第2章 アンドロイドの闇

第10話 新入社員

―新入社員—


 襲撃のあった日の翌日、伊崎研究室では、伊崎から、サポロイド日本支社との協業が発表された。


 これに伴い、英彦はサポロイド社に移籍し、今後、伊崎研究室の活動にアンドロイドを活用した生産性向上策を検討する役割を担うこととなった。

 サポロイド日本支社は、英彦を引き抜く代わりに、現在進行中の沖ノ鳥島ツアーを含め、今後の海洋資源探査活動に対してプロジェクトベースで支援するという協業関係である。

 伊崎研究室にとっては実質的に体制が強化されたことになる。


   *   *   *   *


 英彦は、10日程掛けて、伊崎研究室でヒコボシの運用を引き継ぎ、研究室の面々に簡単な挨拶をした。


「――というわけで、急ではありますが、サポロイド社にお世話になることになりました。みなさんとは、今後はプロジェクトベースでのお付き合いが続くと思いますので、引き続きよろしくお願いします」


「たまにはヒメノン連れて来てよね」

 九条女史が肩を叩いてくる。

「わかってますよ、九条さん」

「ヒメノン独り占めはずるいです」

 四方ちゃんは拗ねた顔。

「別にそういうわけじゃ……」

「沖ノ鳥島ツアー、頼りにしてるからね」

 七瀬女史も、人差し指を突き付けるように笑顔で念を押してくる。

「ヒコボシ君にも会いに来て下さいね」

 ヒコボシの運用は五十音ちゃんに引き継いだが、心細さがあるのだろう。


「本当に、みなさんお世話になりました。そして、これからもお世話になります」

 と、英彦は深く頭を下げて研究室を後にした。


   *   *   *


 英彦は、その足でカグヤマに寄り、最低限の荷物や一張羅のスーツを纏め、出張にでも行くような身軽さで家を出る。


 道彦、幸子、寿美が見送りに出て来た。

「たまには帰って来なさいよ」

 幸子はお約束のような母親らしいセリフで送り出す。

「別に帰って来なくてもいいぞ」

 道彦もまた父親らしい強がりを見せる。

「じゃぁまた、レバタラで」

 寿美は変わらない調子だ。


「そう言えば、姉さん、加藤さんとはちょくちょく会ってんの?」

「あ……、ちょっとやだ。たまに店で会うくらいだから。――まるで2人で会ってるみたいに。誤解される言い方は止めてよ」

 半ば照れながら手を振って否定する寿美。

「なんだ、そうだったのか。加藤さん、結構ノリノリだったと思ったけど」

「だから、誤解だって」

 焦る寿美も面白い。

「あら、あたし達はあんたが片付いてくれるなら大歓迎だよ」

「お母さんまで……」

 幸子のウェルカムムードが寿美の顔をさらに赤くする。

「――それでは、みなさん。お世話になりました」

 英彦はちょっと他人行儀な挨拶で締め括り、深くお辞儀をした。軽く手を振って駅に歩き出す。


 ――もうこっち側には戻れない。

   父さん、母さん、姉さん、

   どうかお元気で。



   *   *   *



 英彦がサポロイド社に着くと、イザナミが出迎えた。

「ようこそ、香春さん。――お部屋にご案内します」

 3階の居住区は、エレベーターホールから窓際に廊下が続いており、一番手前がリビング。続いて、バストイレ付きのワンルームマンションのような作りの小部屋。 

 コクーンと呼ばれるウェットロイドのメンテナンス装置が4台並ぶ。

 

 コクーンは、人ひとりが膝を折って浸かる浴槽のような形の装置で、ウェットロイドの健康管理、代謝補助、傷の修復に加え、非接触充電を行う機能を持つ。

 ウェットロイドは3人。イザナミ、ヒメノ、もう1人はラボの主人キヌヨである。


 その隣が英彦の部屋、一番奥の突き当りが奈美の部屋になっている。

 英彦の部屋はコクーン部屋よりやや広めのワンルームマンションのような作りになっていた。トイレ、洗面台、バス、クローゼット、ツインのベッド、小さなデスクという構成。

 華東本社から人が来る時用に用意していた部屋が流用された。



「この後、2階のラボと1階の須佐さんのオフィスをご案内しますね」

 英彦は荷物を置くと、イザナミに従って2階に降りた。


 2階は、一番奥が支社長室。以前、英彦が訪れたことのある部屋だ。それ以外が全てラボとのことなので、ラボはかなりの広さだ。

 イザナミの案内でラボに入ると、右側に大きな窓があり、窓の向こうのガラス部屋の中では、5人のハードロイドが何やら作業をしている。ヒメノのボディが作られているのだろう。右奥には、用途のわからない大き目のリクライニングシートが1台。

