第3話 新宿ダンジョン



 旧新宿駅ダンジョンターミナル。ダンジョンが出現する際に起こった大規模な地震で崩れ落ちた新宿駅の現在の正式名称である。一般的な呼称は新宿ダンジョン。

 新新宿駅から構内を歩いて徒歩3分。元は地下鉄が走っていたホームを一つに統一する形で大規模に改修されたその場所に、ダンジョンの入口は扉という形で並んでいる。最高3mの門が5つ並ぶ姿は壮観ですらある。そしてその門が常に全開であることに畏怖を覚える。


 門は左から順に1,2と大きく数字が刻まれている。

 1番目の門、通称【1の門】が初級者ダンジョン。1~10階層までの門である。初級者というが、国が先行していた自衛隊や警察部隊以外の一般人は全員まだここから入ることになるだろう。

 【2の門】は30階層までであり、3~5の門は不明である。1の門の内部は白く輝いているが、2から先の門は黒く淀んで渦巻いている。

 まだそこまで攻略者が一人もいない、ということの証明である。



 新新宿駅最終電車。0時45分。

 武蔵小金井から中央線一本で来れる最終電車で、一愛いちかは新新宿駅ホームに降り、迷いの無い足で新宿ダンジョンのダンジョンストアまで歩いてきた。


 恰好は身軽。しかし肩や肘、脛などに簡易的なプロテクターを身に着けている。一愛の小遣いではバイカーが身に着ける程度のプロテクターしか買えなかったが、これでも無いよりはマシである。

 背中にはメイン武器であるバッドを括り付けたリュックを背負い、中には水や缶詰、傷薬やガーゼなどの医療品、予備の武器であるナイフが入っている。お小遣いとお年玉でできる最大の準備を一愛はしていた。


 メイン武器が刃物ではなく鈍器なのは、単純に刃物を扱いきれる自信がないからである。無我夢中で振り回して自傷したら目も当てられない。一愛は剣術家でもCQCを習ってるわけでもないのだ。そうなる可能性は非常に高いと自己分析で判断した。

 なにより刃物は整備が手間である。切った獲物の血や油に汚れたら一々拭き取らないと切れ味が悪くなるし、刃毀れした時は研がないと使い物にならなくなる。そして一愛はナイフの研ぎ方からして満足にできない。家族の目を盗んで覚えるのにも限界があるのだ。


 その点鈍器は良い。殴る、ひたすら殴る。これだけ覚えればいいのだから。一愛がモンスターを物理、精神の両面で撲殺できるかどうかは別として。

 一応銃刀法違反なども考慮しての結果だが、探索者相手にどこまで適用されるのかは未知数である。ダンジョンに向かったら逮捕されたなどの話も聞かないし、こればかりはとりあえず配慮するしかなかった。


 ……唯が竜之介を倒す為にダンジョンに入るというなら、先に俺が強くなればいい。


 妹が兄の為にダンジョンに入るというなら、先にその原因を潰せば解決だ。一愛がレベル2になればちょっと鍛えただけの竜之介など相手にならない。同レベルの中学生に囲まれたところで結果は同じだ。

 

 勿論自分が無茶をしているという自覚は一愛にもある。ダンジョンソロなど正気ではない。クエストをクリアしないと外に出られないというダンジョンルール、そしてダンジョンに入った瞬間階層のどこかにランダムで放り込まれるというルールもあってネタでもやらない。やるのは自殺志願者だけだ。


 それでも来た。一人で来た。やるなら今日からしかない。

 次の土曜日まで今日を入れて後4日。それまでがタイムリミットだ。一般人がレベル2に上がるには非常に早い速度なのは間違いない。それも両親や妹に悟られず、つまり学校に通いながらソロで行うつもりなのだから一分一秒でも惜しい。二度目を言うが無茶は百も承知である。


 ……三度目だな。ここに来るのは。

 

