12話 四章 そして、運命が回り出す(1)

 理事長と珍しく長話しをした翌日、サードは目覚めて早々、奇妙な違和感を覚えた。目覚めから、やけに神経が高まって身体が軽いように感じた。


 はじめは気のせいかと思っていた。風紀委員会室でいつものように朝のミーティングを行った後、眉根を寄せて顔を覗き込んで来たリューの言葉に、それが気の迷いではないらしいと知った。


「……なんだか委員長、今日は殺気立ってます?」

「どうして」

「いや、なんか瞳孔が開いて、怖い感じがします」


 サードは、これから一時間目の授業を受ける予定でいたリューに、手短に別れを告げて階下のトイレに駆け込んだ。


 鏡で自分の状態を確認しようとした時、不意に胃から激しい不快感が込み上げた。普段あるような激痛の予兆もないまま、気付いたら洗面所に吐血していた。


 あっという間に、いつもより多くの血液がびしゃりとこぼれた。


 口の中にどろりとした苦い味が広がる。全身の毛が逆立つような高揚感と共に、壊してしまいたいという凶暴にうずく惨殺衝動が込み上げて、二時間前に服用したばかりの『悪魔の血の丸薬』をもう一度噛み砕いた。


 吐血が一旦落ち着いてくれたところで、口許の血を拭った。


 ようやく鏡に映った自分の顔を見てみると、瞳孔を開かせた捕食者のような赤い目があった。いつもより増して、真紅の瞳が白い肌に際立って映えているように見えた。


 本能的に可能性を察して、「まさか」と思わず呟いた。


 以前から『月食』の到来予想は、数日から週間単位でずれること。尚且つ、半悪魔体であれば、時が来れば察知できる可能性についても示唆されてはいた。確かにこの身体は、獲物である悪魔を求めるように出来ている。


 初めて感じるような違和感。


 これは月食に動きがあったことを示すのではないか。そう推測した途端、サードはスミラギに会うべく、保健室に向かって走り出していた。


「おっと、ごめん」


 一階への階段を下る途中、上がってきた二人組の生徒とぶつかりそうになって、そう早口で謝った。


 それは、資料の束を抱えた生徒会会計のユーリスと、生徒会書記のソーマだった。彼らは、ほとんど足も止めず階段を下っていくサードを驚いたように呼びとめた。


「ちょっ、どうしたの、サード君」

「そんなに慌てて、どうかしたんですか?」

「悪ぃ、ちょっと急ぐから」


 一瞬、チラリと目があった時に、ソーマの顔が僅かに怯えを滲ませたような気がした。なんだか、彼に殺気立った眼を見られることに、よく分からない抵抗を覚えて、サードは反射的に顔をそらし階段を下った。


 人のいなくなった職員室を通り過ぎ、保健室の扉の前で足を止めた。扉には『準備中』のプレートが掛けられていたが、中からは複数の人の気配がしていた。


「開けてもいいか」


 扉越しに小さく声を掛けると、内側から「どうぞ」と反応があった。


 室内に入ったサードは、そこにスミラギ以外の人間がいることに気付いて、後ろ手でゆっくり扉を閉めた。警備室の制服を身にまとった二人の諜報部員が、彼と揃ってこちらを見つめ返してきた。


「例の『月食』が始まるんだろ?」

「さがに早いですね。どうやら今期では、見事な日食が見られそうです。記録にはどれも『月と太陽が同時に存在する短い時刻』となっていたので、てっきり夕刻前あたりかと踏んでいましたが。――予測では、正午過ぎには太陽が欠け始めます」


 スミラギが語るそばから、諜報部員の一人が「それでは、話した通りお願いしますよ。スミラギ研究員」と告げて、サードに目配せすることもなく足早に部屋を出て行った。


 サードは怪訝な表情を浮かべ、男たちが閉めた扉を数秒ほど見つめてしまっていた。


「あいつら、何しに来たんだ?」

「真っ先に、学園敷地外に逃げるメンバーですよ。既に使者が連絡を持ってきた後だと言うのに、わざわざ小者らしい口台詞で、釘を刺しに来た家畜野郎です」

「は……? え、『家畜野郎』って、めちゃくちゃ口悪――」

「ああ、言い方が悪くなってしまいましたね。彼らは、そうですね、『ご丁寧にも計画の流れを再度告げにきてくれた』のですよ。さて、彼らのことはどうでもいいのです。こちらも当初の予定通りに話し合いをしましょう」


