第6話

 だいぶ離れてしまった彼女の方へと、駆け出す。


 一瞬、敵の注意が俺に向くが取るに足らない存在だと気が付いたのだろう。奴らはすぐにクロスフォードの方へと向き直り、彼女への接近を試みている。

 腹は立つが、今回ばかりはそれに感謝すべきだろう。

 それでもいくらか狙われるので、その度に必死に回避しているわけだが。


「クロスフォード!」


 黙って近づくのは危険だと判断し、声をかければ彼女はギョッとした顔で俺を見た。


「ユウナギ!? 貴方、どうして……」

「どうしてって、二人は逃げたからそろそろ離脱していいぞって言いに来ただけだが」

「それでどうしてッ! 貴方が残っているのかしらッ!? 萎縮は!?」


 寄ってきている暗月の僕を切り伏せ、血を操作して貫きながら彼女はそう言った。戦いながらはまだしも、よく異能と剣を振るのを並行しながら話せるものである。


「理由は知らんが、俺が弱すぎるからかなんなのか奴らに対して『恐れ』を抱いたことは一度もない」

「では何故!」

「そりゃ、幽鬼だからな」

「……そういうことねッ!」


 一言で理解してくれて、助かるよ。


「そういうことだから、離脱してくれていいぞ。お前なら余裕だろ」

「……事情はわかったけれど、貴方では意識をひけないでしょう。ここはわたくしが残るべきよ」

「いいや、俺が残るべきだ」


 言いながら、俺は周囲へ向かって溶解毒を撒く。

 中位に対して大した効果は期待できないが、その分、量を出すことが出来る。

 目論見通り、毒を被って軽く皮膚を焼かれた奴らは矛先を俺へと向ける。

 最初に俺へと接近してきた猫又を躱し、鞘に入った刀をバットのように振るう。

 そいつはギャンッと叫びながら、吹っ飛ぶがそれほど堪えていなかったことに驚いたのか、首をかしげるようにして、それからこちらを侮るように下卑た笑みを浮かべた。


「……それで、誰が残るのかしら?」

「……俺だ」

「強情ね」


 うるせーうるせー。


「逃げるのはッ! 俺の十八番だ! だから、逃げ慣れてなさそうな大天才様に先に逃げてもらおうと思ってなッ!」


 言いながらこちらを舐め腐っている猫又の爪を回避し、鬼の棍棒を刀で受け流そうとして、押し切られそうになって前転する。

 続く攻撃に備えて立ち上がると、その瞬間には俺を狙っていた奴らはすでに細切れになるか、レンコンのように穴が開いて転がっていた。


「余計なお世話よ! とは言っても、残ってしまった以上は仕方ないわね……二人で、脱出しましょう!」

「うおッ!?」


 急な浮遊感に声が出る。


「ちょ、おまッ!?」

「入口の方に向かって数が多いわね……気配が薄い上階に向かうわ」

「それは構わないがッ! 持ち方もう少しどうにかなんなかったかッ!?」


 切迫した状況でありながらも、俺はそう抗議を口にした。

 いくら急いでたからって、お姫様だっこはねえだろ!


「あら、そんな人相して以外と初心なのね」

「悪人面にだって、羞恥心ぐらいあるわッ!」

「体格だっていいし、見た目だけなら男らしいのに、かわいらしいところあるじゃない」

「てめェ……」


 だいぶ余裕あんな、こいつ。


「この持ち方が一番楽なのよ。上に着いたら、すぐ下ろしてあげるから勘弁なさい。それと……」


――あんまり口開けてると、舌、噛むわよ。


「へ? えんッ!?」


 どういうことだと、問いかけようとした次の瞬間、舌を噛んだ。

 何が起こったのかと目を白黒させていると、次に認識したのは自分が宙にいることだった。どうやら、彼女はどういう原理を用いたのか急速に上に昇ったらしい。

 幸いというか、おそらく上が吹き抜けであることを見越しての行動だろう。

 そうして、今度はまるで重力なぞ知らんとでも言わんばかりの軽やかさで、クロスフォードはひらりと二階へ着地した。


「ほら、下ろすわよ」

「お、おお……さんきゅ……」


 丁寧に床へと下ろしてもらい、自分の足で立って一先ず礼を口にすれば、彼女は気にしないでと言って笑った。

 お前は気にしないだろうが、俺は一生根に持つからな。助けてもらったのは確かだが……そんな呪詛と共に、軽く彼女を睨めば呆れたように流されてしまう。

 なんで俺がそういう態度を取られないといけないのか。

 解せない。


 ともかく、いつまでも先ほどの件を気にするわけにもいかないので、気を取り直す意味もあって、俺は吹き抜けから下の階を確認することにした。

 そこにはすでに奴らの姿はない。

 かといえば、こちらを追っているようでもなかった。


「どうやら、見失ってくれたようね」


 俺の隣に立って、同じように下を見ながらクロスフォードはそう口にした。

 確かにあの速度の急上昇を捉えることが出来る存在はそういないだろう。何せ、抱かれていた俺ですら何が起こったのか一瞬わからなかったのだから。

 でたらめだな、第漆位階。

 ともかく逃げきれた。あとは、外に出るだけだ。


 本当にそうか?