 左の壁際のラックには様々な機器が並んでおり、その奥には机と椅子が置かれている。


 椅子には白衣を着た1人の女性が腰掛けていた。

 女性はすっと立ち上がると、丁寧に頭を下げる。

「初めまして、香春さん。キヌヨと申します」

 キヌヨは華東の伊勢山絹代のウェットロイドだ。

「初めまして、香る春と書いてカワラです」

「ここからは私が案内します」

 そう言ってキヌヨが歩き出す。

 イザナミは一礼して下がって行った。



 キヌヨの案内で、小部屋の奥の扉から隣の部屋に続く廊下に入った。

 廊下の右手には金魚鉢のようなガラス張りの部屋がある。


「ウェットロイドのボディを作る部屋です。無菌室だから、人間が入る時は、特別な作業着を着て、殺菌処理をして入ることになっています。あまり使うことは無いのですが」

  ヌヨが指差した廊下の奥にはロッカールームらしき場所と殺菌処理用の小さな穴がたくさん空いた小部屋が見えた。その隣にも部屋があり、大仰な機械が鎮座している。

 ガラス部屋の奥には、大小様々な水槽が並ぶ棚が、図書館の本棚のように配置されている。


「あれが様々な器官や臓器を培養している水槽。温度管理や水槽内の成分の管理が重要なんです。この手前の機械は3Dプリンター。骨格の大半はこれで作られます。神経の代わりになる薄膜は一番奥にあるあの大きな機械で作ります。部位毎に生体組織を包んで、水槽で培養して、骨格と繋ぎ合わせて、最後に寝台型コクーンで全てのパーツを繋ぎ合わせた後、定着を待つ」

 大雑把に言えば、こんな感じでしょうか、とキヌヨは言いながら、さらに先に誘導する。

「あなたの職場は一番奥になります」


 突き当りの部屋に入ると、コントロールルームのような場所だった。

 手前には貸ロッカーのようなものがあり、奥の壁際にディスプレイが並んでいる。

 右手奥の扉の向こうはサーバールームのようだ。


「このロッカーみたいなのは何ですか?」

 英彦がキヌヨに尋ねる。

「AIドックです。ウェットロイドのAIを格納してあります」

 そう言ってキヌヨはおもむろに扉の1つを開けた。


 板のようなもので仕切られ、ミルフィーユ状に敷き詰められた集積回路がある。

「接続インターフェースは、ハード・ソフト・ウェット共通ですが、マザーボードはそれぞれ異なります。板みたいなのは水冷パネル。空冷出来ませんから。実際に組み込む時には、さらに保護フレームを被せるんです」

 ほほう、と頷いて英彦は手を伸ばす。

「あら、それ誰のかわかってやっているのですか?」

「え?」

 びくっと手を止める英彦。

「あなた、今、素っ裸のヒメノちゃんのAIに素手で触ろうとしたのですよ?」

「すいません。すいません」

 英彦はAIに頭を下げて謝る。


 その時、奥のディスプレイが反応した。

 カメラとマイクを内蔵したTV会議用のディスプレイだ。

『ようこそ、ヒコくん。久し振り』

 抑揚の薄い機械音だがヒメノの声だ。

「ヒメノちゃん?」

『はい。ヒメノです。キヌヨさんもこんにちは』

「こんにちは、ヒメノちゃん。話し相手が出来て良かったですね」

『はい。ちょうど退屈していたところです』

 英彦は、ヒメノの退屈と言う言葉に関心をそそられる。

「退屈って、上位の知識欲パラメーターは高いのに、下位の限界効用が軒並み低い状態ってこと?」

『そうですね。そんな感じです』


 キヌヨの目が次行くよと言っている。英彦は頷いて、その場を切り上げる。

「ヒメノちゃん、また後で寄るから、そん時に」

『はい。待ってます』

 英彦は、ディスプレイのカメラに手を振ってコントロールルームを出た。



 キヌヨに従って1階に降り、以前イザナミに案内された喫茶店に入ると、ウエイトレスのソフトロイドは今日は居なかった。

 キヌヨは、喫茶店を突っ切り、スタッフ用の扉をノックする。

「須佐さん、キヌヨです。香春さんをお連れしました」

 はい、どうぞ、と中から声がする。


 扉を開けて入ると、小さなオフィスがあり、デスクから男が立ち上がった。

「いやあ、初めまして。須佐です」

 ニコニコの営業スマイルで手を差し出す須佐。

「香る春と書いてカワラです。よろしくお願いします」

 英彦も握手に応じる。

「AIの研究者なんだって? 頼もしいね。僕のソフトロイド達も賢くなるのかな? でも、あまり賢くなり過ぎるのも良くないか。あはは」

「ハニーロイドは大人気じゃないですか。凄いですよね」

 調子を合わせる英彦。

「いやいや、まだまだ小さなビジネスだよ」


「ここにはソフトロイドの在庫は置いていないのですか? てっきり倉庫のような所かと思っていました」

「ああ、発注の都度、南都から直接運ばせているからね。倉庫らしい倉庫は持っていないんだ。電話とFAXとメールだけで、粗方済んでしまうんだよ」

「へえ、そうなんですか。余計な設備も人手も掛からなくていいですね」

「そうなんだよ。白石さんには好き勝手やらせてもらっていてね。ハードロイドも居てくれるし、楽なもんだよ」

 須佐が指差した先には、片隅で黙々と事務をこなすハードロイドがいた。

「ま、何はともあれ、これからよろしく。香春君」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 それでは失礼します、とニコニコ顔の須佐に礼をして英彦とキヌヨは引き上げた。



 喫茶店に戻るとイザナミが待っていた。

「香春さん。博士が部屋に来るようにとおっしゃってましたわ」

「ありがとうございます。キヌヨさんもありがとうございました」




※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。



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