第6話 エリアボス


 一愛いちかが残り2匹となったゴブリンを睨むと、奴らは目に見えて狼狽えだした。

 当然だろう。一方的な虐殺のつもりで襲い掛かったら少しの間で残り二匹となるまで追い詰められたのだから。

 通常モンスターは探索者相手に恐怖を抱かない。仲間を殺されようと自分が死にかけであろうと一矢報いる。死すら恐れず敵を殺す兵隊、それがモンスターである。

 だが躊躇はする。

 それが恐怖という感情からくる躊躇いではなくとも、本能的に敵を殺すことができないと悟れば迷いが生じる。それがモンスター、いや、生物というものである。

 それほど一愛の殺戮劇は、この1階層というエリアにとって異端であった。


「ゴギャ」「グガガ」


 くる。

 2匹のゴブリンが示し合わせたように動くのを察知して、一愛は集中力を増した。

 

 ……待て。どこにいった。


 時の流れが遅く感じるほど集中した思考の中で、一愛はホブゴブリンの存在を思い出す。

 残り2匹になるまで一切の介入をしてこなかったせいで勝手にそういうタイプのボスだと判断していたのは否めない。つまりは取り巻きを全て殺されてからでないと参戦しないタイプであると。

 だが視界から一度も切ったことはない。常に警戒し、視界の端には必ずおさめるようにしていた。そう、さっき一息つくまでは。

 その一瞬で姿を隠していたことに、数秒のラグをおいて今気付いた。


「ゴギャアァァァアアアッッ!」

「――くっ」


 一愛は感としか言いようのない感覚に従って力の限り横っ飛びをした。その感が明暗を分けたといっても過言ではない。

 一拍遅れて雄叫びが上空から聞こえたと思った時には、ホブゴブリンの強烈な一撃が地面に突き刺さっていた。

 飛び上がってのグレートクラブによる振り下ろし。

 そのあまりに単調な、しかし巨人の武器としか思えないグレートクラブの一撃はダンジョンの地面を粉々に砕き、榴弾のように破片をまき散らした。一愛は咄嗟に目を腕でかばうもかばった左腕に破片が突き刺さる。


「クソ! 目を逸らした一瞬を狙うとかマジかよ!?」

「ガァアアアアアアッッ!!」


 それだけで終わり、などでは無かった。

 ホブゴブリンはグレートクラブを両手で持つと、円を描くように力任せに振り回す。一愛にとってその攻撃はあまりに予想外である。なぜなら一愛を殺そうと間近に迫っていたゴブリンも巻き込むような攻撃だったからだ。

 

「「ギャ⁉」」


 2匹のゴブリンは自動車に轢かれたように体を飛ばされた。それでも少ししか勢いが止まらなかったグレートクラブが、防御として咄嗟に構えた一愛の右腕を捉える。

 バキ、ゴリ、と今まで聞いたこともない音が身体の芯まで響く。響いた瞬間にはもう一愛の身体もゴブリン同様撥ね飛ばされていた。

 受け身も取れないまま地面を転がり、視界がぐるぐると回転する。


 ……ま、まずい。確実に右腕逝った。回復……いや!

 

 こうしてうずくまっている方がはるかにまずいと判断した一愛は、とにかくその場から一刻も早く逃げることを優先した。

 痛みで震える脚に鞭打って走りだすと、その判断は正解だと嘲笑うように、ホブゴブリンの一撃が先ほどまで一愛の居た場所に繰り出されている。あと少し逃げるのが遅れれば一愛の身体は潰れたトマトのようになっていただろう。

 攻撃攻撃&攻撃。

 味方であるはずのゴブリンを巻き込んだ連続攻撃に、一愛は二重に不意をつかれたせいもあって多大な傷を負わされてしまった。

 狡猾。

 残忍。

 使えないと分かれば味方ですら敵を釣る餌とする。攻撃を当てる為の手札とする。

 これが1階層のエリアボスにして、最初の番人。

 ホブゴブリンであった。


「……本気で痛い。腕が折れるってこんな感じか」

 

