第八話 出陣!

 ——俺、鬼退治に行く……


 そう桃太郎が言って五日経つ。

 熊一もヨネも厳しく反対し、そして引き留めた。

 わが子を鬼の待つ死地へ送り出すなど、二人に出来ようはずもなかった。


 あれから熊一は、沢に出掛けては、ウナギやスッポン、マムシを獲っていた。

 その場で捌いて、天日に晒す。

 黙々と手元を動かす。

 そして雲取山を見上げ、ため息を吐いた。


 あれからヨネは、着物を打ち直していた。

 若い頃に着ていた、桜のあしらわれた紅い着物。

 大半の着物は処分していたが、娘ができた時にと、これだけは手放せずにいた。

 針を走らせ、走らせ……、そしてため息を吐いた。


 ——俺、鬼退治に行く……

 あの時、桃太郎の瞳に宿った炎……。


 すでに、老夫婦は覚悟を決めていた。


 桃太郎たちは、雲取山の山頂にやって来ていた。

「それで、桃は、どうしたいの?」

 ウサミは聞いた。

「……キヨを助けたい。でも、じいちゃんとばあちゃんを悲しませたくない」

「お主、どちらつかずでは大望は果たせんぞ」

 肩を落とす桃太郎に、蟹の鋏之助が口を挟む。

「爺さんたちを説き伏せるしかないやろ」

 ぶっきらぼうにエテ吉は言った。

「あら、エテ吉ちゃんは、鬼退治どうするの?」

 悪戯っぽくエテ吉を覗き込む、ウサミ。

「ウサミさん、エテ吉は臆病ですからついて来ませんよ。ボクは喜んでついていきますけどね」

「忠犬か!」


 ——何かあった時、お前が、諸事、執り行え……


 師匠、弁慶の訓示であった。

 その言葉がエテ吉の耳に残っているうちに、とんでもない事が起こってしまった。

 あの時、はじめて弁慶の元を訪れた時、彼の一笑で雲取山に留まることを腹に決めた。以来、皆と修行に励んだ。

 エテ吉は恩義に感じていた。

「まあ、オレは二人のお目付役としてついていくかな……」

 鋏之助は、二つの鋏(はさみ)をかちかちと合わせながら言った。

「お主、痩せ我慢は身体に毒となろうぞ」

「いや、してへんわ!」

 ウサミは、ぱんぱんと柏手を打った。

「まあ、エテ吉ちゃんの言うとおり、膝を突き合わせてお爺さんたちと話さないとね」

 桃太郎は、嘆息した。

 