 一愛はダンジョンの入口前に設けられたダンジョンストアの中で、軽く深呼吸をした。

 ダンジョン入口の扉と地上に上がる階段以外全てダンジョンストアとなっている。大半は初級者用の装備や武器、携帯トイレや飲料水等ダンジョン探索に役立つアイテムが売られており、それ以外はモンスター素材の買取所、探索者が装備を保管するロッカールーム、シャワー室や更衣室、探索者登録をする役所の出張所がある。一愛も新宿ダンジョンで一足先に探索者登録だけは済ませていた。


 探索者登録をしなければダンジョンには入れないなどという規則を作るわけにもいかない為、登録など形だけで無くとも別にダンジョンに入れるが、登録をしていなければ素材の買取はしてくれないしダンジョンストアの施設も利用できない。よほど後ろ暗いことをするつもりでなければ登録しない選択肢はないだろう。

 有事の際は『探索者協会』の指示に従う事と登録証の裏に書かれているのが引っかかるが、今は気にするほどでもないだろう。

 それよりも、と一愛はだだっ広いダンジョンストアを見まわした。


 ……ガラガラだ。開放日は人で埋まってたのに。


 役所以外は24時間営業なのにも関わらず、人の影が片手で数えられる程度しか見られない。深夜ということもあるだろうがここまで人気が無いとは思わなかった。都心の新宿でこれだ。地方のダンジョンは閑古鳥だろう。


 ……どうでもいいか。他の人なんて。


 誰か他の探索者がいれば少しは気が楽になる。逆に誰もいなければ不安になる。

 そういった後ろ向きで、意識せずとも根差していた集団行動の本能を一愛は頭を振って追い出した。


 ……でも、なんだ。なんか見られてるような。


 一愛に他人の気配を察知する能力などない。だが視線には気付く自信があった。長年虐められてきたがゆえ、そういうのには人一倍敏感だと自負している。

 事実ダンジョンストアに入る際には警備員にじろじろ顔や恰好を見られたし、今も暇そうに商品の品出しをしているお姉さんもこっちを見ている。逆に探索者っぽい青年やサラリーマン風の人はこっちに興味も示していなかった。

 傾向としては新宿ダンジョンに勤める人だけが一愛を見ていた。


「ちょっと君、いいかな」

「ふわっ!」


 背後から突然肩を叩かれ、一愛は素っ頓狂な声を上げて振り返る。

 制服を着用した警官が立っていた。


「え、警察? あの、俺になんの用ですか?」

「なんの用じゃないよ。君年齢は? 身分証とか持ってる?」

「え、いや……その」


 一愛は言っている意味が分からず困惑した。いや意味は分かる。年齢は言えるし身分証だって保険証と探索者証がある。なぜそんなことを聞いてくるのか分からず困惑しているのだ。


「なんでですか? 俺、探索者ですよ?」

「そんなのは見ればわかるよ。でも君、探索者の前に未成年でしょ。駄目だよこんな時間に一人で出歩いちゃ」

「え」


 頭が真っ白になるとはこのことか、と一愛は一瞬の後に益体もないことを考えた。

 まさか非常識の権化であるダンジョンの目の前でこんな常識的なことを言われるとは夢にも思わなかった。こんなの想定外にも程がある。

 警官は呆れたように嘆息し、あからさまに見下してくる。


「もう終電過ぎてるでしょ。親御さんに迎えにきてもらうからちょっと付いてきて」

「ま、待って下さい! 探索者は年齢性別問わず誰でもなれて、24時間施設利用可だと探索者証の規約に書いてありますよ!」

「それとこれとは話が別だ。いいから来なさい」

「いやおかしいですって! 筋が通ってませんよ!」


 一愛は悲痛染みた声を上げ、自分がここにいるのは何もおかしくないことを必死に説明した。

 そうでなければおかしい。入る時間はともかくとして出る時間を制限するなど誰にもできないのだから。

 ダンジョンを出る時間帯が深夜であるからと、未成年が出歩いていい時間まで死地で待機してろというのか。そんな下らないルールで死ぬなど死んでも死にきれないし、その度に補導されろというのは幾らなんでも筋が通らない。


