博愛聖女はその愛をまだ知らない

@1sweet2time3

第1話 “愛の王国”サントレア

 澄み渡る青空の下。

 さわやかな初夏の風が、薄紅色の花びらをふわりと舞い上げる。


 ゴーン――ゴーン――


 教会の鐘が城下町に鳴り響き、一組の愛し合う夫婦が誕生したことを告げる。

 その荘厳で晴れやかな音色の下で、侯爵家の男性とこの教会の修道女だった女性が、美しい婚礼衣装に身を包み見つめあっている。侯爵家側の華やかな参列者だけではなく、街の少し素朴な参列者たちも皆、綺麗に着飾って二人を祝福するようにあたたかで幸せそうな表情で二人を見つめている。


「今日の佳き日、女神の前に誓います」


 鐘の音の響く教会で、二人が見つめあったままそう口にする。


「夫として妻を生涯愛し、その愛で彼女を守り導くことを」

「妻として夫を生涯愛し、その愛で彼を守り導くことを」

「ここに誓います」


 ここサントレア王国での愛の誓いの言葉を口にするや否や、二人は微笑んでお互いの唇に口付けた。そのとたん、夫となる侯爵は教会を囲む薄紅色の花のような桃色の光に、妻となる娘は今日の青空のようなさわやかな青の光に包まれる。


 その様子を、教会勤めの修道女、エマはうっとりと見つめた。

 まるでおとぎ話のようで、身近な魔法。目の前の夫婦となった二人は、お互いの愛で、お互いに守護と祝福の魔法をかけたのだ。


 ――サントレア王国は愛の魔法によって栄えた国だ。

 人はみな生まれつき魔力を授かっている。人によって容姿や頭脳、細かな得意不得意に違いがあるように、魔力もまた、人によってその量が違った。

 今より半世紀昔は、魔力の強さは生まれてから死ぬまで不変のものとされ、その魔力の差によって支配する側と隷属する側に明確に分かれていたのだと歴史の語り部は言う。しかし、敬虔なる信徒の国サントレア王国では、祈りの力によって、この魔力の強さは変わるものだと早くに判明したのだ。

「彼が今日も健やかでありますように」「彼女が今日も笑顔でありますように」――こういった誰かが他者に向けるひたむきな祈りが、その他者の魔力を強くする。

 つまり、誰かに向けられる愛が多ければ多いほど、そのものの力が強くなるのだ。


「あのお転婆サーヤが侯爵夫人か」

「お転婆とはいえ、サーヤはひたむきで誠実な信者だもの。彼が見初めてもおかしくないわ」


 そう感慨深そうに話すのはエマの二つ年上の修道女、カリナとリラだ。

 今日誓いの魔法に結ばれた夫婦が教会の外に出て、町の人に祝福されるためにパレードに出るのを見届けると、二人だけではなく修道女も修道士も口々に熱っぽく結婚式の感想を話し始める。


「……本当に素敵だったわね、サーヤ」


 なかでもエマはひときわうっとりと今日の結婚式を振り返る。

 それも仕方のないことだ。サーヤはエマの仲のいい友達だったのだから。

 そのどこか遠くをみるような瞳のエマに、カリナとリラが気づかわし気に口を開く。


「エマはちょっと寂しいわね……」

「侯爵夫人になったら、サーヤは礼拝の日以外なかなか教会にはこれないものね」

「あなたたちは小さなころからずっと一緒にいたから……」


 周りの修道女たちが慰めるようにエマを取り囲む。

 2歳の時に教会の前に捨てられて以来、エマは教会で育てられてきた。同じく孤児だったサーヤとエマは、今年16歳になるまでずっと仲良く育ってきた親友だったのだ。


「そりゃあちょっとは。でも……」


 エマはうっとりとしたままで優しく微笑むと静かに目を閉じた。


「私をいつも引っ張ってくれたサーヤが、侯爵様のもとで幸せでいてくれるなら、こんなにうれしいことってない」


 心からそう言うと、カリナとリラがはあっとため息をつく。


「あんたのその優しいんだか、のんびりしてるんだか、単に夢見がちなんだかなその性格。時々怖くなるよ」

「寂しいだけじゃない。羨ましく思ったり、妬ましく思ったり。そういう風に思ったっていいんだよ? 人間なんだから」

「……でも、エマはきっと本心なのよね……」


 誰かが誰かを愛することで生まれる“愛の魔法”が正式に教会に認められて以降、サントレア王国では身分の差があったとしても愛し合うものであればその結婚を妨げるものはないと定められた。

