12月7日【長江商店とチビクレヨン】


 キンコーン。今日も、ゆみこさんのお家のチャイムが鳴ります。ちょうど、ゆみこさんはクッキーの生地をこねている最中でしたので、男の子が玄関へ向かいます。


 ガチャリ。玄関のドアが開く音。それから間もなく、「ぎゃっ!」と大きな声が聞こえたので、ゆみこさんは大慌てで玄関に向かいました。

「いったい、どうしたの!」

 そうしますと、玄関には、尻もちをついた男の子と、体格のいい大人の男性の姿とがあったのです。男の子は、てっきりお手紙が届いたものとばかり思ってドアを開けたのに、知らない男の人がいたから、びっくりしたのでしょう。


「あら、ヨシオさん。そういえば今日は、木曜日だっけ」

 ゆみこさんは、この男の人を知っています。この人はお手紙ではなく、人間です。長江商店の店主である、ヨシオさんです。


 長江商店は、この町に古くからある商店で、何でも売っていることで有名です。あまりに何でも売っているので、大手スーパーの系列店ですら、長江商店には敵わなかったくらいです。

 ヨシオさんは一週間に一度、あらゆる事情でお外に買い物に行けない人のために、頼んだ品物を配達してくれるのです。ゆみこさんのお家に来るのは、毎週木曜日と決まっています。


「すっかり忘れてた。ごめんなさいね、びっくりしたでしょう」

 男の子は、お口をへの字に結んだままサッと立ち上がり、ゆみこさんの背後へ素早く隠れました。

「親戚の子?」

 ヨシオさんが尋ねます。ゆみこさんは「そんなところ」とはぐらかしました。



 ヨシオさんは軽トラックから、たくさんのものを運び込みます。そのほとんどが食料品で、それから歯ブラシと、石鹸が少々。

「ゆみこさんがこんなに買うなんて、珍しいと思ったら。親戚の子が遊びに来てたんですね」

 ヨシオさんは、ゆみこさんの後ろに隠れている男の子をじっと見て、それから、男の子の足元に視線を落としました。男の子は、凍っている足を見られたのかと思って、嫌そうな顔をします。けれどヨシオさんは、「その靴下、いいね」と言っただけでした。


 それにしても、ヨシオさんは、なんて働きものなんでしょう。段ボールを軽々と持ち、きびきび運んで、パズルのピースをはめていくように、品物を冷蔵庫に詰め込んでいきます。