「あ、貴方こそ本当に警官なんですか。基本二人一組だって聞いたことあります!」

「……子供がいっちょ前に」


 小さく、ぼそっと。

 大人の、それも年季が入った警官の苛立ちが混じった呟きに、それだけで一愛は萎縮する。


「あのな、お前探索者探索者っていうけど、まだ一度も入ったことない初心者だろ」

「そ、それがなにか」


 どうしてそんなことを思ったのか、なんて馬鹿なことは聞かない。こんな初心者っぽいやつ他にいないと一愛自身思っているからだ。

 警官は一愛の肩を掴み、逃がさないように距離を詰めてくる。


「俺たち警察はな、お前みたいな未成年の子供がダンジョンに入る前に事前に止める役目を負ってるんだよ。要は最後の防波堤だ。親御さんが止められなかったからって、お前みたいに無謀ですぐに死にそうな未成年を見殺しにするわけにはいかないからな」


 一愛は衝撃を受けたように全身から力が抜けた。「なんだよそれ……」と力のない呟きが口から勝手に漏れる。

 つまりこの警官は自分がダンジョンに入れなくなるのを承知で一愛を止めようとしているわけで、いざとなれば実力行使も厭わないだろう。本気の大人にひ弱な中学生が敵うはずもない。 


「で、でも、探索者は誰でもなれるって」

「そんなのは建前だ、建前。ダンジョンのルールがそうだからそう言ってるだけで、大人には大人の、社会には社会のルールがあるんだよ」


 一愛のなけなしの抵抗は、大人、社会といった理由で切って捨てられる。

 もう何度も誰かに言ってきたのだろう。警官の言葉には飽き飽きとした声音が混ざっていた。

 

「さぁ、分かったら付いてきなさい。悪いようにはしないから」


 ここで終わる。ダンジョンに入る前に、挑戦すら許されず終わる。

 何者にもなれず、これからずっと虐げられる毎日が繰り返されてしまう。その果てには大切な妹が死地に飛び込んでいることだろう。


「……嫌です」

「……君ね、聞き分けのない園児じゃないんだから」


 警官が苛立ち混じりに一愛の肩を強く握った。

 自由に生きたいと思っていた。誰にも縛られず、自由に生きたいと願っていた。決して大人や社会に縛られる為にここまで来たわけではない。

 この警官が味方である家族なら分かる。家族に止められたら、きっと一愛はダンジョンに入るのを止めてしまう。だからずっと内緒にしていたのだ。家族には常に守られてきたから。

 でも警官は? もっと言えば大人は? 社会は?

 ただの一度だって、守ってもらったことはない。


「嫌だって言ってるんです!」

「――ちょ、なにを!」


 一愛は体全体で大きく暴れ、肩を掴む警官の手を振りほどいた。

 背中を向けてダンジョンまで一直線に走ろうとして、すぐに警官の指がリュックのショルダーハーネスに引っかかる。

 

「待ておい! いい加減にしろこのガキ!」

「離せ! 離せよ!」


 警官と激しく揉み合いになりながらも、一愛はとにかくダンジョン目指して足を動かす。もう何も考えていない。目に映るダンジョンへと続く門しか目に映らない。それだけあればいい。あそこまで行けば邪魔するものは何もない。その一心で無我夢中だった。


 ふと体が軽くなる。体を縛る何かがなくなる。一般人に傷を負わせることを躊躇した警官が手を抜いたのか。それとも単純に諦めたのか。なんでもいい。大事なのはただ一つ。

 自由に、動ける。


「――おい待て! 止まれ!」


 警官の尋常ではない焦った声音に一瞬だけ我に返るが、そのまま振り返らずに直進した。

 止まるわけがない。止まるわけにはいかない。止まることは死と同義だった。大切なものを失うことと等しかった。

 一愛は飛び込むようにダンジョンの中へと侵入した。



「――は。っは、っは、――っは」


 たった数秒の荒事。それも殴り合いなどではなく一方的に逃げるだけの荒事に、一愛は息も絶え絶え、ダンジョンの床に這い蹲って呼吸を荒げる。シャツは冷や汗と脂汗まみれで、プロテクターの中は蒸れて感触が気持ち悪い。髪も汗でべったり張り付いている。

