第30話 まさかのキャッチコピー

 大手芸能事務所の山中プロダクションからオファーを受けた翌日、五十嵐は複雑な心を抱えたまま郵便局へ出掛けて行った。


(さすがに芸能の仕事をしながら郵便局の仕事を続けるのは無理だろうな。残念だが、今日辞めることを伝えよう)


 やがて郵便局に着くと、五十嵐はすぐさま班長の戸田の席へ向かった。


「班長、突然ですが俺、来週いっぱいでここを辞めます」


「ん? 理由はなんだ?」


「一身上の都合です」


「一身上の都合ねえ。まさか、動画の収入だけで食べていけるようになったからじゃないだろうな?」


「正直それも少しありますが、それだけではありません。まあ、いずれ班長にも分かる時が来ますよ」


 そう言うと、五十嵐は畑中の元へ向かった。


「一身上の都合で来週いっぱいで辞めることになった。君には動画のことで大変世話になったな。この恩は一生忘れないよ」


「確かに動画の提案をしたのは僕ですが、元々五十嵐さんに才能があったから、今のような大成功を収めたんですよ。このまま突っ走って、チャンネル名である中年の星としていつまでも輝き続けてください」


「ああ。そうなるよう、頑張るよ」


 五十嵐はその後、課長の元を訪れ、来週いっぱいで辞めることを正式に告げた。





 山中社長との面談を目前に控えた日曜日の昼下がり、五十嵐はそれに備えてシミュレーションをしていた。


(社長は間違いなく、動画投稿を始めた経緯を訊いてくる。その時は正直に、同僚に勧められたからと答えるべきだろう。でも、もしも途中で動画の内容を変えたことを訊いてきた場合に同僚に勧められたからと答えれば、他力本願な奴だと思われるに違いない。それだけは絶対に避けないと……でも、一体どう言えばいいんだ?)


 五十嵐は散々悩んだ挙句、一つの答えを導き出した。


(『今まで経験した職業のエピソードを語った動画である程度登録者を増やしてから、お悩み相談に移行しようと最初から考えていたからです』と答えればいいんじゃないか? これなら自然だし、きっと社長も変に思わないだろう。よし、とりあえずこれでいこう)


 ようやく答えが決まると、五十嵐は急いで山中社長との待ち合わせ場所であるカフェに出掛けて行った。

 やがてカフェに着くと、五十嵐はすぐさま店内を見回したが、山中の姿はどこにもなかった。


(よかった。雇われる身の俺の方が遅かったら、シャレにならないからな)


 五十嵐は、後で連れが一人来ると店員に伝え、山中が現れたらすぐに自らのテーブルに誘導できるよう、入口を凝視した。

 すると、入口付近のトイレから出てきた中年男性が目に入り、彼の精悍せいかんな顔を見た瞬間、五十嵐は息をのんだ。


(げっ! 社長、もう来てたのか! てっきり、まだだと思ってたのに……ええいっ、こうなったらもう行くしかない)


 そう覚悟を決めた五十嵐は、席を立って山中のテーブルに近づいて行った。


「初めまして、五十嵐幸助です。本来は私の方が先に来ていないといけないのに、出掛ける前にちょっと考え事をしていて遅くなってしまいました」


 立ったまま挨拶をする五十嵐に、山中も席を立って「いえいえ。会いたいと言ったのは私の方なので、私が先に来るのは当然ですよ」と恐縮した様子で返した。


「そう言っていただけると、私も肩の荷が下ります。あっ、向こうのテーブルに水を置いているので、今から取ってきますね」


 五十嵐は店員に席を移ることを伝え、コップを持って山中のテーブルへ移動した。


「五十嵐さん、注文は何になさいますか?」


「えっと、ではコーヒーで」


「分かりました」


 山中は店員に「コーヒー二つ」と告げると、五十嵐の方へ向き直り「改めまして。私、こういう者です」と言いながら、自らの名刺を差し出した。


 五十嵐はそれを受け取りながら、「恐れ入ります。で、いきなりですが、DMに書かれていたことは社長の本心なのでしょうか?」と、訊ねた。


「もちろんです。五十嵐さんは46歳という年齢にも拘わらず、始めてわずか三か月で動画の登録者が百万人を超えるという偉業を達成されました。これを一般人でやれるのは、ほぼ奇跡と言っても過言ではありません。DMにも書きましたが、五十嵐さんはネタ選択のセンス、話術、ユーモアのどれをとっても一流です。今後レッスンなどする必要もなく、このまますぐにタレント活動できる程の逸材だと思っています」


「いやあ、そんなに褒められると、なんか照れますね。私のような素人が、本当にテレビで活躍できるのでしょうか?」


「ええ。それは私が太鼓判を押します。具体的なビジョンも見えてますしね」


「と申しますと?」


「五十嵐さんにはまず、小川という我が事務所きっての敏腕マネージャーを付けます。彼女は営業力が非常に優れているので、五十嵐さんはすぐにでも何かしらの番組に出演することになるでしょう。そこで思う存分才能を発揮すれば、その後次々とオファーが来るようになります。あとはそれの繰り返しですね」


「なるほど。でも逆に言えば、そこでやらかしてしまった場合は、その後私にオファーが来ることはないんでしょうね」


「そうとは限りません。たとえやらかしてしまっても、その内容次第ではまだチャンスはあります」


「内容次第とは?」


「例えば収録中に何も喋れなかったとなると、その後の展望は厳しいと言わざるを得えませんが、発言がスベッたとかだと全然大丈夫です」


「ということは、多少スベッてもいいから、どんどん発言していけばいいんですね?」


「そういうことです。さすが飲み込みが早いですね」


「いえいえ。他にも、テレビ出演に際して気を付けることはありますか?」


「もちろんありますが、それはおいおい説明していきます。それより契約書を持って来たので、ちょっと目を通してもらえますか?」


 そう言うと、山中はカバンから書類を取り出し、五十嵐に渡した。

 五十嵐はそれにざっと目を通すと、「ここにハンコを押せばいいんですね?」と訊ねながら、用意していた認印をポケットから出し、自らの名前の横に押印した。


「ありがとうございます。これで今日から五十嵐さんは我が事務所所属のタレントとなりました。詳細等は明日事務所で話すとして、最後に五十嵐さんのキャッチコピーを発表します」


「キャッチコピー?」


「ええ。最近はあまり付ける人はいませんが、五十嵐さんは異色のタレントとして売り出そうと思ってるので、敢えて付けました」


「そうですか。で、どんな文句なんですか?」


「『自称日本一面白いタレント』です」


「…………」


 山中の発したまさかの言葉に、五十嵐は口をあんぐりと開けたまま、彼の顔をじっと見つめていた。

 

 



 

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