8話 三章 理事長からの新業務(1)

 あの紅茶休憩があってから、三日が経った。


 それから数日ずっと、おかしい――とサードは頭を悩ませていた。あれから三日間、生徒会メンバーと高い確率で遭遇するうえ、絡まれるという事態が続いていた。放っておいて欲しいのに、何故か必要以上に話題を振られたりするのだ。


 おかげで、生徒会の崇拝者たちから届けられる、文句の綴られた意見書が倍に増えた。校内を歩けば、嫉妬と嫌悪の眼差しが五割増しで突き刺さる。


 サードは風紀委員長という設定を守るため、普段から口数も減らしていた。しかし、そのせいでもう黙っていられないほどストレスが溜まっていた。


「こぼれる溜息も美しさがかかってしまうらしいな。最近ラブレターが増えて困る」

「お前の頭ん中腐ってんじゃねぇの」

「困ったことに夜の誘いも増えている。個人的な時間も作れない身だと、一人ずつに返事をする暇もない」

「黙れ変態野郎」


 サードは今、全校集会の定期報告のため、舞台袖口の席に控えていた。普段であれば生徒会と風紀委員会の席は離れているはずなのに、顔も知らない運営委員の一学年生に「会長と委員長はこちらへ」と、隣同士の席に案内されたのだ。


 舞台では、集まった全校生徒に向かって、理事長が五月の抱負について語っていた。その横顔を眺めながらロイが思いつくままに口を開いている状況に、サードの堪忍袋の緒はそろそろ切れそうだった。


「お前さっきからずっと喋ってるけど、理事長の話は聞いてんのか?」

「今日はショートケーキがあるから、『業務休業』の後にでも生徒会室に来い」

「俺の話も聞いてねぇな?! くっそ、もうお前は口を閉じてろ!」


 サードは文句を言って、堪らず両手で顔を覆った。ここ数日間すっかりペースが乱され、風紀委員長としての設定が時々崩壊しているような自覚もあった。


 三日前、生徒会室に連れ込まれた際に聞いた『業務休憩』については、午後に風紀委員会室にも、理事長が提案を承認して決定された、と正式な知らせが届いた。


 健康促進を目的とした新たな業務指令は、生徒会と風紀委員会はそれぞれ昼食休憩の後と、放課後の活動前に『業務休憩』を設けるというものだった。ちなみに業務休憩時には、理事長側から菓子が届けられる仕組みになっている。


 一日に二回ある業務休憩は、それぞれ一時間と定められていた。


 その間は仕事をしてはいけない、という強制的な休息指示に、少ない人数でどうにか回していた風紀委員会は頭を抱えてもいた。業務の進め方を見直したり調整したりしているが、ずっと全員残業という厳しさを味わっているところだ。


 例の『月食』まで日が迫っているというのに、その二回休憩という馬鹿らしい新業務のおかげで、サードは仕事の調整に追われて休む暇もなかった。風紀委員会の現状を、理事長は把握しているはずなので「生徒会の意見を勝手に採用するなよ……ッ」と文句を言いたくてたまらない。


 悶々と頭を悩ましていると、浅く息を吐くような笑いが聞こえてきた。顔を上げて隣に目を向けてみると、どこか楽しそうに肩を震わせているロイがいた。


「お前、そんな顔をするんだな」

「…………」


 どういう意味だ、コラ。


 その時、舞台から「続いて生徒会長の挨拶です」と司会の声が掛かって、ロイが涼しげな顔で席を立っていった。


 ロイと入れ違うようにして、理事長が舞台を降りてやってきた。通り過ぎる直前、こちらを見て足を止める。何か知らせでもあるのだろうかとサードは構えたが、理事長はしばらく無表情で口も開かなかった。


