第9話 眼科

僕は疲れてしまって、車椅子に座ったまま眠ってしまっていた。


「鏑木清人 《かぶらぎきよと》さーん」


「キヨト、起きられるかな? 眼科の診察始まるよ」


母は僕の身体を軽く揺さぶった。僕は寝ている時に起こされることってほとんどないから、変な感じだった。普段は差し迫った用事がないからね。


僕は眠気と取り切れない疲れでボーっとしながら瞼を開いた。


「キヨトくん、はじめまして。眼科医の高野です。那須野先生から連絡をもらいまして。今日は視力の確認をさせていただきます」 


柔らかくて心地よい声の女性の先生だった。優しそうな先生で良かったな。


僕は、視力検査の前に顕微鏡みたいなレンズで目を覗かれるような検査に促された「顎を乗せましょう」って言われても自力で動けないから困ってしまう。母に手伝ってもらっても、体勢が上手く保てなくて大変だった。それをやるだけでまた体力が奪われた。


次に車椅子のまま視力検査のスペースに移動した。

こっちが本命だ。

遠くに視力検査表と思われるようなライトに照らされたものがある。一旦全部の明かりが消えて、部分的にライトが点いた。だいぶ昔に一度だけ検診でやったことがあったから僕はやり方を知っている。Cのマークの開いている方を伝えればいいんだよね。


でも、これ、もし、見えたとしても、どうやって伝えればいいか分かんないや。指で伝えられるかな。指は震えたりしてたまに違う動きをしちゃうんだよな。困ったな。


「これはわかりますか?」


ライトが点いたのはわかるけど、マークは何もわからない。

ねぇ、お母さん、合図決めないとこれじゃ何も伝わらないよ。僕は心の中で母に話しかけるけど、気付いてもらえない。悲しくなってきて、目から涙が出てきた。珍しく感情と涙が一致した。でも、今泣いたら涙でボヤケて余計に見えない。


もう、どうしよう。


「あら、ちょっと涙が出ちゃいましたね。目が疲れちゃったのかしら」


先生が気付いて、涙を拭いてくれた。確かに目も少し疲れてるけど、そうじゃなくて、どう伝えたらいいかわからなくて僕は困ってるんだ。


でも、このチャンスは絶対逃したくない。


「先生、キヨトは麻痺で喋れないし、手も首も動かせないんです。なので、最初に合図を決めさせて下さい」


「ああ……そうでしたね。那須野先生から聞いていたのに、うっかりしていました」


『先生頼むよ、うっかりしないで』って僕は心の中で誰にも気付かれない突っ込みを入れた。

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