第2話 防災訓練

例えば台風が接近してきて大雨・防風・洪水による床上浸水になったらどうする?


例えば大地震が来て大津波がこの町を跡形もなく飲み込んでしまったら

僕達はどうなるんだろう?

こんなコンクリートのかたまりでできた学校なんて一瞬で崩れ落ちてしまう

かもしれない……。皆、高台を目指して走るだろうけど、人間が走る

速度なんてたかがしれている。津波や地震に勝てるわけがない。

建物の中にいれば地震の衝撃で太くてガッチリと真っすぐ立つ

柱でさえ崩れてしまうだろう。

僕は瓦礫がれきの下敷きになって身動きが取れないまま死を待つだけさ。

もしも、津波で流されたら? 多分、不運星の持ち主である僕は息する

間もなく「あっ」というまに流され、泥水や瓦礫がれきに埋もれ川底に

沈んでいくんだろうな…。

いや、川底に行くまでにきっと魚の餌になるかもしれない…。

魚たちは喜んで血肉を奪い合うだろう……。

骨だけになった僕を人と認識することはまず難しい。吐いて捨てるだけさ。

「かわいそう」とか「助けたい」などという心情が言葉もしゃべれない

魚にあるとは思えない。でも、魚に食べられる以前に多分、

僕はもう死んでいるだろう……。

仮に運よく瓦礫がれきにしがみついて『助かったあ』と命拾いしたとしても、

救助が来るまでには冷えきった身体も追い打ちをかけるように体温はどんどん

下がり、脱水症状を起こし衰弱してじわじわと息絶えてしまうのがオチだ。

どっちにしろ生き延びる道は遠いだろう…。

例え奇跡的に生き延びたとしても被災者として物資支援をもらうようなみじめでひっそりとした先の見えない生活が待っているだけだ……。


もしも学校の授業中に地震が揺れた後、津波が来たら皆はきっと屋上を目指して

逃げるだろう。それが人間の心理というものだ。人間は人の群れが集まる場所を好む。人と同じように動くようインプットされているからだ。

友達が少なくて普段から一人でいる子でさえ緊急避難が要する時には皆と同じ方向へ逃げるだろう。


最近、テレビで大震災の事を取り上げたニュースをよく目にする。


もしも、震災が起きたら僕はどんな判断をするのだろう?


普通の日常がきっと普通でなくなった時、僕は果たして冷静で

いられるだろうか…。

当たり前にしていたことが当たり前でなくなった時、僕は普通で

いられるだろうか……。


授業中なのに僕は一番後ろの窓際の席でふとそんなことを考えながら

呆然と窓越しに映る景色を見ていた。

何も変わらない、今日も普段と同じ景色が僕の視線の先に映っていた。

今日の天気も晴れ。お日様が僕達の授業をニッコリと笑って見ているようだ。

雨が降るような雨雲もない。ポカポカした陽射しが僕の頬を照らし机に反射する。

気持ちがいい。


まるで冬を通り越していきなり春が訪れたような天気だ。


国語の授業はつまらない。眠たくなるような退屈な授業だ。


小さな欠伸が一つ漏れた。それも我慢していたが、耐えきれず緩んだ口の隙間から

空気が入り込み、小さな欠伸が出てしまった。咄嗟に右手で口を覆うが間に合わ

なかった。僕は辺りをキョロキヨロと見渡し皆の反応を伺うが存在感の無い僕は

誰にも気づいてもらえなかった。国語教師の日下部くさかべ先生と視線が合う

こともなく、誰も僕には無関心で、皆、おきょうの様に読み上げる日下部

先生の長い文法を集中して聞いている。

自己嫌悪だ……。思わず頭上から火が出るくらい恥ずかしくなった。

ちょっとでも僕の方に視線を向けてくれると思っていた僕がバカだった。

「はあ……」

なぜか僕の口から(やっぱりなあ…)という小さなため息が漏れた。


―――その時だったーーー。


「ファンフォン―ー、ファンフォンーー」


「ファンフォンーー、ファンフォンーー」


非常音のような警報音が学校中に響き渡った。


その音は次第に強く大きく鳴り響き「ファンフォンーー!! 

ファンフォンーー!!」と、教室内をザワつかせた。


「なっ、なにこの音?」

「え、地震?」

ガタガタ…… ガタン、ガタ…

机と椅子が大きな音を立てて耳障りな雑音に聞こえる。


「津波か?」


バタ、バタ、バタバタ、バタバタ……


「これは地震速報です―――、津波が来るかもしれません。速やかに屋上へ

避難してください。皆さん、落ち着いて行動してください」

アナウンスが流れ出すと、皆一斉に「ワアアアアー……」と、

教室から飛び出して行った。


「津波って……」


え、え、え? な、な、なんだ?


