現代魔術入門

 ある日のこと、といっても先生と話した数日後のこと、箱が寮に届いて、私はそれを自室で開封する。

 かなり大きな箱だ。しかも長い。

「なんだろ?」

 封を剥がすのに苦戦したが、箱から取り出し、袋を開けるとそれは立派な長弓だった。

「わっ! わっ! わっ! すごい!!」

 私はでたらめに興奮した。すごい、すごい!

 その弓は木製で、強く、固くしなって、見事な弓だった。握るとしっくり来るように、握革が工夫されていて、独立した魔術式が搭載されており、魔術式が体内で用意できない私でも、扱えるようにしてある。木の味わいがよい。

「先生がくれたんだ。お礼言わないと」

 震える足取りで寮を飛び出して、先生の研究室へと急いだ。



 ****



「先生!! かもめ先生!!」

「どうしたの?」

「弓矢が!! 私宛に先生から弓矢が!!」

「届いた? 良かった」

 先生のもとへと駆け寄って、飛び込む。

 わーっと言って私が飛びつくと、先生は回転する椅子で私を受け止める。二人でめちゃくちゃになって、一息ついてから私達は話し込んだ。改めてご飯の感謝と、弓矢のこと。そして、訊きたいこと、お願いしたいこともたくさんあった。

「その......先生」

「どうしたの?」

「わたし、現代魔術を学びたいです」

 そう、現代魔術。

 魔眼とスルスが競合するなら、魔術は使えない。でも先生は? シプリスの教師だ。見たことないけど、きっと魔術が使えるはず。シプリスの教師なんて、トップの魔術師しかなれないんだから。

 そこで、現代魔術だと思った。現代魔術は、神話に頼らない魔術形式。


 先生は講義中、現代魔術を扱える教師がいないって言ってたけど、それは嘘なんだと思う。先生は、きっと現代魔術を扱える人なんだ。それも、かなり高度に。

 現代魔術さえあれば、不確定な魔眼の開眼を待つ必要がない。それは私にとって何にも代えがたいメリットだった。

「へえ、私を現代魔術の繰り手だと思ったんだ。すごい、勘がいいね。誰かの入れ知恵?」

「だとしたら、先生からですよ」

「なるほどね......」

 この反応は、多分正しいんだ。私は一つの賭けに勝ったことを悟る。


「現代魔術を勉強したいって、どうして?」

 先生は改めて私と向き合って、試すような視線を投げかけた。

「わたし、立派な魔術師になりたいんです。身の程をわきまえない夢だけど、どうしても叶えなきゃいけない。だから、先生みたいに現代魔術を使えるようになりたい」

 特別な弓矢まで貰って、その上お願いだなんて。

 あまりにも虫がいい。不躾で、品のない振る舞い。

「良い夢だと思うよ。大きい目標は、嫌いじゃない」

 先生とかっちり目があう。きれいな目だ。

「確かに現代魔術は私の得意分野だし、コゼットさん向きでもあると思うから、私個人としては大歓迎だけど、君には少し考える時間が必要だと思う」

先生は、やや時間を置いてそう言った。

「この学校や、ウィストリア全体でも現代魔術のカリキュラムなんて無い。本気で現代魔術をやるなら沢山の時間が必要で、それを完遂するためには、もう普通の生徒ではいられないよ。時間切迫の中で、魔術の習得が大変すぎて、普通の生活なんて無くなっちゃうからね」


 普通じゃなくなる......先生の言い方は凄みがあって、思わず気圧されてしまう。


「魔眼の正体さえ分かれば今までの古典魔術でも大丈夫。魔眼と魔術のどこが競合してるか分かれば迂回する方法もあるから」

「出来ます!! 私はなんだってやります!!」

 諦めずに食い下がった。立派な魔術師像がなんとなく見えてきたのだ。私がここで足踏みするわけにはいかない。胸元を無意識にぎゅっと握りしめて、宣言した。

「本当に?」

「本当です!!」


 本当に長い沈黙があった。

 先生は長考の後、はあ、と息をついて話す。

「じゃあテストしてあげる。あなたが本当に現代魔術向きかどうか」

 私の意志を確認すると、先生は箱に入った大きな本を一枚手渡してくれた。辞書くらいのサイズ感。

「もし本当に現代魔術をやりたいなら、現代魔術がなんなのか、知っておかないといけないね。大事な判断するのはそれからでも遅くないからさ」

「なんですか、これ」

「辞書」

 ほんとうに辞書だったんだ!

「これは現代魔術の辞書だよ。まあ辞書だけあっても意味ないから、寝る前にぱらぱらめくって暗記しといて。あと活用書も渡そうか」

 加えてペーパーバックの本も貰った。

「わあ、現代魔術の単語ロゴスが知れるんですね!」

「それに書いているのは全部一字の文字キャラクターだよ」


 は、え???????