 理事長が用件もなく立ち止まることがないのは、ここ一年と少しの付き合いで分かっている。首を傾げたサードは、自分の方から尋ねてみることにした。


「なんでしょうか、理事長?」

「新しく始めた『業務休憩』は、業務の一つとして取り入れている。昼食休憩後の『昼休憩』、授業後の『午後休憩』共に、きちんと日報にも記す義務が発生することは、理解できていると思うが」

「はぁ。日報にも記しましたが、何か不備でも――」

「以前から指摘しているが、あれは業務記録であって日報にはならない。お前は引き続き職務報告書を担当し、日報に関しては、日記形式で構わないと副委員長に伝えて、今日からすぐ彼に実行させなさい」


 日報は、業務終了後、理事長室のポストに投函しなければならないものである。難しいものではないのことを考えながら、サードは「了解です」と答えた。



 全校集会で活動定期報告を済ませた後、サードは早速リューに話した。

 少し負担を増やしてしまうことに申し訳なさを覚えながら、日報は副委員長の仕事になったと説明すると、リューはこちらの予想を裏切るような笑顔で「任せて下さい!」と瞳を輝かせた。


               ※※※


 その数時間後、昼食休憩が終わったあと。


 本日一回目の『昼休憩』の業務休憩を遂行するべく、あまり広くもない風紀委員会室に、全二十八名の風紀部員が集まった。業務休憩の開始時刻ぴったりに、理事長室担当の一人の守衛が『休憩用の差し入れ』を持ってやってきた。


 衛兵は片手に大荷物を抱えたまま、まずは室内に全員揃っているのかを人数で確認した。それから、菓子の入った大箱を「落とさないように一人一個ずつ持て」と、愛想がない割に丁寧に指導し手渡し始める。


 一番はじめに菓子箱を受け取ったのは、リューだった。彼に続いて、他の部員たちが残りの菓子箱を順に受け取り出す。


「委員長、今日はチーズケーキみたいですよ。あと、それに合う紅茶も来てます」


 リューが、歩きながら器用に箱の中身を確認してそう言った。彼は応接用テーブルに菓子箱を置くと、中身を見せるように箱を開いて見せた。ケーキの大箱を受け取った他の部員たちも、次々にテーブルへ箱を並べ置いて広げ始める。


 守衛が立ち去った後、しばし一同はテーブルに並んだ大量のケーキを眺めた。二十八人分のケーキでテーブルが埋まる光景は、物珍しくもあり圧巻でもある。


「うわぁ、理事長も凝ってんなぁ……ホールじゃないところがすげぇ」

「なにコレ」

「何って、見ての通りチーズケーキっすよ、委員長」

「口が滑った。あれだろ、『チーズケーキ』だろ。うん、知ってた」

「俺ら大人数なのに、きっちり皆分あるところがすごいですよね……」

「俺ら役職持ちでもない平部員だけど、こんな良待遇でいいんすかね」

「いいんじゃね? ケーキ食って珈琲とか紅茶飲んで、一時間は仕事するなっていうのが今回の理事長の命令なんだし」


 風紀委員長、風紀副委員長を含めて全二十八人の少年たちが、同じ部屋で飲み食いするためは椅子が足りない。初めて業務休憩が行われた際、サードが床に座ったのをきっかけに円陣をかくように胡坐をかいて食するスタイルが出来ていた。


 紙皿にケーキを移し、それぞれが使い捨てのフォークを持って、床に腰を降ろした。紅茶の用意に関しては、経験があるリューが淹れ、全員に飲み物が行きわたったところで、誰が合図をした訳でもなく自然と飲食が始まった。


 男たちが脈絡のない話題で盛り上がる中、サードは冷静を装いつつも、――実のところ、初めて見るチーズケーキの前に緊張していた。


 屋敷で見たケーキと、見た目や色や匂いも全然違っている。顔に出すまいと務めながら、まずは一口食べてみた。


 口に入れた途端、サードは数秒ほど動くことを忘れた。初めて食べたチーズケーキは、予想を超える柔らかさを持った美味いケーキだった。二口目、三口目は更に美味しく感じられ、しばし堪能しつつ集中して食べ進めていた。