皆よりも1つも2つも反応が鈍い僕は事の始まりを理解することもできず、

暫くドタバタする皆の動きをぼんやりと眺めていた。


「マジで地震かよ!?」


「うそだろ? 」


「とりあえず、屋上に行きなさい」

普段、マイペースな日下部先生でさえ教師という役目を果たし、皆を屋上へ

誘導している。

ドタバタドタバタドタバターーーーーー

ドタバタドタバターーーードタドターーー

複数の人が走る足音が重なるように同じ方向へ向かって遠ざかっていく。


僕は逃げ遅れ、一人ポツリと教室に取り残された。

誰もいなくなった教室は静まり返っていた。

まるで嵐が去ったような静けさだったーーー。

一歩も動けなかったーーー。足がガクガク震えている。


後になって僕はさっきのサイレンみたいな音が地震速報の前に鳴る警報音だと

漸く理解することができた。


誰も振り向きはしない。先生でさえ僕がまだ教室にいることに気づいていない。


どうしよう……逃げ遅れた……。落ち着け、落ち着け…

僕は自分に何度も言いきかせた。


まだ、揺れはきていない…。まだ、大丈夫だ……。



地震が来て、数分後には津波が来る―――、


だけど、僕の足は一歩も前に出すことができなかった―――ーーー。


取り合えず僕は机の下に潜り込んで丸くなって頭を抱えた。

逃げることもできない僕は弱い人間だったーーーー。

誰も僕の事を助けてはくれないーーー。


僕はこのまま死ぬのだろうか……。


震えている。指から手足、全身が震えている。


震音か……


……いや、これはガクガク震えている僕の足が床と重なり合って立てている音だ。



「パリーーン!!」


え!? 

 

突然、ものすごい大きな音が鼓膜まで突き破る勢いで伝わってきた。

これはガラスが割れる音だ。


窓ガラスが割れたーーー。まさか、本当に地震の影響?


僕はゆっくりと机の下から顔を出し、割れた窓の方に視線を向ける。


そして、徐々に割れた窓ガラス付近まで足を進めて行った。


「え…これは… 」

ガラスの破片近くには鉄製でできた直径20センチくらいのブーメランが

落ちていた。


僕はブーメランを拾い、割れた窓に視線を向けた後、少しずつ詰め寄って進み、

窓にかかった鍵ロックを解除し窓を開ける。

冷たい風が『ヒュー』と入り込んできた。


やっぱり季節は秋なんだと実感した―――ーーー。


「‥‥!!」

その瞬間、自分の目を疑うような衝撃が僕の視界に飛び込んできた。


猿渡空良―――ーーー。


僕の視界全部を埋め尽くすように彼女が映っていた。

彼女はにっこりと僕に視線を向けて微笑んでいた。


え⁉ ここ、3階なんだけど!?


目の前に図太くて一直線に伸びた大きなイチョウの木があり、彼女は

その木から脇に伸びた枝に突っ立っていた。

 

うそ……


僕は彼女の身軽なバランスと男の子みたいな大胆なカッコよさに見惚れていた。


ーーーと、その時だった。

何かが…僕に向かって勢いよく飛んできた。

それは段々、僕に近づいて来て見事なコントロールはプロ級だった。

気づいたら僕はそれを1ミリの狂いもなく手の中で受けていた。


え? ブーメラン?


しかもロープのような紐がついている……。


「フッ…イ…!!」


僕の視線がブーメランに向くと、彼女は

思いっきりグイッとその紐を勢いよく引っ張った!!


ヒュルルーーンーーーー


えーーー!?  な、なんだ?


その瞬間――、僕の体は宙に浮いて、ぶっ飛んだ。

気づけば僕は空を舞っていた。地面が僕の目に映る―――。


僕の身長は160センチ。体重58キロ。

男の割にはキャシャ身体をしている。


だけど、見た感じ彼女は僕と同じくらいの身長…

いや、少しだけ僕よりも低い気がする。体重も普通体形。

そんなに腕力があるとは思えない細い腕。


一瞬で僕は空を飛んで、気づけばイチョウの木から脇に伸びた枝に座っていた。


まさか、彼女が僕を助けてくれたの?


このブーメランで…。


まるで彼女は猿のような女の子だった。腕力も男の子並みにある。

すごい力だ。


僕は彼女に視線を向ける。彼女も僕を見ていた。


ドキ……


「あ、あの…助けてくれてありがとう…」


「別に…アンタ、これが防災訓練だって知ってた?」


へ!? 防災訓練…?


「朝の学活で5時間目に防災訓練があるって言ってたけど……」

「……?」

「おまえ、聞いてなかっただろ…」

「……」

「もしこれがホントの地震だったらお前、確実に死んでるね、はっはっはっ(笑)」

そう言って、彼女は大胆に笑った。

「……そうかも…」

「まあ、その時は私も死ぬかも…だけどさ…」

「へっ!?」

「こんなイチョウの木なんて一瞬で崩れ倒れるってことだよ。どんなに図太くて

一直線に伸びた木でもね」


「こらー猿渡―!! そこで何やっとるか!?」

屋上から猪上の怒鳴り声が空良の頭上に直撃する。

「やっべぇ…」

そう言って、空良は慌てるように木の枝を伝い下りて行った。


僕は暫くそこから見える景色を眺めて満喫していた。

こんな風景、見たくても絶対 僕一人じゃ見れなかった景色だ。


猿渡空良―--。不思議な女の子だーーー。



翌日、彼女は猪上先生にこっぴどく叱られ、急遽、彼女の保護者も

学校に呼ばれ三者面談を受けていた。彼女の保護はひたすら頭を下げていた。


割れた窓ガラスは彼女の保護者が支払うことで和解したらしいーーー。




僕は校門の前で彼女が出て来るのを待っていた――――ーーー。

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