 でもやった。無事に入れた。それだけで自然と笑みがこぼれるほどに嬉しかった。この喜びに比べれば多少の疲労など疲労の内に入らない。


 ……ここからだ。ダンジョンに入って終わりじゃない、むしろ始まりなんだ。まだスタートラインに立っただけ。モンスターを一体も倒してないのに喜ぶのは早すぎる。


 そう自分を落ち着かせ、一愛は四つん這いの姿勢から地べたにあぐらをかいた。とりあえず乱れた息を整えようと水分を補給する為にリュックを漁ろうとして、背中の異常な軽さに動きが止まる。


 ……え。いや、まさか。


  そんな馬鹿な、と思うも現実は変わらない。背中の異常な軽さが変わるわけでもなければ、あったはずの感触が返ってくるわけもない。

 一縷の望みを捨てられず後ろを振り返っても、門から白い輝きが見えるだけでそれ以外には何もなかった。

 救いを求めるように輝きへと手を伸ばし、無情にも跳ね返される。


「……うそ、だ」


 ダンジョンを探索する為に準備し、全てを詰め込んだリュックサック。

 水や食料、その他諸々、何よりモンスターを倒す為の武器すらいっしょくたに纏めていた生命線を、一愛はダンジョンに入る前に失っていた。


 ……むり、だろ。こんなの。


 一体いつ、どこで無くしたのか。そんなことは分かりきっている。あの警官と揉み合いになった時だ。分かりきっていて既に終わったことを、一愛は混乱のせいか何度も考えてしまう。

 今考えても無意味で仕方がないのに、それでもあの時の情景が何度も頭をループする。そうでもしなければ理性が保てないとばかりに。


「そ、そうだ。クエスト」


 ダンジョンに侵入した瞬間クエストが発生する。クエストをクリアしなければダンジョンから出ることはできない。

 逆にいえばクエストをクリアさえすればいつでもダンジョンから出られるということだ。


「大丈夫。一回目のクエストは大したことないってネットにも書いてあったんだ。今の俺でもそれだけに専念すればいけるはず……『ステータス』!」


 ダンジョンに入った瞬間に誰でも使えるようになる不思議な魔法、『ステータス』を一愛は唱えた。中空に浮かぶように無機質で透明な板が現れ、一愛の現在ステータスを表示させる。


【名前】 二ツ橋一愛 

【レベル】 1

【ジョブ】 中学生

【種族】 人間

【称号】 無

【MP】 0

【SP】 0

【力】 4

【防御】 5

【敏捷】 5

【器用】 6

【精神】 0

【魔力】 0

【スキル】 無 【魔法】 無


 そうそうたる酷いステータス、されど初めて見た自分のステータスに一愛は状況を忘れて少し浮かれる。SPやMPは0で当たり前だが、大人の平均値が7だということを考慮すれば15歳でこの数値は悪くない。特別な人間は最初からレアスキルを持っているらしいが、このステータスを見るに一愛とは縁がないようだった。

 

 ……と、そんなことよりクエストだ。確か画面をスクロールして……。

 

 一愛はタブレットを操作するようにステータス画面をスクロールしていく。ステータス画面は色々設定できて便利だという話もあるが、今は一旦そういったことは後回しにする。

 RPGゲームのUIみたいだと一愛は思いながら、画面をスクロールした先にある【クエスト】欄を見つける。どうか草を持ち帰るとかの採取系でありますように、と祈りながら画面をタップし、表示された内容を読んで完全に放心した。


『クエスト』

 ・エリアボスを討伐せよ


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