10話 三章 理事長からの新業務(3)
生徒会室の扉前に到着した途端、バタンッと内側から開かれた。
レオンに引っ張られていたサードは、両目を見開いたソーマと目が合った。彼はどこか安堵したように「いらっしゃい」と告げると、慌てたように奥の備え付けのキッチンへと引っ込んでいく。
いやいやいや。いらっしゃい、じゃなくて助けろよ。
レオンに襟首を掴まれたままのサードは、これは身長差のせいなのだろうか、と諦めの心境で生徒会室を見回した。会長席から黒いオーラを発する、美麗ににっこりと微笑むロイの顔が目に入り、下手な抵抗はしない方が身のためらしいと悟った。
訳が分からぬ間に休息の場が整い、エミルとユーリスの「いっただっきまーす」という呑気な掛け声と共に、生徒会の優雅な茶会が始まった。
しばしサードは、苺の乗ったショートケーキを茫然と眺めた。
左隣に腰かけたレオンに「ぼけっとしていないでお持ちなさい」とケーキの小皿を持たされ、右隣に座ったユーリスに「はい、これも」とフォークを手渡されてようやく、死に絶えていた表情に力が戻って片頬が引き攣った。
「……この状況、おかしくね?」
「サリファン君、僕も二度目のケーキなの~。すっごく幸せ~」
「誰もそんなこと訊いてねぇよ」
「私は先程チーズケーキを頂いて糖分はこりごりなので、珈琲だけ頂きます」
「じゃあなんで隣に座った?」
しれっと珈琲を飲むレオンの横顔に、サードは冷ややかな視線を送った。忌々しい美麗眼鏡は、相手にすらしないというように涼しげな表情である。
サードは、ケーキの上に乗った苺を凝視した後、黙々と上品にケーキを食べるメンバーをチラリと盗み見た。その中で、ケーキの上に苺が残っていない人物を一人見付けて、小さな声で質問した。
「…………なぁ、会計。この緑の草も食べるのか?」
「へ? 普通に果実だけ食べた方が美味しいけど」
ユーリスが、きょとんとして答える。それを聞いたサードは、「ふむ」と改めてケーキに目を向けた。
「なるほど。つまり、もしかしたらこの生地の間に入ってる赤いやつも、コレの実の可能性もある、のか……?」
「え、独り言? 独り言なのサード君? というかさ――いやいやいやいやいや、これはヘタを取られてスライスされただけの苺だからね?!」
慌てて早口で言うユーリスを見て、サードは顔を顰めた。それから、余計なことを呟いてしまったらしいと察して苺へと目を戻した。
「知ってる。『いちご』ってのは、そういうものだったな」
後でスミラギから知識を仕入れておこう。そう考えながら、サードは自分にフォローをするよう答えた。研修した街中で見掛けたことがない果実なのは、きっと高価な果物だからだろうか。
そういえば、林檎という果実も艶やかで赤かった事を思い出した。つい、ケーキ皿に目を落としたまま記憶を辿っていると、自分のケーキの上から苺をつまんだエミルが「サリファン君~」と声を掛けてきた。
「甘い苺だから、単品で食べても美味しいよ。へたのところを持って、実だけパクって食べちゃうの」
なるほど、林檎のヘタと同じ要領か。承知した。
サードは、自分の中でカチカチと情報を整理した。ひとまず食べ方を理解したところで、苺の葉の部分をつまみ、赤い果実の部分だけを食べてみた。
その実は、ジュースよりも濃厚で、甘いながら酸味があって美味だった。苺にほんのりついた白いクリームも、見た目の奇怪さに反して、溶けるように甘いことに内心驚いてしまう。
続いて口に入れてみたショートケーキは、ふわふわと溶けるように甘くて、嗅いだこともない濃厚な匂いが鼻孔まで広がるのを感じた。口の中で、全てが蕩けるように美味しい。
不意に、「考えるな」「欲張るな」と言っていたトム・サリファンの言葉が脳裏を過ぎった。仏頂面が基本仕様の彼は、たびたび「お前のためだ、馬鹿みたいに笑うな」「今のうちに人間みたいな思考は捨てていけ」と叱責したりした。
そのたびにサードは「死人じゃないんだから、それは無理」と笑い返して、彼をおちょくった。若干丸身を帯びた大きな身体で、トム・サリファンが雄叫びを上げて追い駆けてくるのが、可笑しかった。
本当は、彼がどんな人間であるのかは分かっていた。
ある日、飲み比べをして酔い潰れた彼が「欲が出たら、最期に辛いのはお前の方だ」と寝言のように呟いた言葉が、不器用な彼の行動の理由を物語っていた。でもサードは、それでも知らない振りをして馬鹿を続けた。
知ることが、自分の役割に辛さを増すとは思えない。そんな時に出会ったスミラギは「ささいな好奇心があれば、残さず私に尋ねなさい」と、私情に左右されない良き教育係だった。
