天の事業(株)の幸福の女神課の彼とひらめき課の彼女

高井希

第1話 天の事業(株)ひらめき課

 「天から答えが降りてきた。」

ある天才がそう言ったのを聞いたことがあるだろう。

そう、これを人は『ひらめき』と呼ぶ。


 人々が天と呼ぶ場所の一部、天の事業(株)の一画に広大な天の図書館があり、その一番奥の片隅に『ひらめき課』がある。

天はシルクのような光沢があるとてつもなく大きな美しい雲の上にあり、その中心部に天の事業(株)がそそり立っていた。

それはセラミックに似た光沢をもつ、いくつもの流線型で構成された巨大な建物だ。

建物の周りある、満開の桃の花の並木道を長髪の若い女性が、妖精がスキップでもするように軽やかにウキウキと歩いている。

木漏れ日と建物からの不規則な照り返しで、彼女の髪は鮮やかに黒をかぐわせてスイングした。

長いまつげ、すうっと通った鼻筋、ノーメイクにも関わらず赤く濡れたような唇、ピンクに輝く頬。

しかし、残念なことにすらっと伸びた長い脚も、スタイルのいい体つきも、野暮ったいグレーのスーツで隠されていた。

彼女は広大な天の図書館を通り抜け、ひらめき課のドアを大きく開け、元気に挨拶をしながら頭を下げた。

 「おはようございます。今日からひらめき課に配属されました、新人の平井めぐみです。よろしくお願いします。」

 「ああ、平井君ね、僕が課長の白木です。これからよろしく。君の席はそこです、まあ掛けたまえ。」

古びてよれっとして、くすんだ色のスーツをきた中年男性が答えた。

彼はぱさぱさの髪と、死んだ魚のような目をしていた。

周りの人々は、彼の事を陰で、昼提灯と呼んでいた。

白木課長は、聞き取りにくいぼそぼそとした声で説明を始めた。

「仕事の内容ですが、地上から、発明や発見に関する念が送られてくるのを感じ取り、念が強くなり始めたら図書館で該当資料を探してコピーをとり、...。」

「すみません、お話を遮るようで申し訳ないんですが、この広大な図書館からどのようにして該当資料を探し出すんでしょうか?。ここに着くのに図書館を横切ってきましたが二十分はかかりましたが。」

「えー、一応ジャンルごとに並べてありますから、然るべくやって下さい。事前に資料を探しておかないと、いざという時に間に合いませんから気を付けるように。」

「は?。はあ。コンピューター化とかされていないんですか?。」

「まだされていません。念が強まり天に届いたら速やかに該当資料を転送装置にかけ、天才の脳に『ひらめき』を送ること。『ひらめき』は24時間いつでも起こりうるので、君は24時間勤務となります。そのドアの向こうにベットが置いてあり、君の私室になります。もちろん鍵が掛かります。後、10時と3時のお茶くみを忘れないように。僕には緑茶をお願いします。何か質問は?。」

「あの、他の課員の方はどこに?。」

「課員は君一人です。」

「でも、24時間勤務なんですよね?。」

「そうです。」

「休日は?。」

「ありません。」

「睡眠、入浴、食事はどうすれば?。」

「それは、問題ありません。このポケベルを常に身に着けていてください。耐水性ですから。『ひらめき』がおきたらポケベルが鳴ります。では、仕事をはじめてください。」

ポケベルを渡された平井はつぶやいた。

「噓でしょ!。でも、子供の頃からの夢だった天の事業部に、やっと就職できたんだもの、こんなことでくじけたりしない。きっとなんとかなる、私はできることを精一杯するだけ。」

彼女は美しい黒髪をおばさんみたいにひっつめて結んだ。

そう、それが彼女の戦闘態勢らしかった。

24時間勤務にも果敢に挑戦する。

周りで見ていて腹が立つほど、彼女は前向きな人間だった。


 それから二年間は、訳が分からないうちに過ぎていった。

高校生で会社を興し新しいOSを作った天才や、インターネット上で友達のネットワークを構築した天才、ロボット、IT、がん治療薬、音楽、小説等々、世の中になんと天才の多いことか。

