第43話 樹木医のお誘い

 二人はあれで納得しているのだろうか…


 樹木医・神鍋佳太は、姪っ子である三咲から聞いた桜と老人の話に戸惑っていた。勿論、絵梨と三咲の推理はあり得る話であり、反証がある訳ではない。しかしその後の三咲の一言、三咲の疑問に佳太は答え切れなかったし、自分なりのリサーチにも納得していない。


「今さら、だからどうだって話じゃないんだけどな…」


 エレベータを降りた佳太はぶつくさ独り言を言いながら、市役所1階ロビーの混雑の中に分け入って行く。


 そう、喫茶さくら丸は順調に滑り出しているし、三咲も絵梨ちゃんも無事に2年生に進級出来たし、渦中の接ぎ木の桜も育っていることだし、そもそも辿り着いた自分の推理は、卑しくも自然科学を生業とする自分には噴飯モノの話なので、周囲の誰かに話したところで、一笑されて… あ!


 佳太は混雑の向こうに見覚えのある後ろ姿を見つけた。そうだ。あの人なら…。佳太は人々の間をすり抜けながら背中を追う。あの人が向かう先は大抵都市計画課だ。階段を使うつもりなのかな。佳太が歩を速めた途端、その影は屈みこんで見えなくなった。


+++


 カンナは足元に散らばった図面や書類を踏まれないよう気遣いながらかき集めていた。図面ケースは大きいのでそれなりに気遣って持っていた筈なのだが、目の前の老人夫婦がいきなりUターンするのは予期していなかった。引越シーズンでもあり、慣れない人も多いのだ。図面ケースは弾かれ、見事に床に散らばった。


「ごめんなさい…」


 しゃがみ込んで図面ケースにガサガサと書類を入れていると、落とした書類を掴んだ作業服の腕が伸びて来た。


「あ、すみません…」

「いえいえ、全部ありますか?」

「はい多分。あれ、神鍋さん? お疲れ様です」

「いえ、そちらこそ。届出ですか」

「建築申請の確認なんです。リフォームなんだけど、ちょっと増築があって」

「へぇ、喫茶さくら丸じゃないですよね」

「いえ、あちらは一応落ち着いたって言うか、終わりましたし」


 二人を囲むように人の流れが出来る。神鍋佳太はちらっと周囲を見た。


「あの、時間あったら、ちょっと話せませんか? 三咲が喫茶さくら丸の面妖な話をしていてね」

「へ? 面妖な話? そう言うの大好きですよ。いいです、時間は作ります」


 二人は立ち上がると、ロビーを突っ切って歩き出した。


「そう言えば、三咲ちゃんって建築士になりたいけど、ご両親が反対してるって言ってましたけど」

「ああ、あれね。親は、親って僕の姉夫婦なんですけど、僕が説得しましたよ。いい仕事だよって」

「へえ、優しい叔父さんなんですねー」

「周防さん見てるとそう思っちゃますよ」

「うわ。何も出ませんよ」

「出なくていいけど、三咲のこと、よろしくお願いしたいです。資格取ったらお預けしたいなと」

「あはは。彼女ならいいですよ、明るいし根性あるし素性も明らかだし」


 二人は市役所内のティールームの前にやって来た。カンナが店の前に出ているメニューに見入る。


「何飲もっかな…」


 佳太は髪をまとめたカンナのうなじにクラっとなった。外の仕事が多いのに色白だ。アクティブだけど、きっと浴衣も似合うんだろうな。それならキモノだって…。佳太は妄想に乗っかり、勇気を出してその背中に呼びかけてみた。以前から、これまた妄想していたことなのだ。


「あの。周防さん、周防さんの事務所の規模、拡げませんか?」

「んー? 規模、ですかぁ…?」


 カンナは背中で答える。


「はい。外構もやる園芸部門と一緒になって」

「カフェオレかな、やっぱ。え? 外構ですって?」

「僕も資本参加しようかな…って。二人三脚みたいな事務所にして」


 カンナの関心はメニューに集中しているようだ。


「あー、やっぱ紅茶にしよう。今日は瀬戸田レモン厚切りだって! レモンティーでいいかな。ねぇ」

「は、はい」

「じゃ、入りましょ」


 取り敢えずの初戦は、佳太がレモンティーに完敗だった。

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