閑話:小さな夢

 ふと目を覚ますと、隣で千早が涙を流しながら眠っていた。その涙を起こさずにそっと拭いながら、いろはは千早の頬を撫でる。

 触れるだけで、胸があたたかくなる。優しい気持ちが溢れ、もっと、もっと触れていたいと思う。

 きっと、これが愛おしいという感情なのだろう。


「千早」


 これまで、触れたいと思ってきたが、触れることはできなかった。話したいと思ってきたが、話すことはできなかった。

 それが今、こうして触れられ、話すことができるのだから不思議なものだ。

 千早、と何度でもその名を呼びたくなる。呼べば、必ず千早は振り向いてこちらを見てくれるからだ。その視線がたまらなく愛おしい。今この瞬間、千早の視線を独占しているのだと嬉しくなる。

 夕食時の玉藻には、自分らしくもない言動を取ってしまった。腹が立ったのだ。自分もしてほしいと言う玉藻に。

 最初は、回復が目的だった口付け。意外にも気持ちが良いものだと思ったのが最初の感想だ。

 それが、今では何度でもしたくなるのだから、やはり口付けというものはすごいものだ。あれを千早が玉藻にするなど、あってはならない。千早との口付けは、いろはだけのものであってほしい。

 口付けしているときの千早の表情や息づかいなど、誰にも見せたくない。


 ──ああ、これは嫉妬というものだ。


 書物にも書いてあるとおり、胸が苦しい。千早は自分だけのものだという気持ちが湧いてくる。千早が玉藻と仲良くしているところを見ると、何だかモヤモヤとしてしまう。随分と、人間らしくなったものだといろはは苦笑を漏らした。

 だが、人間らしくなったところで、人間にはなれない。いろはは刀剣であり、それは変わらないのだ。


「……千早、私は」


 少しだけ身体を寄せ、千早と額を合わせる。千早が呼吸をするたびに、吐息がいろはの顔に当たる距離だ。


「あのようなことを言っておきながら、本当は怖いのだ。千早と過ごす日々がとても楽しく、失いたくない」


 だが、そうは言っていられない。八岐大蛇が蘇ってしまったのだから。いろはは、天羽々斬としての役目を果たさなければならない。

 その役目を終えたあとは、どうなるのだろうか。千早にも問われたものだが、本当に役目を終えてみなければわからない。


「私は、千早と共に時を過ごしたい。人間になりたいとまでは言わない、せめてこれまでと同じように過ごしたいのだ。それは……私の我儘なのだろうか」


 気が付けば、いろはの瞳から涙が溢れ、シーツを濡らしていた。

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