 一愛は余裕の笑みを浮かべるホブゴブリンを睨みながら、折れた右腕に意識を向ける。

 子供時代を含めて一愛は大きな怪我などしたことなかった。精々捻挫くらいである。

 その時も大層痛くて泣きそうになっていたものだが、骨折というのはその比ではない。今も右腕にハンマーで殴られ続けているような衝撃と痛みを感じるし、折れたのは右腕のはずなのに痛すぎて最早全身が痛い。それなのに脳は変な物質でも分泌しているのかやけに身体の細部を感じ取れるし、それが鮮明すぎて猶更痛い。左腕に岩の破片が刺さっているがそれすら誤差に感じるほど本気で痛すぎた。

 

 ……凄い。竜之介達のリンチなんかより圧倒的に痛い。


 なぜか、感動した。

 この痛みも、この痛みを与えたホブゴブリンに対しても一愛は感動していた。

 何に対してなのか一愛自身分かっていない。だがこの痛みが心の中に残る竜之介への恐怖心を完全に消し去ったのだけは分かった。心が開放されていくのを感じる。

 見える世界が広がるのを一愛は真に感じた。

 きっと出ちゃいけない分泌物が脳から溢れてる。死ぬか生きるか分からないがどちらにしろ一愛は真人間に戻れないかもしれない。人が変わったように性格も変わるかもしれない。それでも良いと本心から思っている辺りもう救いようがないのだろう。

 

「お前頭良いんだな。最初の動きも狙ってやったんだろ」

「……ゴガ」


 その問いに、ホブゴブリンは先ほどまでとは違い警戒した眼差しを一愛に向ける。

 ホブゴブリンは人間の言葉を喋れないらしいが、更に先の階層にいけば人語を介するモンスターも現れる。それこそエリアボスの殆どが喋れたりするらしい。

 だが一愛にとってはこのホブゴブリンと会話ができないのが残念で仕方なかった。

 この感動をモンスターでいいから共有したい。それができないのが残念だった。


「ふぅ……」

「…………」


 浅く呼気を吐いて気持ちを切り替える。

 手痛い怪我。満身創痍に近い。

 仕切り直しと呼ぶには大きなハンデを背負っている。右腕はもう指一本動かせない。脳をカンガンと揺らすほどの痛みも一愛の動きに無視できない影響を与えているだろう。

 手負いの獣。追い詰められた兎。傍目から見た一愛はそうとしか見えないに違いない。

 しかしホブゴブリンは警戒している。この短い間に一愛を対等な敵と認めたかのように、グレートクラブを構えて対峙していた。

 戦意喪失? 敵前逃亡? 敵に情けなく命乞い?

 そのどれすらも欠片の片鱗すら見せない一愛を、ホブゴブリンは認めたのかもしれない。

 睨み合い、間合いをとること数秒。先に動いたのは一愛だった。


「――ッ!」

 

 ホブゴブリンに向かってジグザクに走り出した一愛に、グレートクラブの横薙ぎが襲う。

 一愛はそれをしゃがんでかわし一息に加速した。

 まだ攻撃の硬直が解けていないホブゴブリンの膝にこん棒を叩きつける。

 

「ゴギャッ!」

 

 それで少しは怯むと予想した一愛だが、ホブゴブリンは強靭なタフネスを発揮し堪えると無理な態勢から蹴りを放ってきた。

 一愛はそれを予期したかのように正面から受け、右腕と胴体で脚をがっちりと固定し、


「お、お、ォォオオッ!」


 投げた。

 技も何もない。ただ脚を掴んで身体ごと持ち上げ、ホブゴブリンを力任せに投げ飛ばす。

 2m近い巨体が少しの間宙を舞い、盛大に音を立てて地面に落ちる。図らずも受け身もろくにとれない態勢で投げ飛ばしたお陰か、ホブゴブリンはダメージを受けたようによろりと立ち上がった。