 座るように促され、サードは彼の向かいの診察椅子に腰かけた。同じく座り直したスミラギは、冷えた珈琲カップを手に取ると、少し思案するように視線を漂わせた。


「生徒たちに関しては、午前の授業が終わり次第、理由を付けて学園の外に誘導される手筈です。全員脱出次第、ここは悪魔の生存反応が消えるまで、強固な結界に閉ざされることになります」

「俺は、学園のどのあたりに待機していればいいんだ?」

「きちんと指示しますので、まずは説明をお聞きなさい。私たちには他の関係者よりも少し時間に余裕がありますが、――私の『授業』を中断するようであれば、逆さにして壁に貼り付けますよ」


 軽く片眉を上げたスミラギの瞳に、絶対零度の威圧感を見て取り、サードは咄嗟に両手で口を塞いだ。


 スミラギは「よろしい」と言うと、ふと思い出したように「あなたの飲み物を用意しましょうか」と、口を付けないままでいた自分の珈琲カップを持って、奥の備え付けキッチンへと入っていった。


 しばらくすると、彼が暖かい珈琲と、暖かいココアを淹れて戻ってきた。


 トム・サリファンやスミラギと出会った時も、初めて手渡されたのは暖かいココアだった。それをなんとなく思い出したサードは、湯気の立つそのマグカップを受け取った。


「まずは悪魔の来訪によって、多くの生徒が死ぬ要因から話しましょう」

 

 椅子に座り直すなり、スミラギがそう切り出した。


「これは、悪魔の食べ残しを目的に付いて回っている『死食い犬』という魔獣のせいで、被害が拡大しているのです。彼らは人間の臓器が主食で、低知能でありながら高い身体能力と、強靭な牙を持って無尽蔵に襲いかかってくるため、素人には難しい相手です」

「え、『魔獣』? というか、『死食い犬』って……?」

「この世界には、魔物と呼ばれる人害生命体が存在しています。そのために我が国には戦闘魔術師団や魔剣士がおり、人里に危害を与える魔物の討伐なども行なわれています。その存在と歴史があったからこそ、今回の対悪魔計画が可能だったとも言えます」


 悪魔だけではなく、魔物と呼ばれているモノもあるのか……でもサードは、それがどうして自分たちの半悪魔体の実験に繋がるのか、分からなかった。


「……えーと、なんで計画が可能だったのか、訊いてもいいか?」

「昔、人間は魔物に対して無力でした。彼らの頑丈な身体を突き破るために、どんな魔物にも有効な爪や牙を持った、魔獣の研究を始めたのがことの始まりです。そうして、魔獣の力や特性を持った『半魔獣』の兵士を作り上げたのです。あなたが半悪魔体であるように、半魔獣体の人間が作られたのですよ」

「え、それマジ?」

「本当の話です。彼らは貴方とは違い、細胞単位で見れば、ほぼ人間ですので子も残せました。先祖返りで腕だけが獣であったり、獣の耳がついていた子が産まれることがあり、今では『獣人』と呼ばれています。彼らは高い戦闘能力を持った優秀な戦士として重宝され、幼少より『獣人部隊』に引き取られて訓練を受けるのです」


 彼らは獣人と呼び親しまれ、軍事機関の部隊で多く活躍しているのだと、スミラギは冷静な口調で語った。受け継いだ魔獣の種族性格が多少見られるが、仲間意識が強く、主人には絶対忠誠を誓う特性は好まれているらしい。


 半魔獣体である獣人は、魔物の血は流れていないが牙や爪や五感の特徴を受け継ぎ、半獣化の状態で産まれる。半悪魔とは違い、絶対に主人の敵にはならないという確証があるために、その存在が受け入れられているのだとか。


 半悪魔体は、外見は人間でありながら、悪魔の細胞と血が半分流れている。それに対して半魔獣体は、細胞単位で見れば人であることが大きく違っていた。


 魔物や魔獣が持つある特徴的な特性もあって、獣人は人と共存出来る環境が作り出されているらしい。けれどその方法や経緯といった詳細に関して、スミラギは語らなかった。時間も限られるだろうと考えて、サードも『余分な説明』と考えただ黙って聞いていた。


「何か思うところはありませんか?」

「何かって?」


 一通り話を聞かされたところで、そう確認するように尋ねられた。思わず「変なことを訊く奴だな」と露骨に表情に出したサードを見て、スミラギが小さく息を吐く。


「まぁ予想済みの反応です、今はいいでしょう。さて、続いて『死食い犬』について簡単に説明すると、Bランク級の指定魔獣で、見掛けは大きな黒い犬の形をしています。彼らは力のある魔物のそばに群れで居座り、集団行動を起こす厄介な魔獣として有名です」

