第30話 妹の男

 どこからそんな渇望が湧いて来るのか、俺たちは砂漠のド真中で1滴の水を奪い合うように激しく貪りあった。いくら奪い合いを繰り返しても心と体は不満の声をあげ、夜が明けてようやくふたりは目を閉じた。

 陽が高くなったがまだ眠っている龍志に、凛子は乱れた髪のまま珈琲を淹れて額にキスして笑った。

「もう起きましょうよ。独りじゃつまんない」

 そのとき、焦った親父の声が響いた。

「龍志が言ったとおりだ。美由は普通預金の200万を使い切って、昨日は100万の定期を解約している。これは普通じゃない! 悪い男に騙されてないか?」

「騙されてるかわからないが、美由はしっかり者で給料で暮らせる生活をするはずだ。何かおかしい。父さん、金の引出しをストップ出来ないか? 何か方法はないか?」

「悔しいが郵便局勤務の俺でも解約や引出しは阻止できない。通帳と印鑑さえあったらなあ」

「無理か…… 本当のことは言わないだろうが美由に携帯してみるよ、父さんも美由に電話してくれ」


 傍にいた凛子は電話の内容がわかったのだろう、天井を向いて考えていた。

「妹さんに失礼ですが相手の正体を確かめるのが先決です。今すぐ長岡市か周辺の探偵事務所を探しましょうよ。妹さんの住まいに近い探偵事務所ならアクションが早いと思います」

 探偵事務所か…… 狭い業界でメシを食っている俺よりも社会を知っている凛子の発想が正しいだろう。すぐさま龍志は長岡市の探偵事務所に美由の相手の身辺調査を依頼し、一刻の猶予もない大至急だと伝えた。

 美由にメールや携帯したが応答はなかった。俺が怪しんだことを知ったようだ。男に金を貢いだことを隠したいのか。


 翌日、探偵事務所からメールが届いた。相手の男は長岡市殿町の店に勤める進藤勉という23歳のホストだった。美由と食事中や暗がりでキスしている画像が添付されていた。画像を確認した龍志はすぐ父に電話した。

「父さん、探偵事務所に依頼して美由の相手がわかった。長岡市内のホストで名前は進藤勉、店と住所もわかった。美由と会っている写真も見た。美由は男の店の常連客かわからないが自分の飲食代じゃなくて、男の借金を肩代わりしている可能性が高い。1千万なんてあっと言う間にむしり取られる。父さん、頼むからすぐ長岡に行ってくれないか、美由のアパートはわかるか?」

「アパートはよく知っている。1階に大家さん家族が住んでいて、挨拶に行って何度か会ったことがある」

「それは好都合だ。美由の勤務時間中に訪ねて、大家さんから鍵を借りて部屋に入ってくれないか。そして通帳と印鑑を取り上げて欲しい。あの金はホストの借金を尻拭いする金じゃない! 通帳と印鑑は整理ダンスの小引出しか化粧品を並べている辺りだと思う。美由は昔からそこに大切なものを隠していた。父さん、頼む!」

「わかった。お前を信じて俺は今から長岡に行く。龍志はこっちに帰って来れるか?」

「今日は無理だが明日は長岡に行って男と会うつもりだ。僕がホストだから美由はその男を信じたかも知れないが、騙されている。全額取られる前に何とかしたい!」


 龍志の傍で会話を聞いた凛子が叫んだ。

「私も長岡に連れて行ってください! 今すぐ会社に休暇届けを出します」

「これは僕の家族のことだ、君にそんな迷惑はかけられない。クビにならないか?」

「私をクビにする会社ならこっちからサヨナラします。私たちは恋人です、龍志さんの妹は私の妹です」

 凛子は自分の住まいに帰り、デイバックを背負ったパンツスタイルで戻って来た。

「どうしたんだ、そのかっこうは? 冒険旅行に出発か?」

「いいえ、何でもないです、準備完了です」


 薄暗くなって親父から携帯が届いた。

「通帳と印鑑は見つけた。お前が言ったようにタンスの引き出しにあった。月末に大金が引出され、1週間毎に10万以上の引出しが記載されている。銀行と合算すると総額500万はやられているが、お前が結婚祝いに渡した祝儀袋だけは手付かずで残されていた。俺はここで美由の帰りを待つ。母さんも一緒だ、代わるぞ」

「龍志! 美由が男に騙されている、どうしよう!」

 興奮した母に、

「母さん、美由を責めないでくれ。僕がホストだからその男に気を許したのかも知れない。しょっちゅう通ったか知らないが、あの金額は美由の飲食代ではない。上手いこと言われて金を出したのだろう。美由はホスト業界のカラクリなんて知らないはずだ。客の飲食代がホストのツケになる店が多く、ツケを回収できないとホスト個人の借金になる。その穴埋めに美由の金が使われたと思う。男にすれば美由は打ち出の小槌だが金が底つけば捨てられる、間違いない! 男に会って、美由はお前に渡す金はないとはっきり言う」


 終業後、龍志はマネージャーのヒロキに事情を話して休みをもらった。妹の男と掛け合うと言う龍志が心配でたまらず、ヒロキはオーナーに進藤勉が勤務している店の評判や仕組みを調べて欲しいと頼んだ。万一その店が反社会的勢力の支配下であれば龍志が危険だと案じた。ヒロキは店や住所をメモしてヘルプ・ホストに耳打ちした。

 帰宅途中の龍志に親父の電話が響いた。

「美由は帰って来ない。男のとこだろうがお前は本当に明日来るか?」

「絶対に行く! 始発に乗るが長岡に着くのは8時近くだ。美由は出勤しても男はいるだろう。男に会って話をつける。美由が自分のアパートに朝まで帰らなかったら、3時過ぎでいいから明日は勤務先に行ってくれないか」


 翌朝、凛子と始発の新幹線で長岡へ着き、タクシーで柿川沿いの男のアパートへ急いだ。近づこうとすると背後から声をかけられた。

「探偵事務所の谷垣です。一条美由さんの調査を依頼された一条龍志さんですね。妹さんは先ほど仕事に行きましたが、進藤勉は部屋にいます。それから、この辺りでは見かけない若い男がウロウロしていますから用心してください。何かあったらすぐ警察を呼びます」

 郵便ボックスの表記で部屋を確認してインターフォンを押したが、応答がなかった。続けざまに龍志がインターフォンを押そうとするのを凛子は止めて、「少し待ちましょう、あとは任せてください」と言い、隣の住人の名を確認した。

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