第3話 supplication〈前〉


「にゃんですとぉッ!?」

 地面を粉砕する形で振り下ろされた一撃を間一髪――というには余裕のある形で躱したイルクが叫ぶ。

「ちょっとぉ! いきなり、じゃん!」

 扉を開けた直後の攻撃。まるで待ち伏せられていたかのような襲撃にはしかし肝心とも言える殺意が欠けていた。殺す気はないが、敵意のこもった牽制のための攻撃だ。

 扉の向こう側にいた人物が巨大な鎌のような赤黒い武器をぐるりと起こし、立て続けに二度目を振り下ろす。

「させん!」

 瞬時に反応した蘇芳が腕のみを人狼のそれに変え、重い筈の戦鎚を受け止める。

「ぐっ、ぬ!」

「ほう。おれの一撃をまともに受け止めるとは興味深い。だが愚かだねェ」

 転瞬。どんな原理か凝固していた血が蕩けるように形を変えた戦鎚――今は不吉な形をした短剣が蘇芳の腕を裂く。

「ちぃっ――!」

 一拍の後、身を翻した蘇芳が相手の足元を狙って蹴りを繰り出す。が。その時にはもう間合いを取った男が血の剣をしならせ、蘇芳ではなく背後のイルクを狙った一撃を繰り出していた。

「イルク!」

「心配は無用よん。調和Accord――」

 魔力の盾で迎撃し、イルクはそれを蘇芳の側にも拡張させる。

「なるほど。そちらのお嬢さんが悪魔というわけか。俄然面白くなってきたが、ちと分が悪いね」

 こうなると前方からの攻撃は通じない。

 それを知ってか、更なる追撃を諦めた相手が嘆息する。

「攻撃して悪かった。てっきり昼間の連中の差金かと思ってねェ。一旦休戦といこうじゃなァい?」

「昼間の連中?」

「っていうか……神父さん?」

 蘇芳とイルクがそれぞれ疑問を口にする。

 イルクに神父と言われた黄昏色の男は苦笑してみせ、武器をしまった。正確には武器を跡形なく消してみせた。同時にわずかに纏っていた殺気も消えた。

 蘇芳は獣化を解き、イルクはまだ盾を展開したまま男を見やる。

 若くは見えるが、しかし年齢といった概念の埒外にいるような佇まいの青年。神父の格好、つまりは立襟の黒い祭服キャソックに身を包んだ黄昏色の髪と目をした妖しげな美貌の男。

 二人の警戒を解くような柔和で控えめな笑みを浮かべると、彼は頷いてみせた。

「いかにも、おれはこの教会に赴任した新米神父だ。まだ廃墟同然のボロ教会だがねェ。環波戮かんなみりく、これがおれの名前。よかったら奥で世間話ついでにこちらの事情でも聴いていかない? こんな場所だがお茶菓子くらい出してもてなすよ?」

 穏やかで軽妙な口調。よく通る鋼の声。

 蘇芳とイルクは顔を見合わせた。


  §


 紅茶の馥郁たる香りと甘い茶請けは干したイチジクとスミレの砂糖漬け。

 イルクが顔を綻ばせ、早速一口を頬張っている。

「はぅぅ、砂糖の甘いのもお茶の苦いのもおいひぃ〜」

「有り合わせで悪いがねェ。そっちの兄さんは砂糖とミルクが必要かな?」

「佐渡島蘇芳。……ミルクだけもらおうか」

「蘇芳ちゃん、顔と態度が怖いだけで舌とか味覚が五歳児なんです。ごめんなさい」

「……イルク。てめえ」

「ほんとのことじゃん!」

「では好きな分だけ使うといい。ここに置いておこう」

 教会の奥。

 応接室に通された蘇芳たちを環波と名乗った神父は言葉通り暖かな茶と菓子をふるまってもてなした。

 礼拝堂こそ寂びれて半壊しているが、生活や居住に必要な場所は確保されているようで、二人が案内された応接室などはしっかりと手入れが行き届いていた。

 廊下はランプの灯りで照らされ、二階に続く階段があることが見て取れた。おそらく環波の生活スペースは上階にあるのだろう。一階部分にあたる部屋や廊下には生活感だけが欠けていた。