 そのため、今日のような、侯爵と街の孤児だった娘が結ばれることも無いことではなくなった。とはいえ、貴族と庶民では出会う機会も限られているし、今日のことは、まさしくおとぎ話のような、誰もが羨む出来事なのだ。


 同じように育ったのに、どうしてサーヤだけ。そうちょっとは妬んでも誰も咎めない。それに、資産や時間に余裕があり、様々な人と触れ合う貴族と比べたら、日々の仕事で時間や心に余裕がなく、お互いをいつくしめる大事に思う人に出会えることが格段に少ない貧しい庶民はもともと愛の魔法に触れる機会も少ない。

 そんな数少ない大事な人を、ぽっと出の貴族にさらわれたとなれば、侯爵のことを多少恨んでも仕方ないと周りの人は思っていた。


 それほどまでに、周囲はエマを「周りに何かを奪われるかわいそうな娘」だと憐れんできた。両親に捨てられたところから始まり、教会でそれなりに愛を受けて育ったとはいえ、数いる孤児のうちの一人。中でも特に優しい娘なのに、どういう星のもとに生まれたのか、誰かや何かをいつくしむだけいつくしんでも、最後にはほかの誰かに奪われる。はたから見ていて、エマの人生はそんな人生だ。教会の花壇や、捨て猫に始まり、彼女の愛を受けたあらゆるものが彼女の手元からなくなった。その上、仲が良く信じあった親友ですら貴族にかっさらわれたとあれば、多少憐れまれても仕方がないのかもしれない。

 ――しかしエマはそうは思っていなかった。


「……私にも、大事な魔法があるから」


 そう胸元でぎゅっと手を握る彼女の眼は遠くを見つめる。

 周りの人が思うほど、エマは単なる底なしのお人よしではない。……しかし、確かにどこか夢見がちな節はあった。彼女には国で信じる女神の他に、同じく信仰していると言っても過言ではない憧れの人がいる。ただひとえに、その人に失望されたくなくて、今まで頑張ってこれたのだ。

 質素な服の下、その人から遠い昔に貰った指輪を大事に握りしめる。

 ――昔、泣いていた自分を慰めてくれた、優しい人。

 いつかその人に出会い、その人に恥じない自分で堂々と恩返しをすることが、エマの一番の夢で拠り所だった。そのためだったら、エマは喜んで人のために身をささげられた。


 そんなエマの姿を見て、周りはまた始まったと呆れたように首を振る。

 彼女がその人を思い返すとき、彼女の眼は優しく遠くを見つめ、夢見るような笑顔になる。

 そんな姿は、おとぎ話を夢見る少女のように周りの目には映っていた。


 いつかだれかが。エマのことを心底愛してくれるようなどこぞの“王子様”が。

 彼女に訪れますように。

 ……おとぎ話はめったにないことだからこそおとぎ話なのだから、祈っても詮無いことだろうと分かっている。しかし、せめてもの気持ちで、周りはエマに祈りをかける。


 実際、このエマの底なしに見える博愛の精神は、修道女としてはかなり有能だった。古の聖女とみまごう信徒も少なくない。

 エマがいつかかの人に恩返しできるまでと一生懸命日々祈ったからか、彼女は「奪われる人生」を送っているにしては、魔力が強かった。

 もともとの素質が高かったのかもしれない。しかし、それにしても周りがあっと驚くほど、彼女の魔力は人並み以上のものだった。


「……あの気の強いサーヤがいなくなって、エマが利用されることが増えないといいけど」


 そうつぶやくリラの願いとは反対に、教会の外から早速大人たちが駆け込んでくる。


「助けてください!! こどもが、こどもたちが……!」

「今行きます!」


 声を聴くや否やエマが教会を飛び出していく。

 そしてきっと今日もまた“博愛の聖女”は街の人の為に魔法を使うのだ。


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