「じゃあ辞書じゃないじゃないですか。それに、この厚みで?」

「まあ文字体系書というほうが正しいかも。ある程度単語や用法も載ってるから厚いけど、だいたい五万字くらいはあるよ」

「文字だけでですか?」

「当然」

 気軽に口にしていたけど、現代魔術って、一体何なの? ぺらぺらと辞書を捲ると、アルファベットと数字と記号が組み合わさった、全くわからない字が比較的大きく載っていて、その横にざーっと小さいもじがびっしりと埋まっている。

 こんなのが、五万文字分?気が狂っているとしか思えない。

「現代魔術って一体なんなんですか?」

「現代魔術は古典主義魔術とは違って、神話やスルスには頼らない。なんで頼らないでいいのかというと、人造言語基盤というのを作って、神話イメージを徹底して回避してるからなんだ」

「人造言語?」

「そう。今見ているやつ。普段の会話じゃ現れない、魔術用にこしらえた特製の言語だよ」

 さっき先生が私には、考える時間が必要と言っていた理由が分かった。こんなの普通の勉学と両立できるわけない。文字だけでこの厚みなんだから。

「一週間以内に一万字覚えて解説書の一章を済ませること。そしたら、章の最後にある、このいちばん最初の問題を解いて」

「これをですか?」

 先生はにやにやと笑った。多分これがテストなんだろう。一万字の言語習得で、このパソコンが解く暗号計算みたいな問題を、人の手で解いてこいと言ってるのだ。

「どうする?現代魔術は諦める?」

 そんな言われ方すると、どうにも反発したくなる。立派な魔術師なるために、もとより何でもするつもりだったから、解答は決まっていた。

「いいえ。完璧に覚えてみせます」

「そう来なくっちゃね」

 私の心には、熱い火が宿っている。降って湧いた話だ。私は現代魔術を完全にものにして、みんなに追いついてみせる。

「まあ根詰め過ぎないようにね。今ならいつでも後戻りできるから、普通の勉学をおろそかにしないように」

「はい!!」

 私は辞書と本を抱いた。覚悟と共に。


 暫く話して先生の研究室を後にした。弓と、辞書と文庫本を手にして。

「もう暗いね、気をつけて帰るんだよ」

「はい!!」

 話していて、先生はすごい人だと確信する。きっと、落ちこぼれの私の人生を書き換えてくれる存在。

 よーしやるぞやるぞー!! 足取りも軽くなる。

『立派な魔術師になったら、これを返しにおいで』

 リズさんの言葉が蘇る。私を助けてくれた魔術師みたいになりたいという昔の夢は、今日、今の私の夢になったと思う。

 私は、先生のこと全然知らないけど、先生みたいな魔術師になりたい!

 思いを新たに、目指すべきものと、やるべきことを一つずつ見つけたのだった。


 *******


 その日の夜から、私は先生から授かった課題を寝る間も惜しんで、何日も何日も解きまくった。ありがたいことにこれから祝日が連続する。私を妨げるものはなにもないはず。


 この試験は、私が抱えていた問題を一手に解決する特急券。数少ない勝ちの目は、なんとしてでも、これを逃してはならない。大量のカフェインと甘味で心臓を動かしながら、机へと張り付いた。


 私は誰からも遅れている。

 だから必要なんだ。普通の努力じゃない。圧倒的な努力が。


 魔力の導入が必須の特殊な計算というのは、なかなか馴染みが薄い。私はほとんど動かすことのなかった魔力回路を回して、問一と戦う。

 不思議と、違和感なく現代魔術系に接続できて、私は先生の言ったことが間違いじゃなかったことを確認した。古典主義魔術のスルスに接続できないだけだということ。

 目の前の問題は、最初、手も足も出なかった問題だけど、辞書を見比べて足がかりをどうにかつかめると、そこからは思考を途切れさせないために、進めるところまで寝ずに限界まで進むのを意識して、現代魔術の世界へと入り込む。

 一回途切れたら、きっと、なにもかもが泡のように消えてなくなる。そのことが、肌感覚でなんとなく分かったから。

 解いて、解いて、解いて解いて解いて解いて!!!!!

 いつの間にか夜はその高度を落としていて、空が白み始めている。もう何日目かの夜明け。時間の感覚を失った私は、


「あ、あはは。あははは......!!」

 寝ずに何日も犠牲にした後、一つの解法にたどり着いた。思わず乾いた笑いがでる。あまりにも多くの時間をかけたのに、こんな簡単な答えが出るなんて。

 これの答え合わせを、早くしたい。

 先生の、もとに、行かないと......

「おえ、うえええ!!!」

 ぴちゃぴちゃと音を立てて、私は廊下に胃の中のものをひっくり返す。

「はあ、はあ、はあ」

 吐くと一気に疲労が押し寄せてきて、水や拭くものを取りに行こうとするが、視界が歪んで、足取りがままならない。

 やばい、このままじゃ、倒れる。

 そう思った次の瞬間に、背後から手が伸びて、だれかが私の体を支えてくれた。

「メリナ?」

「お疲れ様、コゼット」

 ぜえ、はあ、と肩で息をして、メリナを見る。

 メリナは私に対して、甲斐甲斐しく世話を焼いた。ペットボトルの水を飲ませて、吐瀉物を片してくれた。私はそれをうつらうつら眺めているだけ。

「ごめん、ありがとうメリナ。ずっと、うるさくしちゃったね」

「いいや。大丈夫だよ、私は」

 メリナが私の傍によると、私を抱きかかえる。

「多分きっと、このことはコゼットに必要なことなんだろうね。でも無理しないで欲しかった」

 近づいたメリナの心配する顔を見ると、なんだか私は安心して、気を失うように意識を落とした。


「コゼットになにかあったら、心配だからさ」

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