第7話 シキの駅

※次話【迎えに】とセットの話。




外出からの帰り。

電車で最寄り駅に降り立った瞬間、目が眩んだ。

「あれ……?」

目に痛いほどの日差し。花が咲き乱れ、あざやかな緑が覆い茂っている。知らない駅のホームだった。理解が追いつかず、僕は立ち尽くしたまま、瞬きをする。外に面したホームは無人だ。暖かくも寒くもなく、心地良い風が吹いている。焦りやら恐怖やらの気持ちが、何故か萎んでいく。僕は何となく、ホームを歩いてみる。ホームの柵の外側から内側へ溢れるように、桜、向日葵、椿、木蓮、梅……四季の草花が全てあり、どれも陽の下で、満開に咲き乱れていた。壁や柵、柱には、蔦が無数に這っている。周りの景色も、森の中みたいな。ビルや家は見えない。でも、線路は確かに走っている。不思議な光景だ。風を吸い込むと、気分が良い。写真を撮りたくなって、スマホを開く。パッと飛び込んで来た日付と時刻表示が、

「0月0日0時0分?」

バグなのか故障なのか、何だろう。そういえば、僕は外出の帰りで、電車に乗った時には日が暮れていたのではなかったか。頭に靄がかかったように思い出せない。僕が目指していた最寄り駅って、どこだっけ。思い出そうとして、自分のことが何も分からないことに気付く。名前も、年齢も、住所も。これはまずいのでは、と思うのと同時に、この駅に居れば何も心配いらないという妙な自信もあって、結局考えるのを止めた。無人のホームをまた歩く。こんなに不思議な景色ながら、ちゃんとホームだったみたいで、直ぐに端へ着いた。柵の向こう、線路の両脇から木々が伸び、さながら緑のトンネルのようになっている先を見た。木漏れ日が注ぐ緑が、どこまでも続いている。時折さあっと、風が葉を揺らす。静かな駅にその音だけが響く。見ている内、何故か泣きたくなった。とても気分が良い。心が落ち着く。だけどそう感じれば感じるほど、どうしようもなく、此処にいてはいけない気がしてきたから。

「お客さん」

静かな声。僕は驚いて、振り向いた。駅員さんが一人、立っている。日差しを受けたその足下に、影は無い。

「切符をお持ちですね。片道切符なら、拝見しますので、駅を出ることが出来ますよ」

「え……」

切符。そんなものあっただろうか。ポケットを探ると、紙が触れる。取り出すと、それは確かに切符の形をしていた。いつの間に。記号のような文字が並んでいる。じっと見ていると、段々文字が読めてきた。日付と駅の文字が分かる。駅名はーー

「ーー読むな。帰れなくなる」

横から伸びた手が、サッと僕の手から切符を取り上げた。駅員さんじゃない。聞き覚えのある声だ。見上げると、朱い大きな金魚が、陽に照らされ揺れている。否、泳いでいる。生きているみたいだ。

「あなたは、」

「戻って来い、盾護旭たてもりあさひ

ポン、と手で頭を撫でるように押された。この手を、僕は知っている。手の先を見た。青い髪に無精髭、黒地に桜吹雪が舞う柄シャツに、左耳にのみ揺れる大きな金魚のピアス。凶悪な眼光。

「……弥命みこと叔父さん」

呟いた瞬間、全て思い出した。僕自身のことも、叔父さんのことも、叔父さんの金魚のことも。今まで何をしていたのかも、全て。思い出したと同時に、強い目眩に襲われ、視界が回る。叔父さんに腕を掴まれて、何とか踏ん張った。

「帰りの切符だ。電車はもう来てる」

叔父さんに握らせられたのは、最寄り駅の名前が入った普通の切符だった。振り向くと、見慣れた色の電車が止まっている。ドアが開いた。風が吹いて、前髪が揺れる。駅員さんを振り向くと、穏やかな顔で微笑んでいた。

「あなたのような方なら。いつでも歓迎いたしますよ。この先も」

怖いことを言われている訳じゃないのに、ゾクリとした。固まっていると、叔父さんに肩を押され、車内に押し込まれる。車内は無人だ。叔父さんも駅員さんを見ながら、乗って来た。

「この場所は面白くて惜しいが、この子にゃまだ早い」

駅員さんは答えず、にこりと笑った。ドアが閉まる。ガタン、と揺れて電車は動き出した。窓の向こう、夢のように穏やかな景色が、あっという間に過ぎ去って行く。胸が少し痛んだ。あの駅は何だったのか。叔父さんは何故いるのか。片道切符って。僕は今までーー