「ゴ、ゴギャアァァァァァアアアッ!!」


 怒りに吠えたホブゴブリンは力任せにグレートクラブを振り回す。我を忘れたかのような動きだ。投げ飛ばされたのがよほど屈辱だったと見える。

 一愛は冷静にその動きを見極め後方に回避する形で逃れると、こん棒をホブゴブリンの顔面目掛けて力の限り投げつけた。


「――ゴッ!?」


 その行動、そしてこん棒の尋常ではない速度が予想外だったのか、ホブゴブリンは投擲という人類最古の攻撃方法をまともに食らう。だが大したダメージは与えられていない。精々鼻から紫色の血が吹き出す程度だ。

 それで良かった。それだけで良かった。

 今のは攻撃ではない。目くらましだ。


「――【ヘヴィーブロー】ッ!」

「ギャ!?」


 一愛の渾身の腹パンがホブゴブリンの鳩尾に突き刺さる。

 それはその巨体が宙を浮き、足先が地面に付かないほどの威力を発揮していた。


「【ヘヴィーブロー】ッ!」


 更にもう一発。

 連打で放たれた渾身の拳にホブゴブリンは口から盛大に吐血する。全身が震え、足先が伸び、これで完全に決まったと思った瞬間、


「――ガ、ガ、ガァアアアアアアッ!!」


 最後の力をふり絞るような動きで、ホブゴブリンはグレートクラブを振るった。

 それは奇しくも、もしくは狙っていたのか、一愛が防御も取れない折れた右腕側から放たれる。


「【リジェネレーション】」


 一愛は右手でグレートクラブの一撃、その初動を受け止めた。

 ホブゴブリンの愕然とした表情を鋭い目つきで睨み、


「卑怯とか思うなよ。手札にあるものは狙って使う、お前と同じだ」


 グレートクラブをホブゴブリンから奪い取ると、見よう見まねで腰だめに構える。

 横なぎに振るおうとし、そのあまりの重さに顔を顰め、これは失敗したかもしれないと失策の二文字が脳裏をよぎるが、


「ォオオオ!」


 裂帛の雄叫びを上げ構わず振るおうとした。

 重すぎる。幾ら何でも重すぎて、振るったはいいが振り回される結果になるかもしれない。

 それでもいける気がしたから振るう。武器として使いこなせると思ったから振るうのだ。

 賭けではない。確信だった。


『【スキル】サークルスイング 10等級Eの習得条件を満たしました。自発的な習得によりボーナスを授けます。サークルスイング 10等級Bへと昇格します』


 その声が頭の中で聞こえた瞬間、両手に握るグレートクラブが羽のように軽くなった。

 運か。はたまた必然か。

 どちらでも良い。目の前の敵を倒せるのなら、過程などどうでもいい。

 まるで長年使ってきた武器のように両手がなじむ。気合の声すらいらない。あるべき動きをありのままになぞるだけ。

 

「【サークルスイング】ッ!」

「――――ギッ」


 一愛を中心に円形に振るわれたグレートクラブが吸い込まれるようにホブゴブリンにぶち当たり、その巨体を地面と平行にして撥ね飛ばした。

 数十メートルほど吹き飛び、ようやくボールが転がるように地面に落ちる。


「……」


 一愛はグレートクラブを振り抜いた態勢、残身を解いた。

 スキルを放ち終わり、すっかり重くなってしまったグレートクラブを引きずりながらホブゴブリンの元まで歩く。

 ホブゴブリンはまだ息をしていた。胴体が捻じれ、手足がバキバキに折れ、胸部から肋骨がざくろのように突き出している状態で息をしていた。

 それでもまだ戦意があるのか、一愛に向かって腕を突き出そうとしている。


「良い武器だ。ドロップしたら俺が使う」


 そう言って、一愛はグレートクラブを頭上に掲げた。

 その言葉に満足したのか分からないが、ホブゴブリンが諦めたように腕を下ろし、「ギャ」と一声上げたのを一愛は見届け。

 ……この戦いに決着をつけた。


『レベルアップをお知らせします』

『クエストを達成しました。ダンジョンポイントを贈呈します』

『実績を解除しました。100エクストラダンジョンポイントを贈呈します』


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