第10話 土豪波木井三郎の出自


 翌朝を迎えた。

 朝餉は無論、精進料理であるが、浅右衛門は食い物などに興味はない。いかにも不味そうに食した後、気鬱げな半眼の眼差しで法主に問う。

「ときに法主どののご法名は?まだ聞いておらぬ」

「あっ。これは愚禿としたことが、ご無礼いたした。拙僧は、法諱を日縁、字は義順と申し、京の妙顕寺、池上本門寺で修行し申したが、出自はこの南巨摩郡の在所で、そもそもは波木井家の血筋をひいてございます」

 

 お菊が驚いて訊く。

「つまり波木井三郎と同族の者であられるとな。昨日のお話では、波木井家は新羅三郎義光の末孫とか」

「左様にございます。清和源氏の流れをくむ波木井家はもともと鎌倉の御家人、南部三郎実長公の後胤で、当山の大檀那であり申した。その実長公が当時、幕府から迫害を受けていた日蓮上人のために見延山に草庵を建て招き寄せたことが、見延山久遠寺の縁起。数珠丸も日蓮上人の護身用、すなわち破邪の剣として、実長公が寄進したものと伝わっておりまする」


 この話にお菊が切れ長の目をみはった。

「では、数珠丸は元来、波木井家の所持する太刀であったと申されるか」

「左様。伝承によると、八十二代天皇、後鳥羽上皇の御番鍛冶であった、備中国青江在の青江恒次つねつぐが作刀したものを実長公が手に入れ、それを日蓮上人に献上したものと承っておりまする」

 無言で二人の話を聞いていた浅右衛門が腕を組んだ。

 開け放した本堂の南に、鷹取山が朝霧をたなびかせて屹立する。


 夕刻前の七ツ。

 鷹取山から細い狼煙が天に立ち昇った。

 お菊が言う。

「旦那様。萩緒から合図の狼煙が……」

 それを聞いた、浅右衛門がつと豊後国行平を佩いた。

 お菊があわてて白い死装束を着込み、

「しばしお待ちを」

 と言い残して、留吉らがいる宿坊へと向かった。


 浅右衛門が率いる破落戸集団百名余がぞろぞろと鷹取山をめざす。

 中腹から山頂までは曲がりくねった一本道となる。誰とも行き会わない。天空に一据ひともと白鷹はくようが舞っていた。

 お菊が浅右衛門に話しかける。

「見張り一人おらぬとは……どうやら首尾は上々。萩緒配下の遊女どもが、砦の者を骨抜きにしたものと思われまする。波木井三郎以下、ことごとく酒色にうつつを抜かし、腑抜けになっておりましょう」


 途中、浅右衛門が留吉に命じる。

「この松林にて陽が沈むまで待機せよ」

「へえ。では、首切りの旦那、砦に火の手があがったら、あっしら突っ込みますぜ」

 浅右衛門が無言で首肯した。

 静かである。全員、粛として声なく、叢林に潜むこと半刻。西の空に陽が落ちてゆく。その静寂の中、横笛の音が流れてきた。おそらく頂上の砦で誰かが奏でているのであろう。


 それは美しい音色であった。

 酔余の一興では出ぬ美しく哀切な音色であった。

 爛れたような酒色の席で、酒を呑まぬ素面の者がいるのだ。このとき、お菊には、その者が疑いもなくこれから立ち合う女剣士であろうと悟っていた。

 直後、頂上辺りに火の手が上がった。

 浅右衛門が「ゆけ!」と命じた。留吉ら命知らずの狂犬が、砦へとまっしぐらに奔った。


 余談になるが、これよりはるかに時代が下った幕末、将軍徳川慶喜は、上洛の際、浅草の侠客の新門辰五郎に護衛を任せている。このとき辰五郎は子分二百五十名を率い、同じく六十人を率いた息子の松五郎とともに役目を果たした。

 一度も真剣での斬り合いをしたことのない武士より、喧嘩慣れした火消しや博徒

のほうがよほど頼りになると見込んでのことであった。

 ちなみに、辰五郎の娘お芳は、慶喜の愛妾である。


 破落戸集団に急襲された砦は、たちまち阿鼻叫喚地獄となった。残酷無比な長ドスが炎にきらめく。断末魔の呻き、女たちの悲鳴。酒色に溺れていた砦の者は、不意をつかれ、なすところなく次々と切り刻まれ、江戸裏社会のならず者、あぶれ者に惨殺された。

 留吉が叫ぶ。

「ぶった斬れ。皆殺しにして、お宝を奪え!」


 その頃、浅右衛門とお菊の二人は、砦の搦手からめてに陣取っていた。

 城砦の搦手には必ず脱出口としての埋門うずみもんがある。

 その埋門の出口で、砦から聞こえてくる怒号、喊声、喚き声を耳にしつつ、二人は静かに待った。

 やがて、埋門が開き、五つの影が二人の目の前にぬっと現れた。

 お菊が先頭の男に誰何する。

「波木井三郎なるか」


 その声に、三名の男が三郎を守るように前に出て、「何者っ!」と太刀を鞘走らせた。

 次の瞬間、三っつの首が赤い澪を曳いて宙に舞った。浅右衛門の抜く手も見せぬ技であった。豊後国行平の凄まじい切れ味に、浅右衛門が唇をわずかに歪め、満足げな笑みを漏らした。それは元将軍家御試御用役として、飽きるほど罪人の首を斬ってきた者ならではの凄惨な笑みであった。

「ほう。やるのう」

 と言って、片頬笑んだ三郎を庇うように、その前に無言で姿を現したのは女であった。

 これが、凄腕と噂に聞く女剣士であろう。

 お菊が腰の太刀を抜き、凛とした声で言った。

「私がお相手つかまつる」

 その刹那、

「ほざくな!」

 と、波木井三郎が女剣士の横から飛び出し、右袈裟斬りに白刃を振りかぶった。荒々しい片手斬りの太刀が、一陣の刃風を巻き起こした。が、それよりも早く浅右衛門の抜き打ちが一閃した。三郎の右腕は太刀を持ったまま、血を噴きながら宙に飛んだ。

 それを見た女剣士が悲痛な叫びをあげる。

「三郎様!」


 ――つづく

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