第9話 使者としての第一歩

「経典 第一節 五章 【デモゴルゴの名を汚してはならない】」


 アルフレドは高々と声を張り上げ、デモゴルゴ経典の一節を読み上げる。しかし、二百二十のインプの瞳は冷ややかだ。インプの物言わぬ重圧に耐えながらアルフレドは再び口を開いた。


 ※※※


 時は少し巻き戻る


 「一度拾った命をドブに捨てることになるとは……」


 部屋の外では集落のインプが今か今かと待ち構え、部屋の中には頭の中身をいじられたかつての主人とマッドサイエンティスト。その隣にはファーとモアと呼ばれた狂人の二人が佇んでいる。いや、狂人ではなく、きっとマリアナに狂人にされてしまったのだろう。


「わ、私がデモゴルゴ教の使者!?」


 使者と言われて真っ先に浮かぶのは寅之助時代の世界で、世間一般に広がっていた宗教である。一神教の某宗教で宣教の為に神から派遣された者が、たしか使者と言われていたはずだ。


 つまり、私は悪魔を神とする教えを布教する者になれということになる。


「冗談じゃ――!?」


 思わず大声を上げようとするが、左右から伸びた腕に口を塞がれ言葉を紡ぐことができない。多少抵抗してみたが当然意味はない、無駄な抵抗であるのは自分自身が理解している。大人しく抵抗をやめるとマリアナが不健康そうな顔を近づけてくる。


「よく考えてアルフレド。もし、あのままグルを殺して逃げていたらどうなっていたと思う」


「それは追手がかけられるだろう。仲間殺しはいかなる理由があろうと縛り首だ。しかし、そんなことは分かっている。私は時間をかけて逃走経路を確保していたんだ。水辺の先に馬が用意してある。馬を使いピートモスへ。その先は考えていないが、そこから逃げるのは難しくないはずだ」


 話を聞くと、嬉しそうに壊れた笑顔を向けてくるマリアナ。ファーとモアに目配せするとそれぞれが革袋をアルフレドに差し出す。一つの革袋はボール一つ程の大きさ、もう一つの革袋はさらに二回りほど大きな革袋である。それぞれの革袋は僅かに弾力があり、中で液体の跳ねる音がする。


「ふふふっ。開けてみて!」


 まずは小さめの革袋から手に取ってみる。凹凸があり、やはり何かが中で滴っている。顔に近づけると僅かに異臭がする。アルフレドは嫌な予感がしながらも紐を緩め、中を確認する。


「ひっ!」


 革袋を床に放り投げると、犬歯が異常に発達した顔色の悪い首が転がる。目には鉄の串のような物が刺さっており、深く刺さった串の殆どが傷口に埋まっている。


「アルフレドは知ってるかな? これ、ゴブリンだよ。最近何かに追われてフヨッドにきたみたいなの。ピートモスの獣道に徒党を組んでよく現れるんだよ。私を襲おうとした所をファーが助けてくれたの。あっ、この首は後でギルドに持っていくつもりだったんだ。換金してくれるんだよ」


 ゴブリンという存在がいるのは知っていた。獰猛で人や家畜を襲う。インプの集落には流石に来ることはなかったが、行商人が山の中でゴブリンと出会うことがあると話していたのを聞いたことがある。それにしても間近で見るゴブリンには妙な迫力があった。このゴブリンが夜道で徒党を組んで襲ってきたら間違いなくアルフレドは死んでいたであろう。


「……」


 ということはもう一つの革袋は馬の……。アルフレドはブルリと体を震わせるとマリアナに再び視線を転じる。


「ごめんね。お馬さんは顔が残っていたからモアの食事用に持ってきたの。あっ大丈夫! モアは調理しなくても、多少、腐っても問題ないのよ。歯と胃袋が丈夫なの」


 マリアナの発言に気をよくしたのかモアが包帯の裏に隠された歯を開け閉めしてアルフレドにアピールしてくる。


(何が大丈夫だ。私は化け物の胃袋なんて微塵も心配などしていない)


「勘違いしないで。私達はアルフレドに恩を着せているわけではないの。アルフレドが昨晩にここを出なかったのも宿命だって言いたいの! そしてこれからも宿命は続く。グルの頭の中を覗かせて貰ったけどアルフレドには素敵な才能があるみたいなの。デモゴルゴ様を広める才能。そして私にアルフレドを助けるように言ったのもデモゴルゴ様。それって素敵だと思わない!」


「い、いやっ。そんな事は――」


「ダメ、駄目、知ってるの。アルフレドの【やれることをやりたいようにする】ってデモゴルゴ様を広めることでしょう!」


「はっ? 何を言ってるんだ?」


「えっ? 違うの? 大変、確認しなくちゃ!」


 マリアナが腰のポーチに腕を伸ばすと、キラリと光る鋭利な刃物を取り出す。咄嗟に後ろに下がろうとするがいつのまにか拘束されていたようで、両腕の自由が利かなくなっている。


「ちょっ! ちょっと待て!! いや、合っている。その通りだ。間違いない」


 マリアナの言ったことを即座に肯定する。いや、全肯定する。この状況で私に否定するという選択肢はない。テーブルに準備されている司祭服に手を通すとマリアナとグルに祭典に関して知っていることを確認する。


「……決めた。決心したよ。私はこのフヨッドでお前たちの言う通りデモゴルゴの使者であることを公表する。グルの口から段取りを説明して貰いたい。っというかこのグルは私の言うことを聞いてくれるんだろうな?」


「もちろんよ。グルは基本的にアルフレドの言うことは絶対にきく。私たちもアルフレドのお手伝いは喜んでする。でも、決め事はアルフレドに一任するわ。だからこの後にどのように演説して住民を納得させるかはアルフレドが考えてね! うふふっ。楽しみ!」


 何が楽しみなのだろうか? 下手をすれば全員まとめて晒し首にされるかもしれないのに。


 しかし、私はこれで腹を括らなくてはいけなくなった。グルの殺害を気付かれぬようデモゴルゴの使者として振る舞い、住民をどうにか納得させ、あわよくばこの村で自分の居場所を確立しなくてはならない。私はこれから数十分後に訪れる公表の場に合わせ、死に物狂いで考えを纏め始めた。

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