その手を放してください

紺青

0 プロローグ ~成人の儀式の前日~

 「ルナ!」

 呼び止める声に振り返ると、腕を掴まれる。


 「いよいよ、明日、成人だな……」

 燃えるような赤い髪に、深い緑の瞳を輝かせて語る青年とは対照的にルナは無表情で佇む。


 目の前に立つ青年は、辺境の村の男らしい大きな体にしなやかな筋肉をまとい、大柄だ。だが、まるで貴族のように整った顔をしているので圧迫感はない。むしろ、赤い髪と緑の瞳というはっきりとした色合いがさらに美しさを引き立てている。


 この青年ダレンは、所謂幼馴染だ。ルナの隣の家に住んでいる。


 「やっとだ、やっとだな。わかってるだろうな。明日の夜は、俺の家に来い」

 

 村の皆が美しいと誉めそやす緑の目は、興奮で爛爛と輝き、ルナの腕を掴む手にも力が入り、ルナの細腕をぎりぎり絞める。


 ルナの暮らす辺境の村では、この国の成人となる十五歳の祝いは、各々の誕生日ではなく、年に一度の節目の日に行われる。誕生日を迎えていなくても成人とみなされ、結婚したり、家督を継いだり、冒険者登録するなどのもろもろの事が許されるようになる。

 ――と同時に、王国から定められている家長の子どもへの責任も解除される。子どもの養育や保護などだ。故に子どもは結婚したり、手に職をつけたり、自立する事が必須となる。


 「アビゲイルさんと婚約しているのでしょう?」

 子どもの頃から、やたらとルナを敵視してくる少女がルナの脳裏によぎる。

 栗色の豊かな髪をなびかせて、ルナを見つけるたび、綺麗な顔を歪ませて叱責してくる。

 『いくら幼馴染だからって限度があるのではなくて? ダレンに馴れ馴れしいのよ!』

 『ダレンも迷惑していると思うわ。血筋のわからないあなたみたいな人にまとわりつかれて』

 『ダレンの婚約者は村長の娘である私なのよ!! ダレンに近づかないで!』


 むしろ、折に触れ、まとわりついてくるのはダレンの方だ。ルナは迷惑していて、ほっといてほしいと思っている。いつも一方的にまくしたて、こちらの言い分など聞きはしない。村長の娘なので、あまり機嫌をそこねると村で生きていけなくなるという気持ちもあり、ただ黙ってやりすごしていた。

 黙っているからといって、平気なわけではない。小さな棘がチクチク刺さるような不快感がある。


 「ま―だって、結婚はしないといけないだろ。俺に見合うのはアビゲイルくらいだしなぁ。結婚式は、一ヶ月後だし、明日の夜くらいお前に捧げてやるよ。なんだ、嫉妬してんのか? 大丈夫だ。俺が次期村長だしな。お前にも何不自由ない暮らしをさせてやるよ。空っぽで、なんにもできなくて、そんななりのお前がどうやって生きてくんだ?」

 ダレンはルナを掴んだ手の指を、今度はするりと滑らせる。その感触の気持ち悪さにルナの背中が粟立つ。


 「お前は俺のものって決まってんだよ。この村で生きていきたかったら、俺の言う事を大人しく聞くんだ。明日、待ってるからな」

 ルナの腕を放し、小柄なルナの体を覆うように後ろから両肩を掴むと、耳元にささやかれる。青白い顔で震えるルナに満足したのか、にやりと笑みを浮かべてダレンは軽い足取りで、去って行った。


 村は明日の成人の祝いの準備で活気にあふれていた。その喧騒が村はずれにいるルナまで伝わってくる。ダレンも外面のよさを発揮して、準備を手伝ったり、気の早い酒飲み達につきあって、祝杯をあげに行ったのだろう。


 ダレンの姿が見えなくなると、ほっとして、それから嫌悪する気持ちが湧き出てくる。


 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 腕を洗いたい。いや全身洗いたい。耳も洗いたい。

 ダレンといると、自分自身が穢れてしまったように感じる。


 澄んだ夜空にぽっかりと浮かぶ月を眺めて、気持ちを落ち着かせる。


 でも、と胸元の小袋を握りしめる。

 大丈夫、大丈夫。

 小袋に入っている美しい紫の石と同じ色をした瞳を思い出す。

 彼が見守ってくれているから、きっと大丈夫。

 

 それに、師と仰いだ人との厳しい修行の日々に耐えてきた自分なら、きっと乗り越えられる。それだけの強さを手に入れたはず。


 明日までの我慢だ。

 成人の儀式を迎えたら、この村とも大嫌いな幼馴染とも別れられる。


 正直な所、やっと解放されるという安心感より、上手くいくのかという不安の方が大きい。でも、一か八か掛けるしかルナに道は残されていないのだ。

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