第壱章

ようこそ、皇国へ

第壱話

(マズいな、この状況)


 萱野駿之介かやのしゅんのすけの心中はそんな一言で埋め尽くされていた。

 左手にはキャリケース、右手には手描き地図、そして背中にはこちらの裾を掴んで離さない怯えている妹の姿。


ゆず大丈夫か?」


 できるだけ怖がらせないようにと心掛けたが、結局ビックリさせた。意図せずにやったとは言え、やはり些か罪悪感を覚えてしまうもの。

 早く目的地に着いて落ち着かせてやらないと。そう判断した駿之介は足を早める。



 これといった特徴がないのが特徴の少年だ。中肉中背に短い黒髪。顔にも別に特徴がなく、すれ違ったらすぐに忘れられそうな見た目をしている。


 対して妹の方はやや特徴的だ。

 小柄で背も低く、周囲の者の庇護欲を掻き立てるような顔立ち。左目を覆い隠す程の長い前髪に無造作に後ろに束ねた黒のポニーテール。太陽を知らぬ透き通った肌に愛らしいタレ目。しかし常に兄の背後に隠れる程の人見知りであるため、比較的に存在感は薄い方だと言えよう。


 一瞬で見失いそうな程、凡庸な見た目の二人だ。が、そんな彼らを見る人々の視線には『厭憎』なものでも見るような侮蔑な色が濃い。町人の中に一人として『洋服姿』の者がいないにせよ、これ程までの憎悪を向けられるのは、流石の駿之介でもギブアップしたいところだ。


(たかが服装が違うだけで睨められるとか、先が思いやられるなぁ。幾分歩きやすくなったのが不幸中の幸いだと言ったところか)


 行くところにスポットライトに追従されるように、町人たちが道を開けるこの現状に素直に喜べず、内心で溜息吐く。もっとも、和装の人波に『洋服』の二人が潜り込んでいたら嫌でも目立つだろう。

 それにしても和装というよりも、和の要素を取り入れた服装と表現した方が正確のような。恐らくこの国の独自のデザインのようなものだろう、とげんなりしながらも結論に辿り着く。

 日本ではない土地で新しい生活が始まる──そんな期待を胸いっぱいに膨らませたら実際はその真逆で何度幻滅したことか。


(これじゃあ、異国の日本にタイムスリップしたみたいじゃねえか)


 不満を吐くわけにもいかず、また内心で溜息一つ。そもそも、『異国の日本』という言葉自体がおかしいったらありゃあしない。

 ここが開国前の日本だと思っておけば、気持ちも楽になれるだろうか。早速こんな外国人に優しくない国に引っ越してきた自分の運命を呪いたくなったが、今となっては詮無いことだ。


(そもそも先方も酷い人だ)


 両親は事故で他界し、兄妹揃って引き取る親戚がおらず。来る日も来る日も喧嘩三昧の中、唯一名乗りに出たのは遠い親戚の大石漣おおいしれんという人物で。恩義を報いるべく二人は後先考えなしに引っ越しの誘いに乗ったと彼は記憶している。



 豊葦原とよあしはらの宮居内みやいのなかの雲行雨施うんこううしの皇尊之国すめらみことのくに

 通称、皇国は長い歴史を持つ国で街並みも日本と酷似しているため、新生活にもすぐに慣れるはずだから案ずることはあるまい。

 と、手紙の中で大石がそう書いてあったが。怯えている柚を見て、実は引っ越させるための口実ではないかという疑念を抱かざるを得なくなった。

 おまけに出迎えもなければ、案内は同封された簡易的な手描き地図一枚だけとは。


「せめて出迎えの一人くらい寄越して欲しいもんだ」

 

 それに降ろされた場所は港でも船着き場でもない。入り江だ。しかも行き着く先は森という。この時点で怪しむべきところを駿之介は『きっと何か事情があるだろう』とあまり深く考えなかったのがまさかブーメランのように返ってくるとは。


(まさかここに来て平和ボケの日本の弊害を実感する日が来るとは)


 







※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 







 幾度もなく内心で嘆息しながらも向かっていると、目的地へと通ずる路地裏の入口に辿り着いた。


「ここだよな……?」


 地図から顔を上げ、二軒の店の間に挟まった石畳の路地を凝視している駿之介の様子は若干変質者のそれと似ってしまうのは一旦さておくとして。二回もメモと往復した黒眼に不安の色がますます増していく。


「本当にここで合ってるよな……?」


 再三確認しても記された店名と一致した。『今田生花店と成田鍵屋の間に挟んだ路地を歩くと、学生寮『月華荘』に辿り着く』とご丁寧に小さなイラストまで描いてあったから多分間違ってはいない。が、ここが住宅街ならまだしも、どう見ても商店街の類だ。とても学生寮に繋がるような場所だとは思えない。

