第9話 社長と作家
「え、ここ?」
私が車を停めたビルの最上階。胡桃はそう呟く。
『メゾン・ド・ペルレ』。日本語訳すれば、"真珠の家"(こういうのは和訳すると大抵ダサくなるね!)。ミシュランだか、カクヨムのレビューだか何だか知らないが毎年星を獲得している中華料理店。
『メゾン・ド・ペルレ』と洒落た筆記体で書かれた(福谷法律事務所の"刑事部こちらです"の紙とは大きな違いやな)店名の下には『
前にテレビで東京の方の店を紹介していたのは覚えてるけど、意外と近くにあったもんや。ま、知っていたところで、こんな腹は膨れず、肩は凝り、財布が涼しくなる店には来なかったやろうけど。
ってか、なんで中華料理でフランス語?
店の入り口に立つ紳士風の黒服の男に、浜本です、と伝えると「お待ちしておりました」と窓際の一室に案内された。
「お待たせして、すいません」
「いや、僕も今来たとこでね」
目の前に座る社長はまるで待ち合わせ場所に先にいた彼氏のようなセリフを吐く。めっちゃ寛いだ状態で言われても何も説得力あらへんけど。
「ワインで良かったかな?」
「ええ」
こんな昼間から酒を飲ませて何をする気や、このおっさん(とは言っても、多分同年代なんやろな〜)。
「中元君も?」
「ええ、名前を覚えて頂いてありがとうございます!」
「ああ……」
間も無く、給仕が何やら呪文のような名前を唱えてから白ワインを注ぐ。
そう言えば、『メゾン・ド・ペルレ』はワインにも拘ってるとか言ってたな。
「素敵なお店ですね」
胡桃が言う。
「それは良かった。この店を統括しているのはうちの会社やからね」
ふ〜ん。どうでもええわ。そんなことよりさっさと前菜やら何やらを持ってきて来れんかな?こっちとら、お腹ぺこぺこやねん!
「へぇ、すごいですね」
胡桃は前嶋社長を本気で狙っているんやろか?心なしか色目を使ってへんか?一般に言う色目がどないなもんか知らんけど。
「今日は前に僕の窮地を救って頂いたお礼だから遠慮しないで」
と、社長はふっと笑う。
一般人が言えば、寒気が立ちそうな振る舞いだが、爽やか系イケメンの社長が言えば矢張り似合っている。これであの太田とかいう美人秘書もイチコロなんやろう。
「ああ、そういえば太田さんはどうされたんですか?」
ふと、思い出したので訊いてみる。
「今は、会社で仕事しているかな?」
あ、そうでっか。
「で、今日は君たちにお礼もあるんだけど……」
「失礼します。本日の旬の前菜でございます」
さっきの頭を綺麗に七三分けにした給仕が皿を並べていく。何やら皿も有田焼やら何やらと拘ってるらしい。
ああ、もう、テキトーでええからさっさと食わせてくれへんかなぁ?
「左から……」
ごめん、一生懸命言ってくれてんのは判るんやけど、全然頭に入って来んわ。分かったのは、「美味しそう」やという、ただそれだけ。
「で、社長、さっき言おうとしていたのは何だったんです?」
給仕が去った後、一通り食べた胡桃が訊く。そういや、胡桃もお腹が空いてるんやったな。何か、飯を奢れとかほざいてたっけ?
「ああ、
「ええ!『鋼鉄の密室』とか『多すぎるアリバイ』とかの南雲先生ですよね!」
即座に胡桃が食いつく。
「ええ、その南雲先生、僕の知り合いなんですけど、今度誕生日を迎えられまして。簡単なものなんですが、パーティーのようなものがあるんです。
良かったら来て頂けないかな? と思いまして。長野なんですけどね」
「長野!いいじゃないですか。先輩!是非行きましょう!」
うん、確かに悪くはない。これはあくまでも顧客である前嶋社長の誘い。つまり仕事。仕事の一環として、長野に行けるのであれば、悪くはないやろう。
「ええ、行かせて頂きます」
「じゃぁ、後で詳細送りますね」
かくして、私たちは合法的に仕事をサボることに成功したわけである。
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