 その様子を見て、男の子も、荷物を運ぶのを手伝います。小麦粉の袋が入った段ボールは、それなりに重いはずなのですが、顔を真っ赤にしながら一生懸命持ち上げました。

「ぼく、力持ちだなあ」

 ヨシオさんが褒めますと、男の子は真っ赤な顔で「フンー!」と荒い鼻息を吐きました。



 ヨシオさんの今日の配達は、ゆみこさんのお家で最後でしたので、ゆみこさんはヨシオさんにお茶とお茶菓子を勧めました。

 ヨシオさんは、ゆみこさんがいつもお湯ばかり飲んでいることを知っていましたので、「珍しいなあ」と言った後で「では、いただきます」と頭を下げます。


「しかし、賑やかになったもんですね。子猫までいるなんて」

 ほどけた毛糸玉と格闘している子猫の女の子は、ヨシオさんの目には、ただの子猫に見えているようです。

「猫ちゃん、名前はなんていうんです」

 ヨシオさんに尋ねられ、ゆみこさんは困ってしまいます。これまでずっと、あなた、とか子猫ちゃん、とか呼んできたので、名前を知らないのです。


 ゆみこさんが答えられずにいると、「みーちゃんだよ!」と、男の子が声を上げました。

「みーみーって鳴くし、あと、耳の先がはちみつの色だから。はちみつの、みーちゃん」

「そうなの?」

 子猫の女の子に名前があるなんて、今の今まで、ゆみこさんは知りませんでした。

「そおなの?」

 なんと、当の本人も驚いています。

「でも、みーちゃんなんて呼ばれたこと、ない気がするよ」

「頭ん中で、呼んでたの!」

 男の子がみーちゃんを抱き上げようとすると、みーちゃんは腕の間をするりと抜けて、ゆみこさんの足元へ逃げました。


「みーちゃんか。良い名前だね。ぼくは、なんて名前?」

「……」

 男の子は、頬っぺたをぷうっと膨らませました。そして、「教えてやーんね!」と、毛布の山の中に隠れてしまいました。

「ごめんなさいね、聞かん坊なの」

 ゆみこさんが言いますと、

「おれの小さいころも、あんなふうでしたよ」

 と、ヨシオさんはちっとも怒らずに、にこにこ、毛布の山を見つめるのでした。



「それにしても、ゆみこさん。表の看板は、何ですか? 郵便がどうとか」

 クッキーを齧りながら、ヨシオさんが尋ねました。

「ああ、あれね」

 さて、どう説明しましょうか。ゆみこさんは考えます。本当のことを話しても、大抵の人は信じないでしょう。ヨシオさんは信じてくれるかもしれませんが、しかしなんとなく、ゆみこさんは「これは、秘密のことだ」と感じていました。


 秘密のことは、滅多なことでは口にしてはならないのです。そうしなければ、秘密のものたちはきっと春の朝霜のように、きらきら溶けてあとかたもなく消えてしまうのです。


「まあ、そうね、ボランテアのようなものよ」

「ボランティアですか。靴下のことといい、ゆみこさんは熱心ですね」

 ヨシオさんは、ゆみこさんが毎年たくさんの靴下を編んで、教会に持って行っていることを、心の底から尊敬しているのです。

「郵便と書いてあるからには、郵便局のお手伝いですか?」

「そうよ。宛先の分からなくなったお手紙を、一時的にお預かりしているの」

 ゆみこさんは、目線を窓際へと向けました。いつの間にか毛布の山から這い出した男の子が、窓の外を熱心に見ています。そのかたわらにはみーちゃんもおり、やっぱり、窓の外を見ています。

「そうですか。それはそれは、立派な役目です」

 ヨシオさんが、朗らかな笑い声を立てました。そしてそれと同時に、キンコーン。本日二度目のチャイムが鳴りました。


「おれが出る!」

 言うなり、男の子は玄関へ向けて駆けていきました。そして、あっという間に、封筒を一通持って戻ってきました。

「迷子のお手紙だったよ」

 その封筒は、たくさんの色紙を切って貼ってくっ付けて作ったような、とにかくカラフルで可愛らしい封筒でした。蝋ではなく、金色のシールで封がしてあります。

 ゆみこさんはそれを受け取って、そしてちらりと、ヨシオさんの方を見ました。今すぐに開封するわけには、いかないでしょう。

 ですが、ゆみこさんの予想外のことが起こりました。なんと、金色のシールがぺりぺりとめくれて、封筒がひとりでに開いてしまったのです。


 あ、とゆみこさんが呟いたときにはもう遅く、封筒の中から、目もくらむほど鮮やかな虹が、滝のように溢れ出しました。虹はまず天井にぶつかって、四方に弾けました。そして、壁やら窓やらテーブルやらにまたぶつかって、そのたびに弾け、小さな粒になり、床いっぱいに散らばりました。

 ゆみこさんは本当に本当にびっくりしたのですが、ヨシオさんはあっさりしたものです。「あれ、開いちまいましたね。シールが、剥がれかけてたのかな」なんて言っています。ああ、この虹も、彼には見えていないのね。と、ゆみこさんは思いました。



 虹があらかた弾け終わったあと、ゆみこさんはヨシオさんに「玄関に、大きなはちみつの瓶が置きっぱなしじゃなかったかしら」と言いました。ヨシオさんは「見てきますよ」と言って、玄関へ向かいます。その隙に、ゆみこさんは虹の粒に話し掛けます。

「あなたたちは、なんのお手紙?」

 そうしますと、赤い粒が答えました。「クレヨン!」

 黄色い粒と青い粒も答えました。「クレヨン!」

 虹の粒たちはみんな答えました。「クレヨン!」

「クレヨンちゃんたち、休憩しに来たの? それとも、迷子で、困って来たの?」

 赤い粒が答えました。「迷子!」

 黄色い粒と青い粒も答えました。「迷子!」

 虹の粒たちはみんなおんなじ答えです。「迷子なの!」


 話を聞くと、このようでした。

 彼らはチビたクレヨンです。短くなって、持つところもあんまりなくなって、だから使われなくなってそのまま忘れられた、チビクレヨンなのです。

 彼らは、彼らを使っていたどこかの子供に、伝えたいことがあったので、お手紙になったのでした。けれど、彼らの存在が誰からも忘れられたことによって、彼ら自身も自分のことをすっかり忘れて、一体どの子供の元へ行けばいいのか、分からなくなったのです。そして、この北風ゆうびん休憩所に辿り着いたのでした。