「なあ、クロスフォード本当に二階は気配が薄いのか?」

「ええ、少なくともわたくしには何も……」


 そう彼女が口に出した時だ。

 濃密な気配を感じて、ゾクリと背筋が冷える。咄嗟にクロスフォードを見るが、彼女は未だに俺の言ったことの意味が分からないようで、首を傾げている。

 ああ、そうか。これは……


 死の気配だ。


「クロスフォード!」

「えっ?」


 惚けた彼女の声を無視して、突き飛ばしながら俺自身もその場を飛び退いた。


 直後、火球が俺たちの立っていた場所を通過し、吹き抜けの向こうの壁へとぶつかりそのまま壁を焼いて、遠く消えていく。


「無事か、クロスフォード」


 どんな威力してんだ、と冷や汗をかきながら俺はそうクロスフォードへと声をかける。

 しかし、


「あ、あぁ……」


 返ってきたのは返事ともつかない小さな声。

 さきほどまでの頼りになる気丈な様子とは打って変わって、何かに怯えているようなそんな声だった。

 覚えのある様子に、ため息を吐きながら俺は火球の来た方へと視線を向ける。

 

 視界にまず入ってきたのは「目」だった。

 おびただしいほどの瞳。それは、全身でぎょろぎょろとせわしく動き、こちらを認識すると薄く細められた。腹と顔、その両方にある口の歪み方から奴が俺たちを嘲っているのだと理解するのに、そう時間はいらなかった。


「百目鬼……」


 怪異種上位・百目鬼。

 毒と炎、刃の如き鋭さを持った髪、そして何より全身に広がる百の目を特徴とする異形で、かつてかの藤原秀郷によって退治されたという伝説の鬼。

 

 いつだったか。

 学園に特別講師として訪れた二桁位階の死越者の話を聞いたことがある。


『下位は虫のようなもの。数は多いが取るに足らない。中位は侮るな。草食動物とて狩人を殺すことがある。そして、もし上位にあったのなら覚悟しろ』


 そこからが、本当の怪物だと。


「クロスフォード! おい、動けるか!」

「え、あ……」


 応えになっていない応えに、俺は迷わず彼女の元へと駆け寄る。

 彼女の状態。それこそが『萎縮』だ。


 死越者という存在は位階によって存在の格を引き上げる。

 RPGゲームレベルのようなシステムだと気が付いた時には感動したものだが、明確にそれらと違う点が存在する。


 ゲームなんかでは格上の相手でも上手くやれば倒せたり、それでも挑むのが勇者だとかなんだとか言って、無謀な戦いに挑めたりもするが、俺たちはそうもいかない。


 すなわち、自分よりも強大かつ敵意を持った相手への脆弱性。


 相手の格が上だと見るや否や、死越者は「恐れ」を抱き腑抜けになる。

 故に、中位クラスと戦うことの増える高等部での生存への絶対条件は第参位階以上であること。それが中位に対して「恐れ」を持たなくなるラインだからだ。


 死越者の死因の多くが、この萎縮による行動不能が原因と言われているぐらいには、弱点らしい弱点である。対して、敵はそんなこと知らねえとばかりに襲ってくるし、なんなら奴らは「恐れ」なんて抱きやがらない。


 格上相手でもワンチャン仕掛けてくるんだから、向こうの方がよっぽどRPGしてやがる。


 まあ、しっかし!


「まさかこの俺が、大天才様を介護する日が来るとはな!」


 あーだのうーだのと言葉も発せないような状態のクロスフォードの体を持ち上げて、俺は……


「ま、お前なら逃げるぐらいなら一人の方が楽だろ」

「え……」


 ようやく、意志の籠った音が聞こえた。

 そのことに苦笑しながら、俺はクロスフォードに語り掛ける。


「逃げられるな?」

「あ、あなたは?」


 質問に質問で返すなよ、と言いたいところだが、今生の別れになるかもしれんし、ちゃんと答えてやろうと口を開く。


「ここに残る。俺がいたら逃げ難いだろ」

「で、でも……!」

「お前を見りゃ、あれは第漆位階でも無理だってわかるからな。命の優先順位的に考えて、お前を逃がすのが得策だと判断したまでだ」

「まっ……!」

「待たない」


 そのまま俺は彼女のことを吹き抜けから落としてやる。

 落ちて行くのが見えるのと同時に、彼女の気配に反応して下に中位の奴らが沸き始めるのを確認する。

 あの感じじゃ、無理矢理上に戻ってくることは出来ないだろうし、賢い彼女ならちゃんと逃げてくれるだろう。

 そうして一先ず、やるべきことを果たした俺は百目鬼へと向き直った。


「安心しろよ、大天才。生き足掻くぜ俺は」

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