第11話 不安と不信

 龍志は新潟に行った。薄暗くなって実家に顔を出すと、広間では親戚が集まって賑やかに宴会が始まっていた。たじろいだ俺に気づいた美由は、声を張り上げて宴会の音頭を取った。その隙に廊下を通り抜けて2階に上がった。しばらく待つと美由が来て俺を自分の部屋に引き入れた。

 壁際に、まるで大奥の装束にそっくりの着物が何枚も長い竿に飾られていた。

「明日これを着るのか? すごい豪華だなあ、親父はずいぶんレンタル料をはずんだな」

「違うの、これは亡くなったショウコさんにあつらえた物よ。あんなことがあって、ショウコさんの物はみんな実家に返されたんだって」

「おい、待て! 死んだ人の衣装をお前に着せるのか、おかしくないか、縁起でもない、どういう了見だ!」

「怒らないでよ。ショウコさんの分まで幸せになって欲しいって、向こうの両親と健一さんから言われたの。イヤだとは言えないよ」

「そういうことか。俺は納得しないが着るのはお前だ、勝手にしろ。これは俺の気持だ、受け取れ。金はジャマにならない」

「えーっ、こんなにいいの? 兄ちゃんありがとう! 大事に使うね。そっと母さんを連れて来るから少し待って」


 出奔するまで使っていた俺の部屋を覗いたが、何も変わってなかった。壁に貼られた年月が止まったカレンダーを見るのは痛かった。いつ戻ってもいいように部屋はそのままにしたのか。親不孝な息子だ、俺は。

「龍志!」、その声で振り向くと、目が窪んでシワが目立った母がいた。

「よく来てくれた、ありがとう、ありがとう。それから龍志のお金を使ってしまって本当にすまなかった」

「母さん、そんなことはいい、家を出た俺が悪い、俺に謝ることなんて何もない! 明日は美由の婚礼だ、泣くのは不吉だ、やめてくれ」

 俺は老けて小さくなった母の手を握った。


 結婚式の当日、山村健一と親族紹介の席で初めて会った。定番どおりに挨拶したが決して俺と視線を合わせなかった。シャイな性格か? それにしても目を逸らすとはおかしい。何か隠しているか? ホストは人の顔色と心を探るのが仕事の基本だ。ビジネス目線でこの男を捉えると不安どころか、はっきりと不信を感じた。妹を不幸にするな! 心の中で叫んだ。


 東京に戻った俺に美由から写真が届いた。添えられた手紙に、

「来てくれてありがとう。兄ちゃんがいちばんカッコ良かった! スーツ姿が最高! 芋畑に舞い降りた鶴みたいだとお母さんが言ったら、お父さんは大笑いして、俺に似たんだって嬉しそうに自慢した。兄ちゃんは“MEN'S NON-NO”のモデルみたいで驚いた。まだ独身だと言ったら、友だちが紹介してと大騒ぎしたのよ。写真、見てね。私だって兄ちゃんに負けないくらい綺麗でしょ!」


 パウダールームで美由が送って来た写真を眺めていると、

「美由さんは結婚しちゃったんだぁ、僕は振られちゃいました~」

 ヘルプ・ホストたちは写真を覗き込んで、勝手に騒いだ。

「こら、いい加減にしろ。君たちには“お幸せに”のセリフはないのか」

 すると幾枚も写真を確認していたミツオが、

「でも変ですね。ダンナは美由さんじゃなくて衣装ばっかり見ている。ほら、全部そうです。大丈夫ですかねこの男は。キショイなあ!」

「勝手なことを言うな! 妹の相手だぞ」

 俺と同じで、こいつらも健一の視線を異様に感じたようだ。そこへヒロキさんが入って来て、写真に目を落とした。

「妹さんには幸せになって欲しいな」

 ? 振り返ると、「この男はおかしいぞ」と笑った。


 何カ月ぶりか、三千円のバイトを冷やかしに行った。いらっしゃいませ! その姿を見ると、この子を買った男でもわからないほど普通の娘になっていた。この子が美容師を選んだように、俺は社会保険労務士を目指して、通信講座の受講を申し込んだ。テキストとオンライン講座で学び、USBに納めた用語や事例集を気が向いたら勉強した。