「こいつらの宛先、見付けてやれないかな」

 黒色の粒を指でつつきながら、男の子が言いました。黒色の粒は男の子の鼻先をふわふわ漂っており、つつかれるたびに、ちょっとだけ膨らんで、またすぐにしぼみます。

「宛先が分からなくって、ずっと迷子のままだなんて、かわいそうだ」

 さまよっているお手紙同士、男の子には、チビクレヨンたちの気持ちがよく分かるのでしょう。そうねえ。と、ゆみこさんは頭をひねります。

 どうにかして、このクレヨンのお手紙たちを、持ち主だった子供に届けることは出来ないでしょうか。



 あれこれ考えて悩んでいますと、玄関まではちみつを探しに行っていたヨシオさんが、ようやく戻ってきました。

「ゆみこさん、はちみつ、なかったよ。車に置き忘れたわけでもないようだし」

 配達用の軽トラックまで、見に行ってくれていたようです。ゆみこさんは申し訳なく、「ごめんね、私の気のせいだったみたい」と言いました。ヨシオさんは、やっぱり全く怒る気配なく「あ、そう。気のせいだったんなら、良かった良かった」と笑います。


 その笑顔を見て、ぴんときたのは男の子でした。

「そうだ。おっちゃん、配達たのんでいい?」

 男の子は、テーブルの上から開封済みの封筒を手に取りました。カラフルな封筒を、頭の上に高々とかかげまして、「集合ー!」と号令をかけます。

 すると、部屋中に散らばっていた虹の粒たちは、まるでさっきの光景を逆再生するように、集まって、虹の滝になりました。そして、カラフルな封筒の中に、ぜんぶおさまってしまいました。


 男の子は、剥がれた金のシールを貼り直しまして、封筒をヨシオさんに差し出します。

「これ、配達して」

「配達ったって、宛先は?」

「子供がいっぱいいるところ!」

 そうだわ。と、ゆみこさんも手を叩きます。

「長江商店の、駄菓子やおもちゃを売っているコーナーがあるでしょう。あそこで、この封筒を開いてくださいな」

 封筒を開きますと、きっとまた虹たちは勢いよく飛び出して、天井やら壁やらにぶつかるでしょう。そして弾けて粒になって、彼らと同じくカラフルな、駄菓子やおもちゃの中に紛れてしまうでしょう。


 長江商店の駄菓子売り場には、たくさんの子供たちが毎日のように訪れます。彼らはその小さな指で品物に触れ、品定めをし、吟味して、とびっきりのひとつを掴んでレジまで持って行きます。


 駄菓子の隙間に隠れた虹たちは、きっと思い出すでしょう。自分を掴んでいた指は、こんなふうな指だった。画用紙の上に、太陽やら花やら家族の顔やら、犬やら象やら空想の生きものやらを一緒に描いた、あの子供は、こんな手をしていた。


 長江商店にいれば、いつかきっと、巡り合えるはずです。駄菓子コーナーだけではありません。長江商店には、なんでも売っているんですから。

 クレヨンたちの宛先の子が、中学生になっても、高校生になっても、大人になっても。きっといつか、長江商店のどこかで巡り合うはずです。そしてその時、お手紙はようやく届けられるのです。


「ね、お願い。おっちゃんにだったら、任せられるから」

 男の子の瞳があんまり真剣だったもので、ヨシオさんは、これは子供のお遊びじゃないんだな、と感づきました。

「じゃあ、そうしようか」

 ヨシオさんは封筒を受け取って、それからゆみこさんの方を見ます。ゆみこさんが「お願いします」と言いましたので、ヨシオさんは頷いて、カラフルな封筒を上着のポケットに、しわが寄らないように丁寧に、しまいました。



「宛先、見つかるといいね」

 ヨシオさんを見送ったあと、いつものように紅茶をいただきながら、男の子が言いました。

 それは、ゆみこさんやみーちゃんに話し掛けているというよりも、独り言のような、お祈りの言葉のような、そんな呟きだったのでした。


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