「叔父さん」

傍らにいる叔父さんを見た途端、また目眩に襲われる。視界が、ぐにゃぐにゃした。同時に凄く眠くなる。何で。あっという間に視界が真っ暗になった。


「おい、旭。起きろー。駅に着くぞ」

遠くから叔父さんの声がして、目を開ける。心地良い揺れ。電車の中だ。僕は座席に座って、隣に座っている叔父さんにもたれて寝ていたようだ。周りには、何人か乗客がいた。普通の、いつも乗る電車だ。

「すみません」

混乱しつつ、とりあえず離れる。叔父さんは思い出したように、僕を見た。

「晩飯、あばら家のラーメン食い行くか」

「前、連れて行ってもらったラーメン屋さんですか」

「そ。美味いだろ、あそこのラーメン」

叔父さんは不敵に笑う。何となく、ホッとした。

「ええ、まあ」

窓の向こうは、すっかり暗い。気付くと、最寄り駅のホームに電車が滑り込んでいた。


「あの駅が何だったのか、叔父さんは知ってるんですか?」

ラーメン屋からの帰り道。すっかり深夜だ。少ない街灯の幽かな灯りが、ぽつぽつと燻るように照っている。ぶらぶらと少し先を歩く叔父さんの背に、僕は問いかけてみた。

「詳しくは知らんが、まあ、境界の場所だろ」

「境界」

「ざっくり言えば、生と死の狭間みたいな?」

何故疑問形なのか。叔父さんは楽しげに笑う。

「ほとんどあの世だったかもな。旭、自分のことほとんど思い出せなくなってただろ」

肩越しに、叔父さんが振り向く。金魚が揺れた。

「そう……ですね。叔父さんに名前を言われるまで、忘れてました。それを何とも思ってませんでしたし」

僕が答えると、叔父さんは立ち止まって溜息をつく。

「結構ギリギリだったんだぜ。あの切符の行き先が、あの駅の名前が、完全に読めちまってたら詰んでたよ。まあ、それはそれで面白そうではあるが」

言われて今更ゾッとするけど、面白がらないでほしい。

「僕、あんな切符を手に入れた覚え、無いんですけど」

「電車に乗る前、人助けしただろ」

人助け。それで思い出す。今の今まで忘れていた。

「小さいお爺さんを背負って、駅のホームに連れて行きました。何で知ってるんですか?」

叔父さんは笑うだけで答えない。

「それで、その爺さんに何か言われたな?」

ええと、そう。

「“お前さんのような人間が行ける良い場所がある。そこへ案内してやろう”と。でも、その言葉だけで、切符なんて貰ってません」

「それだな。切符は旭が気付いてなかっただけだ」

「あのお爺さん、人間じゃないんですか」

「さあな。そこまで俺は知らん」

叔父さんは前を向いて、歩き出す。

「叔父さんは何で来れたんですか。帰りの切符も、」

追いながら、つい、質問攻めにしてしまう。ちらりと振り向いた叔父さんは、笑っている。機嫌が良いように見えるのは、何故だろう。

「教えてくれたやつがいたんだ。説明は面倒だから無しな。帰ってこれたんだ。それで良いだろ」

それはまあ、確かに。

「叔父さん」

「ん?まだ質問か」

怠そうに前を向いた後ろ姿へ言った。

「ありがとうございました」

叔父さんはしばらく黙ったけど、不意にまた口を開く。

「あの駅、良い場所だったか?」

そんな問いが来るとは思っていなかった。僕は頷く。

「そうですね。心地良い場所だと思ってます。この世じゃないと知っても」

聞いてきた割に、叔父さんは、ふうん、と気のないような返事を寄越す。

「俺は、あの世に行くことは別に止めないが。行くなら、自分で考え抜いて納得ずくで行け。自分でな。善意の押し付けで知らねえ内に行かされたんじゃ、フェアじゃないだろ。旭にとっては」

その言葉は、不思議な重さを持って僕の胸に沈んだ。錨みたいに。

「俺は、そういうのは好かない」

自分に言い聞かせるみたいに呟くと、叔父さんはまた振り向いて僕を見た。

「あーあ、柄にも無いこと言っちまった。やめだやめ。さっさと帰って寝ようぜ。午前様なんだからよ」

わざわざ少し戻って僕の肩を叩くと、叔父さんはさっきより速足で歩いて行く。僕は、はい、と頷いて後を追った。
















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