 公園のベンチでおにぎりを食いながら、三千円は俺に訊いた。

「お兄さんは今でも街で女の人を買うの?」

 なんて質問だ! 君は自分がしたことを忘れたのか? 不快に思ったが、多分この子に悪気はないのだろう。

「しない」

「じゃあ、恋人がいるの?」

「いない」

「だったらどうしてるの?」

「余計なお世話だ。帰るぞ!」

「怒ったの? 心配しただけなのに」

 まったくとんでもない娘だ。

 

 俺が勉強を始めて2カ月経ったが、大学で履修した科目が役に立ってどうやら続けられそうだ。今年は無理だが来年の合格を目指そう。さあ、もう寝るとするか…… 眠ろうとしたが、ずっと美由から携帯がないのが気になった。かけてみるか? だが深夜じゃ迷惑だろうと思った瞬間に携帯が鳴った。

「こんな時間にどうした、何かあったか?」

「いきなり変なこと訊くけど、怒らないで聞いてね。相談できるのは兄ちゃんしかいないの」

「どうした、ダンナと喧嘩でもしたか?」

「うん、大喧嘩した。ストレートに質問するけど、兄ちゃんは女の人を抱くときに、私の名前を呼ぶ? 呼んだことある?」

「はあ? お前の言う意味がわからん! 何を言ってるんだ?」

「健一さんは私を抱くときにショウコって呼ぶの。兄ちゃんはそんなときに美由なんて言う?」

「言わない! 当り前だ。お前は妹だぞ、そんな最中にお前なんか思い出すとヤレない。ちょっと待て! あの男は本当にそう言ったんだな? それっておかしいぞ!」

「そう思ったから、ショウコって呼んだでしょと言うと、夢を見たかなってごまかした。あのさ、最後の瞬間に夢を見るなんてないでしょ、眠ってたら出来ないでしょ」

「そうだ、そのとおりだ。なんてやつだ! フィニッシュのときに自分の妹の名を口走る男なんて、普通じゃないぞ。それを録音しろ、シラを切られても証拠になる」

「うん、そうした。5日分を録音したけど、まだ誰にも聴かせてない。これからどうしようかと考えてるんだ」


「突然こんな話を聞いた俺は動転しているが、確かめたいことがある。よく聞けよ! お前の心にまだあの男はいるのか? そして妊娠してないか?」

「こっそり薬を飲んで避妊してたから妊娠はない。あんな男はイヤだよ! いつもショウコさんと比べられて、言葉使いや立振る舞い、掃除の順番まで小言を言われる毎日は息が詰まった。私は私なんだって叫びたいよ! こんな人の子供は欲しくないと思ったんだ。兄ちゃん、助けて! 辛いよ!」

「わかった。今言えることは、録音した音声はみんなの前で初めて再生するべきだ。いいか、しっかり聞けよ! 健一に聴かせると、携帯を取り上げられて録音を消されてしまうぞ。それからな、録音した音声は念のためにUSBに入れとけ! やり方はわかるか?」

「うん知ってる。兄ちゃん、頼むよ! 1日でいいから帰って来てよ。私なんか最初からどうでもいいんだ、妹のダミーなんだ! 哀しいよ、酷すぎるよ!」


「頼むから落ち着け! そして聞いてくれ。今日の仕事は休めないが、明日の始発の新幹線で必ず帰る。信じてくれ! お前は親の顔を見たいとか上手いこと言って、大事な物だけ持って実家に戻れ。俺が親に話すから、それまでは黙ってろ。今晩は動くな、明日の朝は普通の顔をするんだ。わかったな!」

 俺は謎が解けた。あいつは実の妹と近親相姦だ、間違いない。それをあいつの親は知っていたに違いない。

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