いつでも、どこでも、天才たちがひらめいている。

その上、夜中や明け方にひらめく人が多いことといったら...。

ー私はいつ眠ればいいの?。ー

それでも彼女は持ち前の健康体と、楽天的な性格で、ひらめき課の過酷な労働条件を何とか切り抜けた。

彼女は天の事業部始まって以来の農家出身だった。

どんな天災に巻き込まれ、壊滅的な被害を受けても、一からやり直せる農民気質を彼女は受け継いでいた。

そんな彼女を人は脳天気と呼んだ。

「おい、脳天気ヒラメ、邪魔だ!。歩きながら寝るな。」

美男、長身、金持ちで三拍子そろっていながら、性格だけが悪い高杉がまた絡んできた。

「寝てなんかいないよ。ちょっと、仕事のことを考えていただけ。」

「考える?。肉体労働、24時間勤務のひらめき課に、考える仕事なんかないだろう。」

「貴族出身で、出世コースの幸福の女神課のタカピーに、私の仕事の苦労は解らないわよ。」

「仕事の苦労?。お前のは仕事じゃなくて労働だろう。いままでひらめき課に配属されたやつは、長くても三か月以内に体を壊してやめていったのに。流石、雑草育ちの鈍感ヒラメだ。」

「あら、草原に咲く花のような可憐な乙女と言ってほしいわ。」

「雑草を食べて生き残る、原始人のようだと言っているんだ。」

「あら、原始人というのは、人類の始まりってこと?。それなら、私のことを始祖様と呼んでもいいわよ。」

「お前と話すと頭が痛くなる。時間の無駄だ。」


高杉が立ち去ると、紺のパンツスーツをビシッと着こなした、伍代キララがいたずらそうに笑いながら近づいてきた。

キララはめぐみにとって親友と呼べる存在だった。

「ヒラメ、また高杉氏ともめたの?。」

「あ、キララ。そうなの、タカピーったらひどいことばかり言うの。」

「タカピー?。」

「そうよ、私の事を平井めぐみを略してヒラメって言い始めたのがあいつだから、高杉ピカソを略してタカピーって呼んでるの。」

「あはは」とキララは男っぽく笑った。

ー高杉氏がヒラメをからかうのは、好きな子の髪の毛を引っ張って、気を引いてるつもりの小学生のようなものだった。

高杉氏ったら知性はとびっきり優秀なくせに変な所に弱点があったものだ。

その上、ヒラメも同類で朴念仁だから、高杉氏もお気の毒に。ー

「笑い事じゃあないの。私がこんなに悩んでいるっていうのに。」

「脳天気のヒラメが一体何に悩んでるの?。」

「聞いてくれる?。二年前に念が大きくなってもうすぐひらめきそうだった人が、未だにひらめけずにいるの。それだけじゃない、念がドンドン弱まってきてるの。」

「あきらめかけてるだけじゃなくて?。」

「それとも違う感じなの。彼のひらめき次第でTウイルスが絶滅して、多くの人の命が助かるはずなのに。」

「ヒラメ、そんなに仕事にのめりこんだら、体がもたないわよ。」

「大丈夫、雑草みたいに踏まれても平気にできているって、タカピーにもよく言われるし。」

「農村の出身だからって雑草はひどいわ。ヒラメの気持ちは解るし、多くの命が助かるなら、地上観察望遠鏡で彼の事を観察してあげる。」

「本当に?。キララ。」

「でも観察にはちょっと、時間がかかるわよ。幸福の女神課の仕事は、地上観察望遠鏡で地上を観察して、幸福になる資格があると認められた人に『幸福の女神のほほえみ』を贈ること。でもそれを贈るには最低一か月の観察と、課の全員の承認が必要なの。やるだけやってみるけど、期待しないでね。」

とキララはヒラメにウインクして見せた。


そのころ、地上では。

「やあ、体の具合はどうだい?。」

「ああ、教授。僕は入院なんかしてはいられないんです。研究を続けないと。もう少しでTウイルス絶滅の方法が見つかるというのに。この間にもTウイルスの為に多くの人が亡くなっているかもしれない。」

