母親は貴族だと聞いている」

「そうなのですか」


(私は大人にならなければいけないのだ。ここはそれまでの準備期間。いつか出て行く日が来る。私は罪深い人間なのだから──)


 それは分かっているのだけれど……。

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