第6話 豊満な女

時は少し遡る


 天井にこっそりと開けておいた隙間に刀身をセットし、光が漏れぬように腐乱死体から剥ぎ取った布を被せる。更には布のすぐ上に簡易魔法発動紙スクロールの【固定】を使用。対象は刀身のみを外した予備の石剣である。穴の開いた先にあるのはグルが食事で使用する机である。


「できた! あとはスクロールを【かい――】」


 アルフレドが解除のキーワードをうっかり口にしようとして口に手を当てる。


(危ない。危うく作戦を水の泡にするところだった)


 改めて視線を転じる。刀身の角度、机の配置、スクロールの魔法を念入りに再確認し、祭典で使うもう一つの石剣をグルの目につく棚の上に置くと、すぐに食事の準備に移る。今日の夕食はグルの好物、フォレストボアの料理だ。食事に夢中にさせるためにはあれが一番だ。食事を手早く用意し、しばらくするとグルの呑気な鼻歌が聞こえてくる。さぞかし金集めが上手くいったのであろう。


(笑っていられるのも今の内だ)


 グルは扉を開けると棚に石剣が用意され、アルフレドがいつもと同じように無機質な表情を浮かべ、部屋の隅に座っているのを目視する。項垂れるアルフレドの姿と石剣を見て、万が一の反乱がないのを確認したようでグルは醜い笑みを浮かべた。


 ~~~


 地面に落ちた肉に一目散に向かう振りをして、グルを盗み見る。机に突っ伏す体勢は頭上に仕掛けた剣身が突き刺さるドンピシャの角度である。


【解除!】


 静かに、されど力強く言葉を発すると、天井に固定された刀身がグル目掛けてゆっくりと落ちる。


「そういえぇ――」


 グルが何かを思い出し、顔を上げたところで鈍い音を立てて、刀身がグルの頭に突き刺さる。頭を上げた際に刀身の角度がずれたものの、見事に前頭部を貫通し、左目の裏を抜け、顎の先から剣先が見えている。


「――!? ばぁぁぁ。アルゥゥ」


(くそっ、まだ生きているのか!)


 グルは何が起きたか理解できないようで、ゆっくりと席を立つ。驚きが優先され、痛みを感じていないのか? はたまた脳の組織が破壊され無意識に立ったのか。グルは前頭部に感じる異物を感じながらアルフレドに向かって歩き出す。


 アルフレドはとっさに道具袋の横に立てかけてあったデモゴルゴ経典を手に持つと、椅子を足場にして、グルの頭に刺さる刀身目掛けて、力任せに経典を振り下ろす。


「戒律五条! 邪神の名の元に罪人を殺めなさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


 ゴスッ!


 アルフレドの憎しみを込めた一撃により、グルの頭部に生えていた刀身は傷口深くまで埋まっている。グルは一瞬だけアルフレドを睨むような仕草を見せたが、やがてよろよろと後ろに下がると、そのまま背中を壁に押し当てて、床に座り込む。


(やったか?)


 しかし、あの肉体を持つグルである、万が一を考え、倒れ込んだ身体を経典で突いて確認してみる。


「………………」


 突き刺さった刃の先からはどす黒い血が流れるばかりで特に反応はない。完全に生命活動を終えているようだ。


「やった! やってやったぞ! 私はやったんだ!」


 二年間の憎しみから解放される。膨大な快楽物質が頭を駆け巡り、思わず天井を見上げる。やがて達成感を得たアルフレドは両こぶし強く握ると、今までにない力強さで獣のように雄たけびを上げた。


 ※※※ 


 夜は更けたばかりである。興奮が冷め、冷静さを取りもどしたアルフレドはグルの死体を納屋へと運び荷造りを終えようとしていた。


(とりあえずピートモスに向かう。インプ達も人里に紛れてさえしまえば、おいそれと私に手出しはできない……だろう。おっとこれは持っていかないとな)


 デモゴルゴ経典を麻の袋に入れ荷物がまとめ終わる。すると、アルフレドは建物に向かう足音に気付く。


(しまった。誰か来る。明日の祭典についてか? だとしたら随分早い訪問だ。あっ、私が声を上げすぎたせいか……)


 経典を何気なく手に持つと建物に向かう何者かに向けて息を整える。


(部屋は片づけてある。しかし、インプは血の臭いに敏感だ。もしもの時は――)


 部屋のドアがノックもされずに静かに開かれる。部屋の中に入ってきたのは、つばの広い帽子に黒いドレスを身に着け、目には夜だというのに黒いサングラスをかけている。どうやら女性らしい。はっきりと断定できない理由は女性らしき人物の体系である。上背はアルフレドを頭二つほど超え、体の体積はアルフレドの数人分に及ぶ。素肌の見える場所は包帯で巻かれ、肌の露出はない。


 アルフレドは自分が予想していた状況と大きく異なることに驚きを隠せない。いや、それどころか不意の訪問者に対して考えていた言葉すら口から出てこない。


「ふぅーふぅーふぅ」


 顔全体に巻かれた包帯のせいで鼻も口も塞がれているため、どこからその息が漏れているかは判別がつかない。しかし、女らしき人物がアルフレドに近づくたびに、荒い息づかいらしきものが聞こえ、やがてその吐息はアルフレドの目と鼻の先まで近づく。


「グ、グル。いや、主人は出かけております」


 何とか言葉を紡ぐことができたが、女に反応は全く見られない。女の顔がさらにアルフレドに近づくと、息づかいから湿気と生臭さが加わる。


「……っ!」


 ついに耐えきれなくなり、身を屈めると女の懐から勢いよく逃げ出す。何か策があって逃げだいしたわけではないが、一つだけ分かったことがある。


(この女は危ない!)


 しかし、ここで予想外の事が起こる。女はその巨体に似合わない凄まじい反応速度でアルフレドに体を向けると、腕をとり、その豊満な肉体で抱きしめ、身体を拘束する。


「うぉぉぉ。ど、どういうことだ。こんなところで……」


 全身を締め付ける力は凄まじく、血流が止まる。一分もしない内にアルフレドの意識が少しずつ遠のいていく。何とか状況を把握しようと、消えかかる意識の中で、視線だけで辺りを確認すると扉を開け、誰かが入ってくるのが見える。


(ここから、ここから始まるはずなんだ……)


アルフレドの視界はゆっくりと白い世界へと染まっていった。

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