「先ずは自分の病気を治すことだ。研究に打ち込みすぎて、食事や睡眠をおろそかにするようでは、病気になって当たり前だ。そういえば、いつも付き添っている彼女の姿が見えないようだが?。」

教授の声には青年を心から気遣う温かさが滲んでいた。

「彼女はもう来ません。父親に僕らの仲を反対されたのです。『貧乏研究者と結婚したら、要らぬ苦労をするばかりだ。』と言われ、僕と会うのを禁じられたそうです。」

青年の悲痛な声に教授の胸は痛んだ。

「彼女の父親は確かスター通信社の社長だったね。」

「ええ、先月一部上場したせいで、大忙しだったのに、彼女が僕の見舞いの為に、病院に入り浸っていたのが、気に入らなかったようです。」

「ああ、そうか彼女あの会社の広報課所属だったね。」


その半年後、

「来た!。例の彼の念がやっと届いた。すごい強い念。よかった。」

ヒラメは急いでTウイルス絶命の該当資料を転送マシンに入れ、彼の脳に『ひらめき』を送った。

「キララ、ありがとう。例の彼に『ひらめき』を送ったわ。これで多くの命が助かる。あなたが手を貸してくれたんでしょ?。」

「彼には何もしてないのよ。」

いたずらそうにキララが答えた。

「彼の彼女に『幸福の女神のほほえみ』をあげただけ。」

「どういう事?。」

「彼女は父親から彼との結婚を反対されたうえ、他の男性との結婚を薦められていたの。幼いころ母親を亡くした彼女は、ずっと父娘二人でやってきたから、父をとるか彼をとるかで凄く悩んでいた。」

「それで?。」

「彼女に『幸福の女神のほほえみ』を使ったの。そしたら、彼の指導教授が彼女の父親と同級生で、彼女の父親を訪ねて、彼の研究の素晴らしさと、彼の人徳、将来性について熱弁をふるったの。それで父親は彼と直接会ってみて、自分の間違いを認め二人の結婚を許可したうえ、研究費用まで出してくれることになったの。」

「やった!、すごい成果ね。」

「彼女の看護で彼の病気も快復し、研究費の心配もなくなった彼は、心行くまで実験して遂に『ひらめいた』の。二人は来週結婚する。彼女が彼の健康管理をするから、彼は安心して研究ができる。二人はきっと幸せになるわ。」

「ああ、よかった。でも、『幸福の女神のほほえみ』を使う許可がよくおりたわね。」

「ずいぶん揉めたんだけどね。」

「ごめんね、キララ。私の為に。」

「ううん、私がそうすべきだと思ったの。それに高杉氏が『ひらめき課の仕事に協力するのは我々の義務だ』ってみんなを説得してくれて。」

「あのタカピーが私の仕事に協力するなんで、どういう事?。」

「高杉氏は素直じゃないけど、ヒラメの努力を認めているのよ。貴族階級出身でいろいろしがらみが多くて自由がきかないから、ヒラメのがむしゃらな頑張りが眩しいのよ。」

「確かに私は農村出身だから体だけは丈夫で、自由奔放というかめちゃくちゃなのは自覚してるけど、貴族も大変なんだ。」

そんな二人の間に、珍しく慌てた様子のタカピーが割り込んできた。

「大変だ。本や書類全てをデーター化して、図書館は廃止。その上AI導入で、ひらめき課の仕事がなくなるかもしれないって。その件でひらめき課の課長が、事業部長に呼び出されたぞ。」

「噓でしょ!。やっと仕事に慣れてきたところなのに。ひらめき課がなくなったら、私、ジョブレスでホームレスになっちゃう。」

ヒラメは頭を抱えた。

「そんなことさせない。嘆願書でも座り込みでもして、絶対阻止してやる。」

姉御肌のキララは息巻いた。

「おいおい、そんなことしたら、お前ら二人揃ってジョブレスだぞ。」

高杉は呆れて空を仰ぐ。

天の上にも空があった。

透き通った青空がそんな三人を見下ろしていた。

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