でもスミラギは、トム・サリファンと違って『かなりのスパルタ教育』だった。テストで答えを間違えると、平気な顔でサードを木に宙釣りに括りつけ、平気な顔で講義を続ける恐ろしい神経を持った男である。
「…………」
嫌なことを思い出したな、とサードは乾いた笑みを浮かべ思う。
いくら英才教育を重ねた優秀な実験体とはいえ、たった半年で、この学園の主席レベルの知識を叩き込まれたのは辛い記憶である。
口直しにケーキを食べるべく、つい止めてしまっていたフォークを動かした。スミラギの鬼畜ぶりを忘れさせるほど、苺のショートケーキは甘くて美味しい。
そこでふと、多くの視線を集めていることに気付いた。
サードは、訝しげに辺りを見回した。思わず近くにいたユーリスに「俺は珍獣じゃねぇんだぞ」と告げてやったら、彼が「うーんなんというか」と首を傾げてくる。
「サード君って、意外と顔に出るタイプなんだろうなぁ、とか?」
「なんだそりゃ」
「一人で百面相していたぞ」
ロイが珈琲カップを持ち上げ、にやりとしてそう言った。特に表情を変えた覚えはない、という強い意思を込めて、サードはロイを睨み返した。
その時――
「あなたは、月食と共に現れる『赤い悪魔』との戦いは知っていますか?」
唐突にレオンから掛けられた言葉に、サードは危うく咽そうになった。
百年越しに、この学園で繰り返されている殺し合いは、月食で月が赤く染まる事から『赤い悪魔』という呼ばれ方もされていた。悪魔の目が赤いことも由来しているらしいのだが、この国では珍しい色というだけで忌みの対象ではない。
サードは、どう反応すればいいのか判断出来ないまま困惑した。すると、ロイが足を組みかえながら「隠す必要はない」と、なんでもないような口調で言う。
「サリファン子爵は、元を辿れば聖騎士の家系の者だろう。血は繋がっていないとはいえ、彼に他の子がいない今、養子のお前が第一子にあたる。悪魔との戦いは代々親から子へ伝承されているのだから、当然、話ぐらいは聞いているだろう?」
そういう話は聞いた覚えがないのだが……え、トム・サリファンって『戦いの歴史を知っている側』でいいのか? それとも、こいつらの認識が間違っていると取るべき?
唐突に降って沸いたような話に混乱した。
でも、彼らは皇帝と聖騎士一族らの子孫だ。その情報が間違っているとは考えにくいし、トム・サリファンが自分に伝え忘れていた可能性も浮かぶ。
いつ指示をもらう側だ。そして、自分から動くことも許されない。だからサードは、もう頭がいっぱいいっぱいになって困惑しかなかった。
「えぇと……?」
「変だな。お前はサリファン子爵家に養子として引き取られ、名に恥ずかしくないよう教育を受けてきたと聞いているが?」
ロイが不敵に笑い「違うのか?」と、続けて訊いてくる。
幸運に恵まれて養子になった『サード・サリファン』は、子爵家の跡取りとして立派に育てられている設定だった。その場合、親から継承される歴史の秘密も語られていないとおかしい、という事になってしまう――のかもしれない。
人間のような暮らしを送ったことがないので、よく分からないけれど。
多分、そうなのかも……?
自信たっぷりのロイを言い方を見て、サードは途端に自信がなくなった。彼がそこまで言うのなら、そうなんだろうなぁと思わされて、慎重に言葉を選らんでこう答えた。
「――聞いてはいるけど、大まかに知らされただけだ。一族の血が流れていないから、必要のないものだと聞いた」
聖騎士は、悪魔と対抗出来る技術と力を、血によって受け継ぐ。百年目には必ず、聖騎士の本筋家に『皇帝』と同じ年頃の男子も誕生するというのも不思議ではあるのだが、彼らは歴代の聖騎士と同じ特徴を引き継ぎ、一目で自分の主である『皇帝』を見付け出すことが出来る――とは聞いていた。
地下の実験施設で、何度も聞かされた話を思い返す。サードが探るように見つめていると、ロイが愉しげに目を細めた。
「今年が、その年であることは知っているか?」
「知らねぇよ」
「ふうん? てっきり知らされているのかと思ったがな。特待生として学園への入学が認められ、その頭脳と戦闘能力の高さから、風紀委員長として抜擢されるぐらいの人材であれば『皇帝』の騎士に相応しいだろう?」
恐らく、以前レオンが口にしていた聖軍事機関への内定の件だろうか。
サードとしては、皇帝の騎士という言い方に嫌な予感を覚えた。まさか聖騎士の頭数に数えられている、なんて面倒なことにはなっていないだろうな?