「集団で狩りをするってことか?」

「結果としてはそうなりますね。彼らは知能が低く、仲間意識だってありません。ただ貪欲な食への欲ばかりで恐れもないため、先に食ったもの勝ちという獰猛さで襲いかかってくるので、並みの専門討伐士でも苦戦するのです」

「つまり追い払うのが出来ないタイプの敵で、防御も効果がない。つまりは、片っぱしから殺していけば問題ない、ってことでいいのか?」


 サードが思いついた対抗策を口にすると、スミラギは「その通りです」と肯定した。


「悪魔の強い殺戮衝動は、常に攻撃一点という特徴がありますので、同じように防御を知らないあなたには、うってつけのターゲットだとも言えます。『死食い犬』の脚力とスピード、顎の力は強靭ですが、腐化した肉体は壊れやすいという弱点もあります」


 悪魔細胞を解放すると、動体視力や反射攻撃の威力も各段に上がる。その際には身体が限界を超えた力を引き出すため、衝撃の度合いによって筋肉細胞や骨はズタズタにもなるが、その代わり超治癒再生も数十倍の速度で行われる。


 実験で行われた八十パーセントの肉体活性時には、ほぼ痛みがなくなることは確認されていた。百パーセントの活性化解放を行った場合は、無痛になるだろうと推測されている。


「悪魔と戦う前に、『死食い犬』が出てくるってことか?」


 悪魔の対戦よりも先に説明されたということは、悪魔自身よりも先に『死食い犬』との戦闘が繰り広げられるのだろうか、と推測してサードは尋ねた。


 すると、スミラギは珈琲カップを戻しながら「そうなるでしょうね」と淡々と答えた。


「残されている文献を見る限り、『死食い犬』は封印が解放され始めた段階で抜け出せる魔物であるようです。悪魔は、封印が完全に解放された数分の間だけ外に出られるようですが、強力な魔力で、空間の時間を遮断します。その中では五日間分の時間が流れるらしいので、そのために、あなたの身体の最大活性化も七日間稼働出来るようになっているのです」

「確か時間を止めるのって、その範囲の空間が、通常の時間軸から離されるから内側にいる連中は、止まった時間に捕らわれて解除されるまでは出られないってやつだろ?」


 以前、トム・サリファンの屋敷で授業を受けていた際、魔術について語った内容を思い出した。スミラギが「その通りです」と答えるのを聞いて、サードは多くの生徒が死んだ理由が見えたような気がした。


 現れた悪魔によって、多くの少年たちが学園の敷地内に閉じ込められる。外側からも応援が入れない状況の中、多くの学生や教師たちが『死食い犬』と戦わなければならない状況が出来上がる。


 そこまで考えたところで、サードは疑問を覚えて「ん?」と首を捻った。


「じゃあ、なんで今回は外から結界を張るんだ? 時間が止まっちまうんなら、何者も外に出られないし、入れないんじゃねぇの?」

「時間と空間の法則に関しては、生きている者に限定される話であって、肉体が死んでいる物は対象外なのです。つまり、既に肉体が死んでいる『死食い犬』には関係がないのですよ」


 だからこそ、外から結界を張って閉じ込める必要があるのだ、とスミラギは語った。


「彼らは学院内の獲物を食いつくすと、外の人間を襲い始めます。彼らは餌のおこぼれをもらう魔獣ですので、悪魔が定めた獲物にだけは手を出しません。悪魔と戦い始めたら、あなたは彼らの『餌』の対象から外れるため、餌として注意を引くという利用価値は途端になくなりますから、今回の『強固結界』は必要になるのです」

「餌としての利用価値、かぁ……なんだか雑な言い方だなぁ」

「魔獣の数が少なければ、悪魔がやってくるまでに皆殺しすればいい話ですが、実際の頭数や、悪魔が現れるまでどのくらいの時間的猶予があるのか不明ですからね。魔術研究課が開発した強固結界であれば、Sランク級の魔物であろうと、悪魔の細胞を持ったモノだろうと閉じ込めることが可能です。――あなたも一度、研究施設でそれを見ているはずですが、おぼえていますか?」


 そう促され、サードはココアを飲みつつ記憶を辿った。そこで思い出したのは、発狂した仲間が、珍しくその場で処刑されなかった日のことだった。

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