 その夜、桃太郎は老夫婦に母屋に呼ばれた。

 二人の神妙な様子に、桃太郎はその正面に正座する。

 その後ろには、シロとエテ吉。

「桃よ……」

 そう切り出した熊一は、ヨネに目配せをする。

 ヨネは、畳んだ着物を桃太郎に差し出した。

「新しい着物か?」

「そうだ。陣羽織に似せて、婆さまが夜なべをして作った代物じゃ」

「じんばおり?」

「男が戦さ場に赴く時に、羽織るのじゃ」

「いくさ……、ひょっとして鬼退治、許してくれるのか?」

 黙って頷く熊一に、堪えきれず涙するヨネ……。

「男子たる者、惚れたおなご一人、守れずしてどうする」

「じいちゃん、ばあちゃん……、俺……」

 三人は、しっかりと抱き合って嗚咽した。

 夫婦は、本当であれば、身を守る甲冑なりを用意してやりたかった。だが、貧しい百姓の身、そんなものに手が届くはずもない。

 かと言って、一人息子をみすぼらしい格好で送り出すのは不憫である。

 きっと今生の別れになるのだ。

 鬼の恐ろしさは、誰もが知るところであった。

 ならばせめて出陣の晴れの日を、心ばかりだが、彩ってやろう。

 そんな親心であった。


 その様を後ろから見ていたエテ吉が言った。

「桃、ええ話ついでに着てみろや」

「見たいです!」

 袖をとおす桃太郎。

 その陣羽織は、過不足なく桃太郎を覆った。

「よっ、桃! 男振りが上がったんちゃうか?」

「紅蓮の櫻みたいで似合ってますよ、桃」

「なんやそれ」

「燃え盛る焔の桜、という意味です」

「……ええな」

 恥ずかしそうに鼻を啜る桃太郎に、熊一は言った。

「桃、今一つ、あるのじゃ」

 ヨネは、隅の箪笥から箱を取り出した。

 それを桃太郎の鼻先で開ける。

 鼻は言うに及ばず、目にも突き刺さるような刺激臭が桃太郎を襲う。

 それは、一見して団子であった。

「桃、よく聞け」

 熊一は切り出した。

「これはなあ、昔から婆さまがわしのために作ってくれている団子じゃ。わしは、これを鬼備団子と名付けようと思う」

「きびだんご?」

「そうじゃ。鬼に備えると書く。これにはマムシやらスッポンやら精のつくものを混ぜておる。人の奥底にある力を呼び覚ます、一粒で十発の秘薬じゃ」

「十発?」

 口を滑らせたことに、熊一は気がついた。

 熊一の「早撃ち」は、実にヨネの内助の功があってこそだったのだ。

「……そ、それは良い。だから、正念場というときにだけ口にせよ」

「分かった」

「それと効用が四半刻(三十分)ほどで切れてしまう。かと言って、一度に二つを口に入れてはならん」

「どうしてだ?」

「何がお前に作用するか分からんからじゃ。脈が切れて死んでしまうかもしれん」

「そうなのか?」

「ああ、だからワシの言いつけを守るんじゃ……」


 *  *  *


 ある昼下がりの離島にて……。


 ——あれは人なのか?

 ——ああ、百年前に京から送られて来た罪人が、いつの間にか青鬼になったんだとよ。

 ——きみが悪いな。

 ——まあな。

 ——元は人間なんて信じられん。不気味なほど青黒いし……、前に暴れた時は、身の丈が朱雀門ほどになったて聞いたぜ。

 ——挙句に、目は剥いていて、鋭い牙が二本、尖った耳がしきりに動いているからな。そう思うのも無理はない。

 ——本当に俺たち獄守に襲いかかって来たりしないよな。ここは八丈島だから逃げ場がないぞ。

 ——案ずるな。しっかり鎖に繋がれておる……。


 まもなく夜明け……。

 青鬼は、人間の血肉を欲していた。

 格子の向こうに獄守が二人、欠伸をして立番をしている。


 ——ニンゲン……。


 鎖を引きちぎり、牢の格子を蹴破る。

 獄守を握りつぶし、その血肉を喉の奥底に、ごくり、ごくりと流し込む。

 久々の人の血肉が、青鬼の臓腑に染み渡る。

 日が昇ってから、青鬼は、牢獄を出た。

 暫くすると、集落に出くわした。

 村人たちが野良仕事に精を出している。


 ——ニンゲン……。


 青鬼は地を蹴って走り出し、手当たり次第に村人を屠る。

 おびただしい血潮が水路を伝って、川をどす黒く染め上げた。

 今度は、港の近くまでやって来た。

 若い娘たちが歌を唄いながら、花を投げて遊んでいる。


 ——オナゴ……。


 青鬼は、泣き叫ぶ娘たちを大きめの船に押し込むと、櫂を掴んで、南海へ漕ぎ出した。


 青鬼は、八丈島を後にした。


 *  *  *


 出陣の朝……。

 闇夜を退けた眩しい朝日が、澄んだ空気を煌びやかに彩る。

 遠くで鳴く鹿の甲高い声が、山間に朝を告げていた。

 小川はせせらぎを奏で、飛び回る小鳥たちが、さえずりながら朝の空を描いている。

 刻は来た——


 陣羽織も凛々しく、桃太郎は離れから出て来た。

 付き従う、犬に猿。

 見送るのは、老夫婦に兎たちと沢蟹たち……。

「じいちゃん、ばあちゃん、俺行ってくる」

 黙って頷く、熊一。

 ヨネは、火打石を取り出して、三人に打つ。

 かちん、かちん、かちん……

 そして、

「桃、必ず生きて……


 ——帰ってくるんだよ……


 そう言い終わらぬヨネは、泣き崩れた。支える熊一。

「あんたたち、二人の面倒はわたしが見るから安心して」

 ウサミが言った。

 頷く、三人。

 そして、振り返ると一歩を踏み出した。

 桃太郎は、太い眉を固く結び、まっすぐを見つめていた。


 ——キヨ、今行くからな!


 桃太郎軍団、いざ鬼ヶ島へ!

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