 そこで、ふと視線を感じて手を止めた。なんだと思って怪訝な表情を向けてみると、いつの間にかリューと部員たちが全員揃ってこちらを見ていた。


「……なんだよ?」


 ぶつきらぼうに問うと、リューが頬をかいた。


「……前々から薄々思っていたんですけど、委員長って、なんか……意外と結構分かりやすいですよね」

「あ? 何がだよ」

「こうして見ると、委員長もやっぱり年下なんだなぁって思うわ」

「次もまた新しいお菓子とかケーキが来るといいっすね、委員長」

「俺、まだ一学年のペーペーだけど、これからも委員長の為に頑張りますッ」

「だから、何が?」


 業務休憩中は、風紀委員室から出られない決まりだ。残った暇な時間を、部員達は休み時間のようにして、トランプゲームやチェスをやったり、雑談に花を咲かせたりと楽しく自由に過ごしていた。


 もっぱらサードは、ソファに横になって仮眠を取るのが日課になっていた。夜にぐっすり眠れないこともあって、短い時間でぐっすりと眠ってしまったりした。


 そうやって一時間の業務休憩を終えると、部員たちは部屋を出て行った。残ったリューが、日報の半分を仕上げるべくペンを走らせ始める。


「そういえば、委員長。放課後は午前に見回りに入っていた部員の一部に、書類の仕分けをさせようと思ってます」


 書類業務に戻っていたサードは、その声を聞くと「おぅ」と答えた。


「次の定期報告会まで時間があるから、ゆっくりでいいぞ」

「ゆっくりはしていられないですよ。その前には、新入生歓迎会がありますから」

「あ~、あれか……」


 あれは、ろくでもないイベントだったような気がする。博士、騎士、魔術師と所属に分かれて競い合うものだったが、競技内容が異色過ぎて理解が難しいうえ、いたるところで喧嘩が起こり怪我人も続出した行事だったと覚えている。


 たとえばリレーと騎馬戦だと、騎士グループが魔女に扮した女装をし、博士グループが騎士の恰好をして持ち慣れない重い剣を背中に背負い、魔術師グループが視界の悪い擦り傷入り眼鏡をかけ老人博士に扮したりした。


 サードは未だ、学生たちが盛り上がるその扮装の重要性については、一体どういう意味があるものなのか理解出来ないでいる。


「委員長は、風紀の後始末でメイン・イベントには参加しなかったから分からないと思うんですけど、一学年生がメインになるイベントがあるんですよ。去年は鬼ごっこだったんですけど、三位までの入賞者は、生徒会員を指名してご褒美がもらえると盛り上がっていましたよ。優勝者はキス、二位は抱擁、三位はホッペにチュー」


 なんだ、それ。全然嬉しくない褒美メニューなんだが?


 サードは一瞬、自分の耳がおかしくなったのだろうか、と叩いてしまった。それから、やっぱり表情に困惑を隠せないまま、リューへと顔を向ける。


「…………男同士、だよな?」

「それがどうかしましたか?」

「いや、なんでもない」


 この学園の常識はおかしい。そう思って、顔をそらして会話を切り上げた。


 思い返せば、業務休憩が開始されてから一人になる時間が減っているせいで、スミラギに会えていない。そろそろ薬の時間でもあるし、飲みがてらちょっと出歩いてくるかと決めて「よし」と声を出して立った。


「ちょっと見回りに行ってくる」

「了解です。お気を付けて」


 リューの返答を背に、サードは風紀委員室を出た。


 廊下には、相変わらず人の姿はなかった。胸元に入れている薬ケースを取り出し、最近は深夜になると酷い乾きと共に発作を起こす身体をぼんやりと思いながら――『悪魔の血の丸薬』を口に放り込んで、ガリッと噛み砕いた。

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