第8話 ネガティブ思考の呪い

 それは私が高校2年生の時。それまでも、恋はしたことがあったけれど、どれも片思いばかり、気持ちを伝えたことすらなかった。ドラマやマンガを見て、恋人というワードに憧れはあったが、そんな気配など全くない高校生活を送っていた。


 その日、図書委員で放課後にミーティングがあった為、帰りが遅くなり、電車で通学していた私は、人の少ない駅のホームで音楽を聴きながら、心地よい風と音楽を楽しんでいた。


 ふと気がつくと、駅の階段をかけあがり、こっちに向かってくる男の子の姿が目にはいった。彼は、男子バレー部のキャプテンの橋本先輩。なかなかのルックスと文武両道の彼にご執心の女の子は少なくなかった。


 試合の時は、別の学校の女の子から声をかけられたり、顧問の柳先生との噂まででていたほどだ。


 なんの接点もない私は、静かにイヤホンをつけたまま音楽に集中していた。すると突然、目の前に橋本先輩がきて、口をパクパクしている。急いでイヤホンをはずすし、目を丸くする私。


「なに聴いてるの?たまに駅で会うよね。2年生?」


「は、はい。2年生です」


 これが橋本先輩と交わした初めての言葉だったと思う。好きな音楽が同じだったこともあり、その場で意気投合。お互い乗る予定だった電車を一本見送り、ふたりで楽しい時間を過ごした。その後、連絡先を交換し、メールをしたり、駅でふたりで会えば、遅くまで話しこんだ。私は他の女の子と同じように頬を赤らめ、当たり前のように橋本先輩に恋をした。


 それから仲良くなって1か月程たった頃だろうか、いつものように届いたメールに手が震えた。


―睦ちゃん。そろそろ俺たち付き合わない?


―私なんかでよければ、よろしくお願いします。


 人生の中で告白されるなんて初めてだった私は、わかりやすく有頂天になった。いつも通学する道のりすら輝いて見える。耳にはいるラブソングがどれも私達のことを歌っているみたいに感じた。


 そして、ふたりの中でひとつだけ約束をしたことがある。学校では話さないこと。他の女の子の視線が怖かったし、ふたりの関係を守るにはそれが最善だろうと思い、決めたのだ。ふたりの秘密、そして駅で過ごす愛しい時間。思い出が増えてゆくほど、私は先輩のことが好きになっていった。


 そんなある日、先輩にゆっくり話したいと言われ、初めて自宅に誘われた。もちろん一度は断ったけど、彼女なんだから遠慮しなくていいよという言葉が嬉しくて、行くことを決めた。


「こんにちわ。お邪魔します」


 夕方18時。水をうったように静かな家。恥ずかしい程、私の声だけが響いた。


「気にしなくていいよ。今親もいないし、ふたりっきりだから」


 そういうと彼は部屋の扉をゆっくりとしめた。


「睦ちゃん、彼氏の家にくるの初めて?」


 小さく頷く私を壁側に押しつけると、先輩はいやらしいその唇で私の初めてのキスを奪った。なんとなく予感はしていたけど、何かが違う。でも比較できる経験もない私は、初めてとはこういうものだと我慢するしかなかった。


 先輩が突然知らない大人の男の人に見えて、身がすくんだ。制服から見える、手足すら隠してしまいたくなるほど。それでも思春期の青い好奇心と隠せない欲情はとまらなかった。


「大丈夫だから。俺にまかせて」


 先輩は私の制服のリボンをゆっくりとほどき、スカートのホックをはずし、慣れた手つきで、私に触れる。気持ちとはうらはらに、熱くなる体は止められず、こうして意図も簡単に、私の初めてのキスとバージンは失われたのだ。


 その夜、私は涙がとまらなかった。痛みを代償に、喜びと快楽と幸せの時間を手にしたはずなのに。まるで知らない誰かとセックスをしてしまったかのような感覚だった。そして、その予感は的中してしまうのだ。


 その次の日から先輩にメールを送っても返事はなかった。駅で会う時間になっても姿をあらわすこともない。そんな日々が一週間続いた。さすがに不安と怒りの気持ちを抑えられなくなった私は、勇気をだして先輩の教室に向かったのだ。


 教室の入り口まで行くと、ひとりの先輩が薄ら笑いを浮かべて私を横目でみている。それに気づいた橋本先輩は私の存在に気づき、面倒くさそうな顔つきで、こちらに向かい歩いてくる。


「あ~ごめんね。忙しくてさ俺。別の彼女できちゃって。もう終わりってことで」


 それだけ告げると教室に戻ろうとしている。さすがに納得がいかない私は、先輩の手をつかんだ。すると豹変したように冷たい視線で私を見る先輩。


「うざっ。なにおまえ、本気にしてたの?ありえないでしょ。俺とおまえじゃ」


 私達のやりとりを見ながら、指をさして笑う人達もこっちに近づいてきた。


「だから言っただろうが。まじめすぎるのを相手にすると後が厄介だって」


「さすがに最期まで手を出す必要なかったんじゃないの?ただのゲームだったんだからさぁ。一か月でエッチまでいけたの橋本だけだもんな。俺ら完敗だわ」


「ありがとう睦ちゃん。おかげで俺の優勝。美味しかったわぁ~。もう一回俺のこと欲しくなっちゃった?」


「ほら。それ以上言うと泣いちゃうから。もう帰っていいよ。ゲームは終わり」


 そういって笑うアイツらの歪んだ笑顔が今でも脳裏にやきついて離れない。今でもこの場面を夢で見てしまい、うなされることがあるのだ。


 夢の中では続きがある。ナイフを持った私が、先輩達の背中を何回も何回も刺しているのだ。泣き狂いながら、真っ赤に染まってゆく手も顔も体も。そしてそのナイフを自分に向け、切りつけようとした瞬間にいつも目が覚める。


 あの時どうして平手打ちのひとつもできなかったのか。お前ら間違ってるって、罵倒することもできなかったのだろうか。弱虫な自分が許せなくて、どうしようもなかった。それでもなお、楽しかった時間を嘘にするのが怖かったのかもしれない。


 それ以来、好きな人や彼氏ができてもなかなか先には進まない。相手の気持ちや言葉を疑ってばかりで、愛されてる喜びを素直に感じることができない。だから、私は私自身のことが大嫌いなのだ。


―――――――――――――――――――


今回は第8話を読んでいただきありがとうございます。


睦ちゃんのネガティブ思考を理解できる私としては、必ず幸せになってほしいと願うばかりです。

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