 こうして様子を伺いながら、蘇芳たちは環波の話を聞いていた。

「おれは元々、関東で起きた〈奈落禍フォールダウン〉に紛れて獣化都市に流入した身でね。この通り、聖職者のはしくれとして各地を巡礼して回っているのさ」

「それで、この教会にはいつから? 確か最近まではただの廃墟だったと思うんだけどにゃ〜」

「二ヶ月ほど前から。見ての通り、ここはまだ廃屋同然だ。だからおれが住み着いていることを知らない連中も多い。おれもここにきて二週間は苦労したっけなァ。それでもどうだい、ここなどはだいぶ部屋らしくなっているだろう?」

「……それは、そうだな」

「本当は表の礼拝堂も修繕したいんだが、いかんせん人手と資材が不足していてねェ。それで手付かずに任せてでも一応教会として機能はするように手を回してるってところさ」

「ありゃ〜神父さんもけっこう大変じゃんね?」

 今のところ、環波の話に嘘はないように思えた。

 少なくとも信用してもしなくても、どちらでも差し支えのない話ではある。

「さっき言っていた、昼間の連中というのはどういうことだ?」

「初っ端からあたしちゃんたちのこと攻撃してきたのも、なんか差金って言ってた気ィするし〜? 神父さん、もしかしてなんかヤバい系のことに足突っ込んじゃってる感じ?」

 蘇芳が口火を切れば、イルクが援護射撃ばかりに畳み掛ける。

 環波は苦笑した。

「最初から決めてかかって攻撃してしまったことは本当に悪かったよ。この通り、謝ろう。申し訳ないことをした。……そう、実を言えばそこのお嬢さんがいう通り」

「イルクでいいよ」

「イルクちゃんがいう通り、少々ヤバいことに片足を突っ込んでいる状況でねェ。昼間に教会の前で暴行事件があったんだが、成り行き上おれがその被害者を助けたんだよ。そこまではいいんだけどねェ」

「へー、かっくいーね。ちゃんと聖職者してるじゃないっすか」

 イルクの言葉に困ったような笑みを浮かべ、環波が話を続ける。

「問題はねェ、その子が〈人造天使リトルエンジェル〉だったってコト」

「……最悪だな」

「げぇ、ヤバヤバのヤバじゃん」

 二人して顔色を変えた蘇芳とイルクに、環波も頷いて見せる。

〈人造天使〉は文字通り偽造された紛い物の天使だ。奈落禍にともないこの世へと流れ込んできた異形ども、その細胞因子を無理やりに移植される形で異形化させられた存在を示す呼称である。

 夜の街ナイトシティススキノの中でも最も深部の異形汚染地区で営まれる商売がある。それが〈人造天使〉の売買だ。

〈人造天使〉は出自の不明な子ども、多くはスラムの子どもたちを攫って行われた非人道的な人体実験の副産物だと言われているが、実際のところは定かではない。

 ただ、それを応用する形で今では見目麗しい少年少女を違法な闇手術によって人工的に天使や人魚、ケンタウロスなど神話や民話の半人半獣に改造し、愛玩・観賞用に売り出す闇商売が営まれるようになって久しい。人間の中にはいつだって異形に惹かれ、熱望するものが絶えずいる。どんなに汚辱に塗れていようが、需要と供給が成り立ってしまうのだ。

 要するに現在ではヤクザや人外による幇会のシノギになっていることだけがはっきりしている、そういう危うい存在である。

「それで、我ちゃんたちが幇会か何かが差し向けた追手だと思って最初の迎撃に繋がるワケね?」

「そ。わかってくれた?」

「ん〜。そうじゃのう……蘇芳ちゃんはどう思う?」

 悪態をついたきり、黙って話を聞くだけだった蘇芳にイルクが話題を振った。

「……どうして助けた?」

「え? ちょ、蘇芳ちゃん何言って」

 蘇芳は低い声で表情を変えずに問いを発する。

「どうして助けたんだと聞いている。そんなことはこの街じゃ日常茶飯事だ。まして相手は〈人造天使〉――無理やり肉体を弄られ、分子レベルで調整されている擬似種族の寿命は極めて短い。助けようが助けまいが行く末は変わらない。そう遠くないうちにそいつは死ぬ」