 仕方ない、もし迷子になったら先方に連絡して案内してもらうしか――。


「そういや、連絡先なかったな」


 隅々チェックしてもやはりなかった。なんということだ、と頭を抱えたくなるがビビっている妹の前ではそういう素振りを見せちゃあいけない。

 最早こちらへの配慮が足りないとか、そういう問題ではなくなった。もし本当に迷子になったらどこに尋ねたらいいんだ。どこに行っても睨まれる異国人の彼らは。


「いや待て。そもそも電話がないのでは……?」


 ふと、閃いた推測に納得がいった。

 もしその通りであれば、この国の文明は現代日本に何百年も遅れることになる。そうなると科学の文明やらネット環境やらとおさらばだ。一番想像もしたくない最悪な問題にはなるが。

 仕方がない、こうなったら当たって砕けろの精神で突撃した方がマシだ。


「柚、あともう少しの辛抱だからな」


 妹の頭を撫でると、こくこくと頷くばかりで見るに堪えない。これ以上怖い思いをさせないためにも彼は細い路地に踏み入れることにした。



 奥に進むにつれ、喧騒と離れていく。独特の静謐な空気に心惹かれる間に、ずっと束縛されたものがふと解かれた。「大丈夫になったのか柚」と共に振り向くと、こくと頷き返される。


「うん、あの視線がなくなったからね。あ、駿兄しゅんにいの服が……」


 伸びた裾を見つめ、しょんぼりする柚。そんな彼女に彼は「なーに気にするな」と笑ってみせた。


「むしろ、これぐらいで柚の心の平穏が保たれるのなら安いもんだ」


「駿兄、カッコいい……」


「よせやい照れるだろうが。それよりも、もうすぐお待ちかねの大石漣さんとのご対面だ。しょんぼりとした顔のままでどうする」


「あっ、そうだ。未来のカッコいい姉御になるかもしれない人だった」


「……言っとくが、お前の『カッコいい姉御落とす作戦』には乗らないからな?」


「ええー、そんなあ!」


 妹に泣きつかれたのが不本意ではあるが、こればかりは男の威信を掛ける戦いだ。引き下がるわけにはいかない。

 柚曰く、苗字を含め、名前が三文字の人間は大体『カッコいい人』というジンクスがあるとのこと。その法則で行けば自分もカッコいい人に分類されるでは、と初めて聞いた時は不思議に思ったが、水を差したくないのでスルーした。

 それで至高のカッコいい姉御を探していた柚ではあるが、手紙が届いて筆者の名を知った時は、本人はメチャクチャ興奮したという。


「かわいいかわいい妹の頼みを聞いてくれよ駿兄い! あたしの『大好きな二人のデートにこっそり後を付く夢』と『大好きな二人がベッドでインするところを観葉植物になって観察する夢』を叶えるためにも一肌と言わず、二肌三肌脱いでくれよぉ!!」


「嫌だよ! 自分ができないからって俺にやらせろってか! おかしいだろうが! 大体告ったところで玉砕されて一生のトラウマになるに決まってる。そんな傷心した俺を一体誰が癒すって言うんだ!!」


「フッ、その時はこの妹様がダメ駿兄を養ってやるぜ……」


「ッ……! 柚お前……!」


「フフフ、当然さ。あたしの夢を実現するために全てを捧げた駿兄のことだ。ちゃんと責任を持って養ってやんよ。何せ家族はあたし達二人しかいないんだからね……それくらい、安いってもんよ……」


「それまでして俺のことを……」


「えへへ、大好きだよ駿兄」


「ああ、俺もだ。妹よ!」


 先程の喧嘩はどこへやら、ひしっと抱擁を交わす兄妹。喧嘩したら即仲直りのハグ――それは萱野兄妹二人だけの仲直りの方法でもあり、同時に愛情の印でもある。

 暫く進むともうすぐ終点に着くと思ったその時――夕映えの光が瞳を焼き、二人は顔を顰め閉目。そして次に瞼を開けると、


「キレイ……」


「ああ……」


 まるで映画のワンシーンに出てくるような、計算され尽くした和の美が眼前に広がっていた。

 崖の上に佇む、和風旅館を彷彿とさせる二階建ての木造建築。石畳の道を辿る視線は、掛行灯に灯された門口に誘われる。

 「えらい和風やなー」という感想がぼんやりと駿之介の脳裏を掠めた――その時。


月華荘げっかそう


「え?」


「ほら、あの看板に書いてた」


「あ、本当だ」


 『月華荘』の筆文字看板が視界に入った途端に、初めて存在に気付いた。それ程までに、心を奪われたのだろう。


「でもほら、月華荘つきはなそうとも読めるんじゃない?」


「言われてみれば、確かに」


「でもって月華荘つきはなそうが俺らを『突き放そう』……な、なーんつって」


 次の瞬間、温かみを運んでいた海風が途端に冷たくなった。それと相まって、向けられた愛妹の視線も二重意味で冷たかった。


「こんなタイミングでダジャレやるの、駿兄」


「いやごめん……」


「それとあたし達はこれからここでお世話になるのに、物騒なこと言うの止めてね。不謹慎だよ」


「いや、ほんの出来心というか……。うん、ごめん」


「あと愛しの漣さんの前でも急にダジャレ言うの、止めてよね。オッサン臭いから」


「……すまん」

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