「…………おい。おい生徒会長」
「なんだ?」
「まさか、俺にも戦えって言うんじゃないだろうな……? それは『皇帝』であるお前と、そのとりまき共の役割だろう」
尋ねる口許が、無意識に引き攣った。
すると、ロイが小馬鹿にするように片眉を引き上げ「そこまでは知っているのか」と、どこか感心したような口振りで言った。なんだか、そのおかげでわざとらしいというか、どこか演技臭くも感じた。
「悪魔と戦うのは、初代聖騎士の血族の義務だからお前は含まれていない。悪魔に耐性がない人間は、魔力に呑まれるからな」
「ま、まぁそうだよな」
「ただな、被害者を少なくするためにも、ことが始まったら出来るだけ戦闘区域から生徒を逃がすつもりでいる。その場合、話を知っている奴がいた方が、ことも運びやすいと思ってな」
「ああ、なるほど。それで俺に話をしたのか」
なんだ、そんなことかとサードは緊張が解けた。
「理事長にも話は通してあるんだが、タイミングが良いのか悪いのか『月食』について把握している人間が今年は特に少ないらしい。日時だけでも特定出来れば、ゆっくり構えていられるんだがな」
どうやら理事長も、今の段階では生徒会(かれら)に月食関係を知らせることはしてないようだ。ということは、つまりロイが持つ首飾りの件は、まだ進んでいないのだろう。
現在の状況を把握するべく、冷静に頭の中で情報を整理し出していたサードは、次に発せられたロイの言葉に飛び上がった。
「それで、スミラギ先生だが」
「は。……え、スミラギ?!」
「そうだ。理事長とは別に、保険を担当している『スミラギ』だ」
つい、いつものよにう呼び捨てで口にしてしまったら、ロイが強い眼差しで確認するように名前を繰り返してきた。
なんで彼の口からその名前が、とサードは動揺した。自分と一緒に潜伏している相手であるし、さすがに慎重派な理事長が明かすとは考えにくい。
すると、自分を落ち着けている暇もなく、ロイが実に不思議そうな顔でこう追い打ちを掛けてきた。
「変だな。理事長から『赤い悪魔』について知る者同士だと、そう気付いて仲が良くなったと聞いているが――」
「ああああの確かに『月食』の歴史を知る者同士だけど、俺とスミラギは、それ以降その話題もしてないし、まさか今年がそうだと分かっていたらもっと話もしただろうけど、そんなことも一切ないからっ!」
そういうことは、前もって俺に教えていてくれないかな理事長!?
ここはひとまず、形だけでも協力を申し出た方がいいのだろう。慌て過ぎて言葉が上手く組み立てられず、言い方もなんだかむちゃくちゃになってしまった気がして口を閉じる。
すると、レオンたちが視線を交わす中、ロイが「ふうん」と目を細めてきた。思案するような眼差しは冷ややかで、サードは訳も分からず背筋が寒くなるのを感じた。自分はきっとヘマは踏んでいない、はず……と自信なくそう思った。
「――なるほど。分かった。理事長も考えると言ってくださったから、その日が来たらお前にも頑張ってもらおう」
「えぇと、生徒の安全が第一だからな。それなら出来るだけ協力しよう。うん」
サードは、どうにかそう返すことしか出来なかった。事情は理事長が把握しているはずだから、何かあれば彼の方から知らせを寄越すだろう。それまで、行動は控えめにしていた方が無難そうだ。
ひとまず、ここは、とっとと逃げ出すに限る。
サードは、退出すべく立ち上がった。すると、レオンやユーリス、エミルやソーマは無害な顔でなりいきを見守る中、ロイが意地の悪い笑みを浮かべて「そういえばお前」と声を掛けてきた。
「父親は好きか?」
「は……?」
「入学早々、全校生徒と教員の前で、尊敬していると言っていただろう」
サードは、一年前に『例の原稿』を読み上げた日のことを思い返した。実は演説の途中、散々からかいもしたトム・サリファンの気難しい仏頂面が脳裏に浮かんで、この原稿に書かれているの一体誰だよ別人だろ、と妙な笑いが込み上げそうにもなったものである。
とはいえ、黒歴史であるには変わりない。笑えたのは、あの途中にあった褒めたたえる文章部分だけでで、その前後はずっと死にそうな気分だった。
そして、ここでもスムーズに対応しなければならないのだ。これ、新手の嫌がらせじゃね、と思いながら、サードは引き攣り顔でロイに「その通りだ」と答えた。
「俺はトム――おっほんッ。父さんが誇らしいし、多くのことを教えてくれて、か、感謝して尊敬もしている」
どうにかそう言い切った後、「じゃッ」と言って逃げるように生徒会室を後にした。
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