「ほう。助けなくてもどうせ死ぬのならば、君は助けなくても平気ってことかい? 悪魔を庇って前に出るような男の子のくせして、案外冷たいことをいうンだなァ……?」

 環波は挑発的な口調でそう言い、蘇芳を見やる。だが蘇芳はそれに乗らなかった。

「違う。のだろう? 神父、お前が悪魔であるが故の選択だ」

「ンー? おれが悪魔って、それどういうことかなァ。蘇芳くん?」

 あくまでとぼけて見せる環波に、しかし蘇芳は冷静に告げる。

「魔力を消していても痕跡は残る。先ほどの襲撃時、お前は異能を使っていた。都市ごと異形化した今じゃあの程度の異能はありふれている。だからそれは問題じゃない。だが、お前は些細なミスを犯した。イルクより前に出た俺の腕を斬ったよな。あの時の魔力の残滓が俺の傷口に残っていた。解析に少し時間を要したが、お前の力は確かに悪魔のものだった」

「ふうん。魔力探知能力の共有までしているとはねェ。さてはイルイルクと褥を共にしたクチだなァ? いいさ、お手上げだよ」

 くくっ、と低く笑って顔をあげた環波が長い前髪を掻き上げた――転瞬。その姿が三つの角を生やした黄昏色の悪魔のものに変化した。祭服を身につけた美貌の悪魔。皮肉な取り合わせだった。

「こっちがおれの本性。真名は内緒だから戮でいいよ。改めてよろしくなァ?」

「神父のふりとか超悪趣味なんですけどぉ! っていうかあんた誰? なんで我ちゃんの名前知ってるワケぇ!」

「イルイルクは悪魔の界隈じゃ有名どころだろう? 知っていない方がおかしいからねェ。対するおれは逸れものだ。マイナーもいいところだよ。知っている方がどうかしている」

「みぎぎぃ! なんか我ちゃんの方が格上なのに複雑なんですけどぉ! つーか! 蘇芳ちゃんとは寝てないもん! いくらこの美ボディをギンギンのギンに見せびらかしたってさせてくれないんだもん!」

「イルク、話題を脱線させんじゃねえ。これでお前が事前に察知した悪魔の気配については説明がついた。だから問題は――」

「動機、だろう? 近い将来野垂れ死ぬのが運命の相手をなんで助けたかって質問だったよなァ、名探偵。そうさ、お前が考えている通りの答えだ。今も言ったように、おれはマイナーどころの悪魔だからね。わざと死期の近い人間を選んで助け、契約期間を短縮できればより多くの契約を交わし、魂を手にいれることができる。手っ取り早い回収手段がこれさ。今日助けた娘も同じ。人造天使の寿命は短い。願いを使い切るか、自分が死んでこちらの手に落ちるのが早いか。そういうことさ」

「ふん。悪魔としてはどこまでも正しいが、姑息な手段だ。イルク、行くぞ」

「え? ちょい待ってよ蘇芳ちゃん! もういいの?」

「そいつは悪魔だが、お前の知り合いでも標的でもないンだろ。それにこちらが手出しさえしなければ互いに下手なリスクは侵さないタイプだ。……そうだな?」

「いかにも。おれはただこの世の有り様を楽しみたいだけだから、ねェ。イルクちゃんはとりわけ強力な悪魔だ。おれなど足元にも及ばないだろう。だからこちらはキミらの目的に土足で踏み込むような真似はしない」

「だとよ」

「そっか。わりと話せるかな〜とも思ったんだけど、蘇芳ちゃんが言うなら放っておくことに」

「待って」

 立ち上がりかけたイルクと既に背を向けていた蘇芳に、背後から声がかかった。

「お願い。待ってください」

 振り返れば、そこには天使がいた。





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